若月 勇輝(介護老人保健施設いずみ)
アルツハイマー病の病態失認と手続き学習
(Anosognosia and procedural learning in Alzheimer's disease.)
著者: Starkstein SE, Sabe L, Cuerva AG, Kuzis G, Leiguarda R
雑誌: Neuropsychiatry Neuropsychol Behav Neurol.
背景:認知的欠陥への気づきは、知的に障害した潜在学習に依存するかもしれない。また、アルツハイマー病の病態失認は潜在学習の欠如から生じた結果である可能性がある。
目的と方法:
アルツハイマー病患者(probable)の55名を、軽度群(n = 13)、重度群(n = 12)、病態失認ではない群(n = 30)に分け、宣言的な学習と手続き的な学習のテストを含んだ神経心理的なバッテリーで評価した。
結果:
宣言的な学習(Buschke Selective Reminding TestとBenton視覚記銘検査)のテストでは、群間に有意な差は無かった.
しかし、重度の病態失認患者は、手続き的な学習(Maze Learning Testの測定)とセットシフティング能力を評価する検査(ウィスコンシンカード分類課題)に関して、病態失認のないAD患者より有意に悪いパフォーマンスを示した。
著者の結論:
アルツハイマー病の手続き学習の欠如と病態失認が、学習システムの機能障害の結果から生じる可能性があることを示唆する。
URL: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9150509
2016年11月16日水曜日
2016年11月2日水曜日
感覚はどこまで動作制御に関与しているのか
進藤 隆治(岡崎共立病院)
こないだまで、臨床実習のバイザーを行っていた。学生が認知課題をやっているところを観ると、だいたい「感覚訓練ですか?」「感覚をよくする為にこの訓練をしているのか?」といった質問をよく受ける。その際、自分は運動と感覚の「円環性」の話をして、感覚じゃなく運動を観ていることを伝えるが、相手にはなかなか理解が得られていないと痛感することをよく経験する。
今回、下記の論文を読んだので参考にしたいと想い今回のヒントを書こうと思う。
感覚はどこまで動作制御に関与しているのか -その可能性-
中川 賀嗣
神経心理学2016.Vol.32 No.2 P.181-192
動作は、以下の3つの側面において感覚によって支えられると想定されるとある。
①動作の枠組みの形成や制御に関する側面
②様々な運動パターンを獲得(学習)するという側面
③動作実行に際して、その都度生じる対象者と手(対象がない場合には手のみ)の状況を何らかの形で把握し、それに基づいて動作を調整するという側面
特に自分が気になったところは、②の内容である「学習時の感覚情報を運動パターンに織り込んでいる可能」を示唆する知見であった。
ここではパントマイム失行(観念運動失行)が取り上げられており、道具を視覚呈示しても動作の改善がみられなかったが、視覚的にはその道具とは全く形状が異なる、単なるスティック(道具の把持部分に相当)把持することで、実際の道具と同様の成績に回復することを示した。これは道具と同様の体性感覚入力を得ることで可能になったと解釈できる。つまり、体性感覚が喚起や発動された動作のきっかけとなったとのことだ。
臨床で、立ち上がりの際に下肢の支持が全く入らず全介助で移乗をサポートすることがある。こんな時は案外、足底前足部を床を押し付け圧刺激を入れてあげることで、下肢の伸筋の収縮がみられ下肢で体幹を支持することができる。運動をサポートする際に、身体のどこで、どんな感覚に注意を向けるかや、身体の認識を促していくことで運動が誘発されることがある。セラピストはどのような感覚を使って患者になんの情報を収集してほしいかを考えるで運動を組織化していくとができる。
特に片麻痺の運動の改善がみられず焦る経験をすることが多いが、感覚入力は運動を作っていく為には重要な要素であることがよく理解できた。
