首藤 康聡(岡崎南病院)
うちの家族が最近はまっているバレー漫画がハリガネサービス。以下は簡単なストーリ。
中学時代、怪我でバレー部のレギュラーになれなかった下平鉋。都立豊瀬高校に入学した彼は、縦横無尽に操れるサーブを武器に再びバレー部に入部し見事レギュラーを獲得。そして初めての公式戦。見事インターハイ予選一回戦を勝ち抜いた彼らは、続く第2試合でトリッキーなプレイを展開する竜泉学園ペースを崩され第1セットを落としてしまう。そしてこの竜戦学園を指揮する雨竜監督は豊瀬高校の山縣監督が初めて指導者として全国大会に出場した時の教え子だった。さあ対戦相手に翻弄される豊瀬高校のメンバーは果たしてこの局面を打開するのか!
といった感じの漫画なんですが、この豊瀬高校の山縣監督は全国大会に初めて出場した頃から色んなスポーツをバレーボールに応用できないか常に考えていたそうです。だから怪我で片足でしかジャンプのできない下平にその練習のため、ハンドボール部に入部させたりしています。どうやらバレーボールの片足ジャンプでのアタックとハンドボールのジャンプシュートが似ているということで下平の練習にはうってつけと考えたようです(あくまで漫画の話ですのであしからず)。これってなんだかペルフェッティ先生と似てると思いませんか?何を見ても認知のヒントにならないかって考える事と同じじゃありませんか?以前は良くそんな話を聞いていたんですが、最近ちょっと聞いていなかったなあと感じています。
そしてこの雨竜監督が率いる竜泉学園のメンバーは元々他のスポーツの経験者です。野球部やサッカー部、クラッシクバレーの経験者もいます。だから手でトスを上げる代わりに、ヘディングでトスを上げたりしています。それぞれが自分の得意なスポーツでバレーボールを行うので、非常に変則的で予想外の攻撃が展開されるんですが当然、豊瀬高校のメンバーはそのようなチームと対戦した経験がないからどう戦えばいいのかわからず、苦戦を強いられています。経験がないから予測しにくいわけです。う〜んなるほどと思っている時にふと気づいたことがあります。この雨竜監督がこの様なチームを作ったのは昔から他のスポーツを見てバレーボールに応用できないか考えていた山縣監督の影響があるからだということです。
山縣監督の考え方、その指導があったおかげで雨竜監督はチームを作りあげ今では対戦相手として苦戦させられるまで成長しているわけです。これって指導者として非常に嬉しい事だと思いませんか?きっと嬉しい事ですよね。さてさてペルフェッティ先生は僕たち日本のセラピストをどのように見ているのでしょうか?僕たちの事を嬉しく思ってくれているのでしょうか?もちろんペルフェッティ先生のために治療をしているわけではありません。だけどペルフェッティ先生が嬉しいと思ってもらえるほどの治療が我々にできているのでしょうか?まだまだ満足しては入られませんね。自分の臨床。愛知の臨床。そして日本の臨床。もっと切磋琢磨していかなければと反省させられました。
2015年11月2日月曜日
媒介過程
佐藤 郁江(岡崎南病院)
『認知心理学』仲真紀子編著 ミネルヴァ書房
「ヘッブは、無意識は感覚支配的な過程だが、意識は先行する心理状態に応じた反応が選択的に返せる過程だとした(ヘッブはこれを媒介過程と呼んだ)」
『認知心理学』の本の中にこのように書かれている部分がありました。認知神経リハビリテーションの中でも運動を意識しているのか、無意識に行っているのかといった話があると思います。一つの意識の考え方として存在しています。ヘッブの考え方の前に意識とはいわば「内観」ができる。内観できるか否かは、日常的に言う「気づき」や「意識」の概念と近いとされていました。今まで果たしは内観できるといった考え方の気づきということに注目が向いていたと思います。それに対して危険信号に対しては感覚支配的な過程で、刺激に対して逃げる逃避反射などの存在が無意識であり、中止させることのできるものを意識としても考えることができるのではと考えています。
この説明の中で媒介過程の例はたす(和)やかける(積)で、数字の刺激に対して選択的な反応を行うことのっできる過程であるとしています。
動作の中での意図いう部分がここに重なってくるようにも思っています。
『認知心理学』仲真紀子編著 ミネルヴァ書房
「ヘッブは、無意識は感覚支配的な過程だが、意識は先行する心理状態に応じた反応が選択的に返せる過程だとした(ヘッブはこれを媒介過程と呼んだ)」
『認知心理学』の本の中にこのように書かれている部分がありました。認知神経リハビリテーションの中でも運動を意識しているのか、無意識に行っているのかといった話があると思います。一つの意識の考え方として存在しています。ヘッブの考え方の前に意識とはいわば「内観」ができる。内観できるか否かは、日常的に言う「気づき」や「意識」の概念と近いとされていました。今まで果たしは内観できるといった考え方の気づきということに注目が向いていたと思います。それに対して危険信号に対しては感覚支配的な過程で、刺激に対して逃げる逃避反射などの存在が無意識であり、中止させることのできるものを意識としても考えることができるのではと考えています。
