2017年4月1日土曜日

ニューロリハビリテーションにおける運動学習の評価のパラメータと尺度:文献のシステマティックレビュー

若月 勇輝(介護老人保健施設いずみ)

ニューロリハビリテーションにおける運動学習の評価のパラメータと尺度:文献のシステマティックレビュー
著者:Shishov N,Melzer I,Bar-Haim S.
雑誌:Front Hum Neurosci.2017 Feb 24;11:82

要約
脳卒中および脳性麻痺の方は、日常生活に不可欠な上肢機能が障害されることが多い。上肢機能を改善させるために、学習は行われるべきであり、運動学習理論を用いた訓練は、多くのリハビリテーション介入に含まれている。正確な測定が治療の結果の評価するうえで重要であるにもかかわらず、結果を評価指標を選択するための標準的な方法論はない。さらに、学習を確認する能力のある尺度は十分に確立されていない。脳卒中および脳性麻痺の運動学習を確認するために利用される尺度をレビューし、分類することを目的とした。
運動制御の尺度を用いた上肢訓練後の運動学習の評価する研究を、PubMed、Pedro、およびWeb of Scienceデータベースを利用し、2000年1月~2016年3月の間で検索した。方法論的に良質な脳卒中を対象とした32研究と脳性麻痺を対象とした10研究を選択した。
確認された測定値は、学習のタイプを特定し決定する「パラメータ」と、パラメータを測定するツールとしての「測定」の、2つのカテゴリに分類された。レビューの結果は、アウトカムに焦点を当て、統合し、組織化した。今回分析した研究では、研究デザイン、パラメータ、および測定はバラバラであった。パラメータは、適応(n = 6)、予測制御(n = 2)、アフターエフェクト(n = 3)、脱適応(n = 4)、パフォーマンス(n = 24)、獲得(n = 8)、保持 (n = 8)、および転移(n = 14)であった。長期的な効果や一般化するための運動学習理論の重視しているにも関わらず、研究の多くは、保持と転移のパラメータを評価していなかった。基礎となる尺度には、スピード、ジオメトリまたはその両方(n = 39)、動的尺度、正確性や一貫性および調整の尺度に関する運動学的解析が含まれていました。特定のパラメータの除外はしていない。
運動や学習のさまざまな機能を調べるために、いくつかの尺度を使用する必要とし、多くの要素は運動課題とを測定する能力に影響を与える。運動学習の尺度の臨床現場への適用性は、現在は欠けている治療に焦点化したアプローチへ有益である。運動学習の複雑さは、さまざまな尺度をもたらし、運動学習を評価するために利用され、研究を通して結果を統合することを困難にする。このような測定の質を考慮しながら、アウトカムの選択するアルゴリズムの開発にはさらなる研究が必要である。
[URL] :https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28286474

コメント
臨床での運動学習の評価は、オリジナルになってしまうことが多く、また、客観性に乏しいと感じることがあります。この論文では様々な評価のパラメータを紹介しており、臨床のヒントになりそうです。

2017年3月15日水曜日

運動学習について

進藤 隆治(岡崎共立病院)

 
引用論文:運動学習のメカニズムと作業療法
筆者:宮前珠子 他
広島大学保健学ジャーナル Vol.1(1)22〜28,2001

私の仕事は、作業療法を患者・利用者(以下対象者)に提供している。対象者の生活の質の向上、社会参加を目的に、機能訓練や動作訓練、環境設定を行う。また、地域において他職種との連携は必須であり、一人の方に対して何人もの従事者が生活を支えている。しかしながら、対象者に対して1対1で向かい合いサービスを提供する機会が多い理学療法士・作業療法士・言語聴覚士においては、その時間でどのようなことができるのかを考える必要があると私は考える。私が対象者にできること、それは作業療法を通じて運動を教えること。つまり、作業により運動を学習することを導いていくことであるといえよう。

この、「運動学習のメカニズムと作業療法」では、はじめに、学習及び記憶とは何かが書かれており、次に学習の神経機構の変化について、最後に治療への示唆と進む。

今回は、まとめを以下に抜粋する。
1.我々がリハビリテーションで目指す多くの事が運動学習に関わる
2.運動学習成立の背景には、神経回路の構造的変化がある
3.神経回路の構造的変化を起こすためにはかなりの反復回数が必要である
4.運動学習を助けるヒントとして、メンタルプラクティス、結果のフィードバック(KR)の頻度、帯域、遅延を考えること、認知学習が運動優位であること

この論文は運動学習について知る取っ掛かりとなる内容となっており、わかりやすく解説されていると思う。運動学習という観点はリハビリテーションを進めていくにあたり重要な要素であると感じている。職場の同僚や勉強仲間に論文の内容を勧めながら、運動学習について内容を深めていきたいと思う。

2017年3月1日水曜日

ゴール設定

首藤 康聡(岡崎南病院)

皆さんはどのようにして患者さんのゴールを決めていますか?