感覚が運動にどう関連しているのかを、今後説明していくのにかなり参考になる論文だと思い、今回は臨床のヒントで取り上げさせてもらった。
こないだまで、臨床実習のバイザーを行っていた。学生が認知課題をやっているところを観ると、だいたい「感覚訓練ですか?」「感覚をよくする為にこの訓練をしているのか?」といった質問をよく受ける。その際、自分は運動と感覚の「円環性」の話をして、感覚じゃなく運動を観ていることを伝えるが、相手にはなかなか理解が得られていないと痛感することをよく経験する。
今回、下記の論文を読んだので参考にしたいと想い今回のヒントを書こうと思う。
感覚はどこまで動作制御に関与しているのか -その可能性-
中川 賀嗣
神経心理学2016.Vol.32 No.2 P.181-192
動作は、以下の3つの側面において感覚によって支えられると想定されるとある。
①動作の枠組みの形成や制御に関する側面
②様々な運動パターンを獲得(学習)するという側面
③動作実行に際して、その都度生じる対象者と手(対象がない場合には手のみ)の状況を何らかの形で把握し、それに基づいて動作を調整するという側面
特に自分が気になったところは、②の内容である「学習時の感覚情報を運動パターンに織り込んでいる可能」を示唆する知見であった。
ここではパントマイム失行(観念運動失行)が取り上げられており、道具を視覚呈示しても動作の改善がみられなかったが、視覚的にはその道具とは全く形状が異なる、単なるスティック(道具の把持部分に相当)把持することで、実際の道具と同様の成績に回復することを示した。これは道具と同様の体性感覚入力を得ることで可能になったと解釈できる。つまり、体性感覚が喚起や発動された動作のきっかけとなったとのことだ。
臨床で、立ち上がりの際に下肢の支持が全く入らず全介助で移乗をサポートすることがある。こんな時は案外、足底前足部を床を押し付け圧刺激を入れてあげることで、下肢の伸筋の収縮がみられ下肢で体幹を支持することができる。運動をサポートする際に、身体のどこで、どんな感覚に注意を向けるかや、身体の認識を促していくことで運動が誘発されることがある。セラピストはどのような感覚を使って患者になんの情報を収集してほしいかを考えるで運動を組織化していくとができる。
特に片麻痺の運動の改善がみられず焦る経験をすることが多いが、感覚入力は運動を作っていく為には重要な要素であることがよく理解できた。
感覚が運動にどう関連しているのかを、今後説明していくのにかなり参考になる論文だと思い、今回は臨床のヒントで取り上げさせてもらった。
2016年10月17日月曜日
ヒントを探そう
首藤 康聡(岡崎南病院)
今日は娘のバレーボールの練習日。少し早めに迎えに行ったので練習を見学していました。
練習を見ながら動作分析をしたり、宙に浮いたボールとアタックする手の関係性なんかを考えていました。まあ職業柄どうしてもそうやって見てしまうところがあり、娘の頑張る姿を応援する親らしい気持ちをついつい忘れて「いかんな」と心の中でつぶやいたりしていました。
っと思いながらも頭の中をよぎったのは『自分はどこまで運動の事がわかっているのか』という運動に対する疑問でした。運動学や生理学、認知神経科学、発達心理学、社会心理学など運動に関わる学問がどれだけわかっているのかと・・・
全然何も知らない・・・
ふっとそんな自分に気が付きました。気づいた途端なんだか情けない気持ちでいっぱいになってしまいました。
基礎も知らないのに、病気と闘っていけるのか・・・
僕にはそのための武器がまだまだ足りない。他の誰よりも圧倒的に・・・
だからこそ普段から臨床のヒントを探して行きたいと思います。
でも決して一人では探しきれません。
一緒に臨床のヒントを探してみませんか?
これからの臨床のためにも!
そんな臨床のヒントを探す方法がここにあります!
認知神経リハビリテーション学会主催愛知ベーシック!
11月5日(土)・6日(日)の二日間、星城大学リハビリテーション学院で開催されます。
宮本会長を初め、基礎科学、臨床のスペシャリストの方々に講義をして頂きます。
(僭越ながら私も講義をさせて頂きます)
締め切りまであとわずかです!
ぜひ臨床のヒントを探しに来てください!
http://www.ctejapan.com/basic/basic.html#aichi
今日は娘のバレーボールの練習日。少し早めに迎えに行ったので練習を見学していました。
練習を見ながら動作分析をしたり、宙に浮いたボールとアタックする手の関係性なんかを考えていました。まあ職業柄どうしてもそうやって見てしまうところがあり、娘の頑張る姿を応援する親らしい気持ちをついつい忘れて「いかんな」と心の中でつぶやいたりしていました。
っと思いながらも頭の中をよぎったのは『自分はどこまで運動の事がわかっているのか』という運動に対する疑問でした。運動学や生理学、認知神経科学、発達心理学、社会心理学など運動に関わる学問がどれだけわかっているのかと・・・
全然何も知らない・・・
ふっとそんな自分に気が付きました。気づいた途端なんだか情けない気持ちでいっぱいになってしまいました。
基礎も知らないのに、病気と闘っていけるのか・・・
僕にはそのための武器がまだまだ足りない。他の誰よりも圧倒的に・・・
だからこそ普段から臨床のヒントを探して行きたいと思います。
でも決して一人では探しきれません。
一緒に臨床のヒントを探してみませんか?
これからの臨床のためにも!
そんな臨床のヒントを探す方法がここにあります!
認知神経リハビリテーション学会主催愛知ベーシック!
11月5日(土)・6日(日)の二日間、星城大学リハビリテーション学院で開催されます。
宮本会長を初め、基礎科学、臨床のスペシャリストの方々に講義をして頂きます。
(僭越ながら私も講義をさせて頂きます)
締め切りまであとわずかです!
ぜひ臨床のヒントを探しに来てください!
http://www.ctejapan.com/basic/basic.html#aichi
2016年10月2日日曜日
頭の位置
佐藤 郁江(岡崎南病院)
中学校の頃、学生証の証明写真を撮る時にカメラマンに頭を右にと指摘されている人がいました。自分もできるのかなと順番が来て行ってみると指摘されて直されるものの自分の中心がわからなくなる経験をしていました。自分の中で弓道を経験して身体の正中に対して注意を向けていることもありました。弓道の経験の中では頸部を左回旋している状態なので頭の位置の中間は少し経験不足なのかもしれません。認知神経リハビリテーションを経験する中で身体への注意はさらに興味を持つものとなっています。そんな中カメラマンに写真を撮ってもらう機会があったのですが、また開始時は少し頭を右にと指摘を受けていました。やはり自分の身体においてもまだ正中をとらえることのむずかしさがありました。患者さんにもこのような中間位に持っていくといったことにこだわりすぎてしまうと、訓練に進めなくなってしまうこともあるのではと思えてきました。撮影が進むうちに少しずつ頭の位置に対する指摘がなくなってきていたので少しは感じることができているのかとも思えていました。しかし最後にもっと右に傾けてとカメラマンに言われることになり私の中でここが真ん中なのかと不思議に思っていました。その後、写真のサンプルが出来上がってきて見てみると完全に右に傾いた写真が最後にありまして、言われるとおりに行っていたものの自分の感覚があっていたのだと少しほっとした経験がありました。
動作において次につなげる為に左右均衡になることで筋の負荷が少なくなりどちらかに動くことも行いやすくなるのではとも考えています。しかし、中心だけを探そうとすると自分の中でわからなくなってくるものが存在しました。また、訓練を進めていくときには患者さんが思考をすることで頭を動かしていることもあると思われます。どこまで制御してどこまでを自由にするのかを考えていかなければと思っています。
中学校の頃、学生証の証明写真を撮る時にカメラマンに頭を右にと指摘されている人がいました。自分もできるのかなと順番が来て行ってみると指摘されて直されるものの自分の中心がわからなくなる経験をしていました。自分の中で弓道を経験して身体の正中に対して注意を向けていることもありました。弓道の経験の中では頸部を左回旋している状態なので頭の位置の中間は少し経験不足なのかもしれません。認知神経リハビリテーションを経験する中で身体への注意はさらに興味を持つものとなっています。そんな中カメラマンに写真を撮ってもらう機会があったのですが、また開始時は少し頭を右にと指摘を受けていました。やはり自分の身体においてもまだ正中をとらえることのむずかしさがありました。患者さんにもこのような中間位に持っていくといったことにこだわりすぎてしまうと、訓練に進めなくなってしまうこともあるのではと思えてきました。撮影が進むうちに少しずつ頭の位置に対する指摘がなくなってきていたので少しは感じることができているのかとも思えていました。しかし最後にもっと右に傾けてとカメラマンに言われることになり私の中でここが真ん中なのかと不思議に思っていました。その後、写真のサンプルが出来上がってきて見てみると完全に右に傾いた写真が最後にありまして、言われるとおりに行っていたものの自分の感覚があっていたのだと少しほっとした経験がありました。