評価を行い、過去のデータや今までの経験などを参考に「ここまでは回復するけど、これ以上の回復は望めない。だからゴールはここにしましょう」といったように決めて、患者さんと一緒に決められたゴールに向かってリハビリをしていると思います。

特に変なところはないですよね。でもちょっと待ってください。本当にこれでいいのでしょうか?僕は少し違和感を覚えます。それは、このゴール設定の方法がリハビリをあきらめている部分があるからです。

先日、ネットで“脊損者が問う、「なぜ日本に歩くリハビリがないのか」”という記事を読みました。以下のサイトに掲載されているので、興味がある方はご覧になってみて下さい。  
  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170203-00010003-alterna-soci
  
この記事はリハビリ医療情報を発信するRe:Walk Project運営事務局が4月1日に開催する脊髄損傷者向けのイベント主宰者の木戸さんのコメントを掲載したものです。その中で木戸さんは、脊髄損傷者に日本の医療ではなぜ歩くためのリハビリがないのか、その原因と解決策について、講演をするという事です。

以下、記事を一部抜粋してみます。
・・・・・
―Re:Walk Projectでは、「歩くためのリハビリ」を紹介していくとのことですが、日本ではそれが進まない原因は何があると考えますか。

まず前提として、日本の医療において、完全麻痺と不完全麻痺に対するアプローチは決定的に違います。完全麻痺者(受傷後、脚がピクリとも動かせない人)は基本的に「一生車いす」と診断され、歩くリハビリは行いません。不完全麻痺者(一部、神経機能が残存し、脚が動かせる部分が残る人)は再歩行を目指して歩行訓練を行います。

(中略)

治るか分からない患者のリハビリのために、一生、国の医療保険で保障することはできません。だから、日本の医療では原則「再歩行の確立はゼロ%」と宣告します。(「曖昧なことを言って後で問題にならないよう、宣告せねばならないと教えられる」と話を聞いたお医者さんは言っていました)

そして、完全麻痺者はまず「車いすでの社会復帰」を目指すことになります。まずは一人の人として社会復帰をして自立を目指します。これは非常に重要なことだと思います。

(中略)
これは我々の解釈ですが、日本の医療では完全麻痺者の再歩行の確立はゼロ%です。でも、そこにはからくりがあり、日本の医療界では、「脊髄損傷(完全麻痺)=一生歩けない」という宣告をする限り、歩くリハビリをしている人は原則いません(ごく一部の研究対象者などは除いて)。目指した人がゼロなのであれば、一生ゼロ%のままなのです。

・・・・・・・
この後も文章は続きますが、如何ですか?最初から可能性がゼロ%だから歩くリハビリは行なわず、車椅子での社会復帰を目指す事。これ自体は決して問題がある事ではありませんし、重要な考え方だと思います。そこにはこの国の医療制度なども深く絡んできますしね。しかし、一方でもしかしたら回復の可能性はあるかもしれませんよね。だって回復しないなんて誰も証明できないですもん。

さて、主宰者の木戸さんは歩く事を諦めきれず、オーストラリアや米国に渡り日本で行われていない「歩くリハビリ」に活路を見出そうとしました。この記事ではその後、どこまで回復したのかは定かではありません。しかし、諦めず海外のリハビリを受けようとしたという事は少なくともゴールが「歩行」だったからですよね。この日本には挑戦するリハビリが無かったから海外でリハビリを受けようと思ったんだと思います。

では、なぜ挑戦するリハビリがないのでしょうか?そこには様々な理由があると思いますが、それをここでは追及するつもりはありません。それはまたの機会にとっておきます。もちろん全ての病院や研究機関、全てのセラピストがそうであるとは思いません。しかし、僕らが当たり前の様に行っているゴール設定に実はセラピストの『諦め』が含まれている事を知っておくべきだと思います。それを知る事によって次の回復の可能性に挑戦できるからです。