動作において次につなげる為に左右均衡になることで筋の負荷が少なくなりどちらかに動くことも行いやすくなるのではとも考えています。しかし、中心だけを探そうとすると自分の中でわからなくなってくるものが存在しました。また、訓練を進めていくときには患者さんが思考をすることで頭を動かしていることもあると思われます。どこまで制御してどこまでを自由にするのかを考えていかなければと思っています。
2016年9月15日木曜日
患者の学び
尾崎 正典(尾張温泉かにえ病院)
ある上腕骨骨折の患者が、初回の治療時に以前、NHKでやっていた痛みに関する番組について語った。「痛みに意識を向けてはいけないんですよね。でも分かってはいるんですが、どうしても向けちゃうんです。身体はがちがちだし、痛いところにどうしても気持ちがいってしまい、動かすとさらに痛みが出ちゃいそうで、分かっているんですが・・」痛みや、痛みの治療に関して、NHKテレビで学んだ患者である。民間のテレビとは違い、NHKというマスメディアの影響はかなり大きい。「NHKでやっていたから」というだけで、信用度が全く違う。以前も、川平法、ボツリヌス療法など放映された次の日の患者の話は、NHKの番組の話で持ちきりだった。そして、しばらく続く。すぐにセラピストの専門書を買い、持って来られる患者、実際にボツリヌス療法を行う患者、しかし、放映された患者の回復と同じ結果が出て改善されるということはほとんどない。よい結果だけを放映していることは、患者自身がよく知っているが、やはり、「よくなりたい」と思うのは当然であろう。患者は、あらゆる可能性を試してみたいと思う。
痛みの番組をみて、痛みの最前線のことを知っている患者への治療は、番組の内容の確認作業から入っていった、NHK番組というツールを通じて患者の治療を行っていき、患者の痛みは短期間で軽減され、身体のがちがち感は無くなり、洗濯干し時にのみ、若干ツッパリ感を感じる程度になっていった。患者自身の学習が患者自身の治療に役立つことを再確認した。治療にかけられる時間は限られているし、生活していく中で治療以外の時間の方が圧倒的長い。その中で、セラピストとワンツーマンでしかできないことと、患者しかできないことを見極め、アドバイスし、患者の自立した日常生活に結び付けられるような結果を出すことが、私達の仕事であり役割である。
ある上腕骨骨折の患者が、初回の治療時に以前、NHKでやっていた痛みに関する番組について語った。「痛みに意識を向けてはいけないんですよね。でも分かってはいるんですが、どうしても向けちゃうんです。身体はがちがちだし、痛いところにどうしても気持ちがいってしまい、動かすとさらに痛みが出ちゃいそうで、分かっているんですが・・」痛みや、痛みの治療に関して、NHKテレビで学んだ患者である。民間のテレビとは違い、NHKというマスメディアの影響はかなり大きい。「NHKでやっていたから」というだけで、信用度が全く違う。以前も、川平法、ボツリヌス療法など放映された次の日の患者の話は、NHKの番組の話で持ちきりだった。そして、しばらく続く。すぐにセラピストの専門書を買い、持って来られる患者、実際にボツリヌス療法を行う患者、しかし、放映された患者の回復と同じ結果が出て改善されるということはほとんどない。よい結果だけを放映していることは、患者自身がよく知っているが、やはり、「よくなりたい」と思うのは当然であろう。患者は、あらゆる可能性を試してみたいと思う。
痛みの番組をみて、痛みの最前線のことを知っている患者への治療は、番組の内容の確認作業から入っていった、NHK番組というツールを通じて患者の治療を行っていき、患者の痛みは短期間で軽減され、身体のがちがち感は無くなり、洗濯干し時にのみ、若干ツッパリ感を感じる程度になっていった。患者自身の学習が患者自身の治療に役立つことを再確認した。治療にかけられる時間は限られているし、生活していく中で治療以外の時間の方が圧倒的長い。その中で、セラピストとワンツーマンでしかできないことと、患者しかできないことを見極め、アドバイスし、患者の自立した日常生活に結び付けられるような結果を出すことが、私達の仕事であり役割である。
2016年9月1日木曜日
バリバラ 検証!「障害者×感動」の方程式 (Eテレ)
荻野 敏(国府病院)
バリバラ 検証!「障害者×感動」の方程式 (Eテレ)
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239
24時間テレビが嫌いだ。
と言うより、「24時間テレビに違和感を覚える」と言ったほうがしっくりくる。そうは言っても、僕が理学療法士を目指すきっかけになったのは24時間テレビを見た経験だった。たしか中学のときに放送されていた特集で、障害者に対してリハビリテーションを行う職業として理学療法士が紹介されていたと記憶している。一時期は大好きでよく見ていたが、実際に理学療法士になってからはまったく見なくなった。理由はあんまりはっきりしない。とにかく違和感があった。常に感動、感動、感動の押し付け、そして芸能人がマラソンしてゴールするという不可解。このマラソンにはまったく意味が感じられなかった。
2016年8月28日(日)午後7時
まさにこの番組が生番組で放送された。そして裏番組ではその24時間テレビがクライマックスを迎えている!!
かなり挑戦的なタイトル!番組のホームページにはこう書かれている。
////////////////////////////////////////
「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。
////////////////////////////////////////
ものすごくすっきり!!!もちろん録画!ちなみにバリバラとはバリアフリーバラエティの略だそうだ。
「感動ポルノ」という言葉がある。
////////////////////////////////////////
私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません……。2014年12月に亡くなったコメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏は、従来の「気の毒な障害者」という枠を破った率直な発言で人気を集めました。健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する社会の理解を求めました。(TED2014より)
////////////////////////////////////////
TEDに出演したStella Youngさんは講演の中で以下のように述べている(一部改変しております)
////////////////////////////////////////
私たちは、障害を悪いものとしてとらえてきました。障害はマイナスである。そして、障害と共に生きることは素晴らしいことであると。障害は悪いことではないのです。そして、障害があるからといって、あなたが素晴らしい人間だというわけでもありません。さらに過去数年間、ソーシャルメディアによって、この手の嘘はより広く伝えられてきました。みなさんも、このような画像を見たことがあるのではないでしょうか。
「ネガティブな態度こそが、この世で唯一の障害だ」
「言い訳は通用しない」
「諦める前に、やってみろ!」
これらはほんの一例に過ぎませんが、こういったイメージは世の中にあふれています。みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。(一部改変)
////////////////////////////////////////
バリバラの番組内で、障害者の感動を描いたドラマなどが好きかどうかをアンケートで聞いていた。健常者の約半数、障害者の1O%が好きと答えた。健常者は、「がんばっていることに感動する」とか「改めて自分の幸せを感じられる」といった理由を挙げていた。障害者は、「感動でも何でも取り上げてくれたら良い」といった理由だった。僕の24時間テレビへの違和感はこの感動ポルノを基礎としたものだった。障害者ががんばって障害を克服するというストーリーは健常者の上から目線であり、そのことで自分を慰める単なる健常者の防衛機制、いやいや「マスターベーション」だ!
理学療法士や作業療法士がこんなに増え、バリアフリーだ、ノーマライゼーションだなんだかんだ言われているけど、まったく変わっていない。障害者だって普通に生活しているだけでしょおが!
『私は障害者向けのデリヘル嬢』(大橋みゆき著 ブックマン社 2005)という本がある。タイトルどおり、障害者専門のデリヘルを経験した女性のノンフィクションだ。障害者だって性欲はある、当たり前だ、人間なんだから。知らず知らず、障害者は努力をしている聖人のような扱いをされて、性欲なんて・・・・・・といった風潮がありませんか?