最後は僕の臨床の柱となっている言葉で締めたいと思います。この言葉を胸に日々の臨床を、認知神経リハビリテーションを一緒に学んで行きましょう。

「裏切られた期待に応えるために」

2017年2月15日水曜日

記憶

佐藤郁江(岡崎南病院)

過去の経験をといったことが認知神経リハビリテーションの中で思い出して治療の中に組み込まれるようになってきています。ただ、思い出してもらう記憶としてなかなか思い出せないことが多いです。また、患者さんの行為との対比ができるものでなければならなくてどこから聞いていくことができるのか私の中ではまだまだ課題となっています。記憶を確認していくと自伝的記憶というものがあります。これは感情や懐かしさを伴った文字通りの「思い出」となっています。認知神経リハビリテーションの中での過去の経験を思い出してもらうのにかかわる関節が伴っているのに加えて、感情なども想起する必要があるといわれていたと思います。そんな中で自伝的記憶は一つの治療に必要となる経験を思い出してもらうにあたってきっかけとなるものと感じました。これは、手がかり法を用いて自伝的記憶から早期を指せると、最近の数年間の経験を多数思い出せるだけでなく、特に50歳以上の人の場合には、他の年代に比べて10代後半から30歳くらいまでの記憶を多く思い出す。これは、レミにセンス・パンプと呼ばれているそうです。この、患者さんの年代が50歳以上であれば最近の記憶の中で探すとともに10代後半から30歳くらいまでの経験したと思われることをきっかけに聞いていく方法もあるのではと感じました。

2017年2月2日木曜日

新年を迎えて

尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)
 
 新年を迎えました。本年も宜しくお願い致します。皆さんとともに、さらなる飛躍をしていきたいと思います。アメリカの大統領も交代し、世界はさらに激動の時代にあります。これから、どのような状況に世界が動いていくのか、なかなか読めない、今日この頃であります。私達も、診療報酬改正により、現場も様々に変化していると思います。しかし、私達セラピストの仕事は、目の前にいる患者をどのように良くしていき、少しでも、もとの生活に近づけるように治療していくことには変わりません。どのように今年1年を過ごしていくのか決まっている方、まだ模索中の方、様々いらっしゃると思います。
 認知神経リハビリテーションのホームページに宮本会長の最新のメッセージ№,74「 龍安寺の石庭、砂の花壇、に思う」には15個ある石庭の石は廊下のどこから眺めても、必ず1個の石は他の石の陰に隠れて見えない、どの角度から見ても石は14個しか存在しない。石庭にはどこから眺めても視線の盲点がある。リハビリテーションの治療において患者を観察する時も同じだと心に刻みながらも、単純な僕は15個の石を見るにはどうすればよいかを考える。私も宮本先生のメッセージ文を、ここの文まで読み、途中で立ち止まり、自分なりに考えてみた。実際に龍安寺の石庭に10年ほど前に行った時に、色々と考え、やってみたことを思い出してみたが15個目の石を見つけることは出来なかった。単純に上から見れば見えると言う発想しか思い浮かばなかった。
 私達は患者の前で、その時の自分の最善の治療を行っているが、症例検討などで他のセラピストの意見を聴くと、様々な盲点に気づく。やはり、盲点は存在してしまう。だから、他者の視点は重要であり、自分自身では気づかない視点を教えられる。
 他のセラピストからの視点は、龍安寺の石庭の15個目の石と同じように感じる。患者のために、15個目の石を常に探すという志を忘れず、この1年さらなる前進を。

2016年12月15日木曜日

中日春秋(2016年12月10日 朝刊)

荻野 敏(国府病院)

中日春秋(2016年12月10日 朝刊)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2016121002000113.html

Paragrafo UNO
▼『科学とは「不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである」という名言を残したのは、夏目漱石の弟子で物理学者の寺田寅彦だ』

さすが、夏目漱石!!弟子も名言を残してますなぁ

Paragrafo DUE
▼『たとえば、かつては「すべてのものは原子からできている」と教わったのに、科学の進展で、私たちが知る原子で作られている物質は宇宙のわずか4%にすぎず、残りは謎の物質だと分かった』

そ、そうなんだ・・・。僕も原子でできていると習ったと記憶しているので、ちょっとびっくり。というかその割合にびっくり。多分ダークマターのことだと思うけど。

Paragrafo TRE
▼『常識が覆され、新たな不思議が見つかる。そのおかげで私たちはより深く、違った角度から考えられるようになる。それが科学の醍醐味だろうが。どうもわが国の政府は「不思議を生み出す」科学に冷淡なようだ』