きっと、感動ポルノの根底にはもっと根深いものがあるのだろう。
つーか、もし僕がSNS持っていて、こんなこと書いていたら、荒れるんだろうなぁ・・・・・
( ̄Д ̄;;
バリバラ 検証!「障害者×感動」の方程式 (Eテレ)
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239
24時間テレビが嫌いだ。
と言うより、「24時間テレビに違和感を覚える」と言ったほうがしっくりくる。そうは言っても、僕が理学療法士を目指すきっかけになったのは24時間テレビを見た経験だった。たしか中学のときに放送されていた特集で、障害者に対してリハビリテーションを行う職業として理学療法士が紹介されていたと記憶している。一時期は大好きでよく見ていたが、実際に理学療法士になってからはまったく見なくなった。理由はあんまりはっきりしない。とにかく違和感があった。常に感動、感動、感動の押し付け、そして芸能人がマラソンしてゴールするという不可解。このマラソンにはまったく意味が感じられなかった。
2016年8月28日(日)午後7時
まさにこの番組が生番組で放送された。そして裏番組ではその24時間テレビがクライマックスを迎えている!!
かなり挑戦的なタイトル!番組のホームページにはこう書かれている。
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「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。
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ものすごくすっきり!!!もちろん録画!ちなみにバリバラとはバリアフリーバラエティの略だそうだ。
「感動ポルノ」という言葉がある。
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私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません……。2014年12月に亡くなったコメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏は、従来の「気の毒な障害者」という枠を破った率直な発言で人気を集めました。健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する社会の理解を求めました。(TED2014より)
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TEDに出演したStella Youngさんは講演の中で以下のように述べている(一部改変しております)
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私たちは、障害を悪いものとしてとらえてきました。障害はマイナスである。そして、障害と共に生きることは素晴らしいことであると。障害は悪いことではないのです。そして、障害があるからといって、あなたが素晴らしい人間だというわけでもありません。さらに過去数年間、ソーシャルメディアによって、この手の嘘はより広く伝えられてきました。みなさんも、このような画像を見たことがあるのではないでしょうか。
「ネガティブな態度こそが、この世で唯一の障害だ」
「言い訳は通用しない」
「諦める前に、やってみろ!」
これらはほんの一例に過ぎませんが、こういったイメージは世の中にあふれています。みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。(一部改変)
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バリバラの番組内で、障害者の感動を描いたドラマなどが好きかどうかをアンケートで聞いていた。健常者の約半数、障害者の1O%が好きと答えた。健常者は、「がんばっていることに感動する」とか「改めて自分の幸せを感じられる」といった理由を挙げていた。障害者は、「感動でも何でも取り上げてくれたら良い」といった理由だった。僕の24時間テレビへの違和感はこの感動ポルノを基礎としたものだった。障害者ががんばって障害を克服するというストーリーは健常者の上から目線であり、そのことで自分を慰める単なる健常者の防衛機制、いやいや「マスターベーション」だ!
理学療法士や作業療法士がこんなに増え、バリアフリーだ、ノーマライゼーションだなんだかんだ言われているけど、まったく変わっていない。障害者だって普通に生活しているだけでしょおが!
『私は障害者向けのデリヘル嬢』(大橋みゆき著 ブックマン社 2005)という本がある。タイトルどおり、障害者専門のデリヘルを経験した女性のノンフィクションだ。障害者だって性欲はある、当たり前だ、人間なんだから。知らず知らず、障害者は努力をしている聖人のような扱いをされて、性欲なんて・・・・・・といった風潮がありませんか?
きっと、感動ポルノの根底にはもっと根深いものがあるのだろう。
つーか、もし僕がSNS持っていて、こんなこと書いていたら、荒れるんだろうなぁ・・・・・
( ̄Д ̄;;
2016年8月17日水曜日
手触りと“眼触り”の脳を探る
井内 勲(岡崎共立病院)
手触りと“眼触り”の脳を探る
雑誌: BRAIN and NERVE 67(6):691-700,2015
著者: 山本洋紀
著者は上記の雑誌にて脳と「質感」の特集の中で、自らの行っている眼と手による質感を探る脳機能イメージングの研究を紹介している。
15人のナイーブな健常成人の被験者に2種類の布を視覚刺激と、触覚刺激で提示し、現在呈示されている布が1つ前に呈示されたものより硬いか、柔らかいか、同じか、わからないかを判断し報告させる。それらをランダムな順番とタイミングで4種類(2種類の素材×[眼、手])おこない、その間の脳活動をfMRIで測定、脳活動データーにMVPAを適応して質感について3種類の脳表象(視覚、触覚、その共通表象)を全脳で探すという方法である。
結果的には見ていた布は視覚野だけでなく触覚野の活動からも解読でき、触っていた布は触覚野だけでなく視覚野でも解読できた。さらに、眼でも手でも質感が区別できる領域が連合野と感覚野(視覚野・触覚野)に見つかった。眼で見て手で触れるだけでなく、物を見るだけで、柔らかそうといった触覚的な印象を得たり、なんだか気持ちよさそうで触りたくなる、例えばふかふかのマフラーや赤ちゃんの丸いほっぺなど、眼で触り手で見ているかのような脳の振る舞いは、視覚と触覚の情報が視覚野、聴覚野の間を連合野を介して複雑に行き交う様で、冒頭で筆者はこれらを質感のクロスモーダル性であり、眼で触り手で見えるかのような脳の振る舞いは質感の感性面の顕れかもしれない、とも紹介している。
以上、本文より本当に簡単に抜粋、要約してみたが、当然ながら論文には詳細な脳活動の部位やさらに従来の知見のまとめからの比較や、考察がしっかりと記されている。また異種感覚統合の場としての運動前野、頭頂連合野の前頭頂間野:AIP、腹側頭頂間野:VIP、側頭頭頂接合部:TPJなどと質感知覚、クロスモダール性との関係も論じてあり、自身にとって研究方法の理解に苦渋したが興味深い内容であった。
手触りと“眼触り”の脳を探る
雑誌: BRAIN and NERVE 67(6):691-700,2015
著者: 山本洋紀
著者は上記の雑誌にて脳と「質感」の特集の中で、自らの行っている眼と手による質感を探る脳機能イメージングの研究を紹介している。
15人のナイーブな健常成人の被験者に2種類の布を視覚刺激と、触覚刺激で提示し、現在呈示されている布が1つ前に呈示されたものより硬いか、柔らかいか、同じか、わからないかを判断し報告させる。それらをランダムな順番とタイミングで4種類(2種類の素材×[眼、手])おこない、その間の脳活動をfMRIで測定、脳活動データーにMVPAを適応して質感について3種類の脳表象(視覚、触覚、その共通表象)を全脳で探すという方法である。
結果的には見ていた布は視覚野だけでなく触覚野の活動からも解読でき、触っていた布は触覚野だけでなく視覚野でも解読できた。さらに、眼でも手でも質感が区別できる領域が連合野と感覚野(視覚野・触覚野)に見つかった。眼で見て手で触れるだけでなく、物を見るだけで、柔らかそうといった触覚的な印象を得たり、なんだか気持ちよさそうで触りたくなる、例えばふかふかのマフラーや赤ちゃんの丸いほっぺなど、眼で触り手で見ているかのような脳の振る舞いは、視覚と触覚の情報が視覚野、聴覚野の間を連合野を介して複雑に行き交う様で、冒頭で筆者はこれらを質感のクロスモーダル性であり、眼で触り手で見えるかのような脳の振る舞いは質感の感性面の顕れかもしれない、とも紹介している。
以上、本文より本当に簡単に抜粋、要約してみたが、当然ながら論文には詳細な脳活動の部位やさらに従来の知見のまとめからの比較や、考察がしっかりと記されている。また異種感覚統合の場としての運動前野、頭頂連合野の前頭頂間野:AIP、腹側頭頂間野:VIP、側頭頭頂接合部:TPJなどと質感知覚、クロスモダール性との関係も論じてあり、自身にとって研究方法の理解に苦渋したが興味深い内容であった。