日本の政府の姿勢はどうか良くわからないが、物事を多角的に見る、そして疑ってかかるってのは大事なことですよね。訓練を5つの視点で見ることや贋作者的態度っていうのは、まさにそのことを意味していると思います。

Paragrafo QUATTRO
▼『きょう、ノーベル賞の受賞式典に臨む大隅良典さんは「謎が解かれた時、新たな謎が生まれるのが科学」と説き、「科学が役に立つというのが、数年後に企業化できることと、同義語になっている」と憂いている。研究費が削られ、拙速に成果が求められる現状では、科学立国の礎が危ういとの警鐘だ』

確かに、1知ると10の疑問が出て、10知ると100の疑問が出てくるってのは、なんとなく直感的に理解できますよね。そして安直に成果を求める(求められる)というのもなんとなく分かる。例えば、そのままダイレクトに患者に適応できる論文を求めたり、すぐ明日からすべての患者に使えるテクニックを求めたりするのも同様なことなのではないでしょうか。とすると、この国の姿勢というよりは、僕らセラピストの中に住まう「楽して簡単に成果を求める姿勢」もリハビリテーションの礎が危険な状態ということに置き換えられそうですね。

Paragrafo CINQUE
▼『偉大な政治家にして科学者でもあったベンジャミン・フランクリンにはこんな逸話が伝わる。自然科学の新たな成果に接した人が、「これは何の役に立つのだ?」と聞くと、彼は聞き返した。「では、生まれたばかりの赤ん坊は、何の役に立つというのです?」』

この切り替えし、素晴らしいですね。確かに納得です。

Paragrafo SEI
▼『大人には計り知れぬ可能性を秘めた「赤ん坊」に「何の役に立つか」を問う。そういう社会では、未来は望めまい。』

僕らは、人間の基礎をなす哲学や神経科学だけではなく、リハビリテーションの技術的なものや教育学なども勉強しなければなりません。認知神経リハビリテーションに取り組もうとすると、勉強しなければならない学問の幅が広すぎることに戸惑っている人も多いのではないでしょうか。でも安易にテクニックに向かうのではなく、その基礎にある学問をおろそかにしてはいけないと思います、そして何故なんだろうという疑問を持つことも大事ですよね。傍から見たら何の役に立つか分からないような勉強でも、いずれその意味が分かることにより、治療の組み立てに有益をもたらすかもしれない。基礎がわかっていなければ、未来は望めないと思いました。

2016年12月2日金曜日

宇宙飛行士 大西卓哉氏より学ぶ

井内 勲(岡崎共立病院)

10月30日に日本人11人目の宇宙飛行士として国際宇宙ステーションから帰還した大西卓哉氏について、11月26日の中日新聞で「地球人に戻らなきゃ」の見出しと宇宙航空研究開発機構(JAXA)施設でバランスクッションの上で片足立ちにて4キロのボールでキャッチボールをしているトレーニングの写真と一緒に現状が少し紹介されていた。そこでは「飛行前の九十パーセントぐらいの状態に戻ってきた」と一か月足らずでのリハビリでの回復ぶりもあった。

思い返せば帰還された直後の大西氏の映像は約4か月の宇宙滞在からの帰還であり当然ながら立つことも出来ず、持っている小さなタイマーでさえ重いと重力下の地上の感想を述べていた。

筋力低下は無動・不動により骨格筋は、1週間で10~15%筋力が低下、高齢者ではそれが倍になる。また、筋力は最大筋力の20~30%程度の筋収縮をおこなう事で維持され、30%以上の筋収縮で筋力は増加、20%以下で低下してゆくと報告があり、筋力強化(骨格筋の大きさの変化を目的とした増強でなく)の効果として今回の大西氏の回復はかなり著しい成果が想像される。

そしてNHKのNEWS WEB では先の中日新聞のコメントに加えて「地球に帰還した直後は、脳が重力を忘れていて、普通に歩くことすら難しい状況だった。リハビリを行うことで、今は90%ぐらいまで回復しているが、重力に再び慣れる難しさを感じている」とリハビリ後コメントを述べていたようで、脳が重力を思い出す事の重要さが伺えた。

日本人飛行士のリハビリはこれまで米航空宇宙局(NASA)が担当していたが、大西氏からはJAXAが主導するようで日本でも専門の人材がそろってきたとあった。喜ばしく感じられたと同時に、リハビリテーションを担う我々は多くの分野から多くの視点で学びを広げる必要も感じた。