この説明の中で媒介過程の例はたす(和)やかける(積)で、数字の刺激に対して選択的な反応を行うことのっできる過程であるとしています。
動作の中での意図いう部分がここに重なってくるようにも思っています。
2015年10月16日金曜日
再会
尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)
第16回日本認知神経リハビリテーション学会が神戸市で10月3日から開催されました。
「運動麻痺の回復」をテーマにした学会に、全国各地から多くのセラピストが参加されました。
学会のレセプションで、ある新人セラピストに声をかけられました。以前、当院の新入職員募集の求人で見学に来て頂き、面接まで受けて頂いたのですが、採用には至らなかった方でしたが、病院見学の際に色々な話をさせて頂いた中で、認知神経リハビリテーションの話をさせて頂いたのをきっかけに認知神経リハを学習されているそうです。残念ながら、当院で共に勤務し、学習することはできませんでしたが、神戸という地で再会し、認知神経リハに興味をもたれ、日々真摯に学習されていることを大変うれしく思いました。
また、何が学習のきっかけになるのかわからないということと、人の「縁」というものを感じました。
その方は、交通事故で自身もリハ治療を経験されたそうです。患者の視点で患者の世界を知っており、患者によりそった治療をすることができるセラピストだと思います。
その方は言われました、「こんなに運動機能回復に真剣に取り組む多くの方々がいるなんて・・・」と。認知神経リハの学会に参加されている方々は、患者の真の願いである機能回復を追求しているセラピストです。
同じ職場では学習はできませんでしたが、この再会を機会に、これから様々なディスカッションをし、共に学び、一人でも多くの患者を回復させることができればと思います。
第16回日本認知神経リハビリテーション学会が神戸市で10月3日から開催されました。
「運動麻痺の回復」をテーマにした学会に、全国各地から多くのセラピストが参加されました。
学会のレセプションで、ある新人セラピストに声をかけられました。以前、当院の新入職員募集の求人で見学に来て頂き、面接まで受けて頂いたのですが、採用には至らなかった方でしたが、病院見学の際に色々な話をさせて頂いた中で、認知神経リハビリテーションの話をさせて頂いたのをきっかけに認知神経リハを学習されているそうです。残念ながら、当院で共に勤務し、学習することはできませんでしたが、神戸という地で再会し、認知神経リハに興味をもたれ、日々真摯に学習されていることを大変うれしく思いました。
また、何が学習のきっかけになるのかわからないということと、人の「縁」というものを感じました。
その方は、交通事故で自身もリハ治療を経験されたそうです。患者の視点で患者の世界を知っており、患者によりそった治療をすることができるセラピストだと思います。
その方は言われました、「こんなに運動機能回復に真剣に取り組む多くの方々がいるなんて・・・」と。認知神経リハの学会に参加されている方々は、患者の真の願いである機能回復を追求しているセラピストです。
同じ職場では学習はできませんでしたが、この再会を機会に、これから様々なディスカッションをし、共に学び、一人でも多くの患者を回復させることができればと思います。
2015年9月29日火曜日
昔話法廷
荻野 敏(国府病院)
昔話法廷(Eテレ)
http://www.nhk.or.jp/sougou/houtei/
またまたファンキーな番組をやってくれていました、Eテレ!
今回は昔話で起きた事件を題材に法で裁くというちょー難問。先生向けのページというのもあってそこにはこう書かれています。
「この法廷ドラマの特徴は、最後に判決が出ないことです。判決を下すのは、それを教室で観た子どもたちです。一人一人が「裁判員」として、争点は何か、被告人はなぜ罪を犯したのか、証拠は信用に足るのか、どれぐらいの量刑が妥当なのか、登場人物の言い分をもとに議論を交わしていきます。」
本当の裁判みたいに番組は進行していきます。しかも裁判員裁判ですので、一般のわれわれも判決に加わらなければいけないかもしれない。そういう視点で見ていくと、結構意見が分かれそうです。そして検察や弁護人の陳述によっても、自分の意見がぐらつくのがわかります。
たかだか、15分の番組です。第1話が「三匹のこぶた」、第2話が「カチカチ山」、第3話が「白雪姫」です。それぞれ、こぶたが狼を殺したのは殺人かそれとも正当防衛か? ウサギがたぬきを懲らしめたのは認めているがウサギは刑務所に送られるべきかそれとも執行猶予か? 王妃が白雪姫を殺そうとしたが王妃は全面否定、では有罪か無罪か?
あくまで思考することが目的なので番組の結論は出ないままで、めっちゃフラストレーションが溜まります(笑)。奥さんとそのあとディスカッションしてみたんですが、僕も奥さんも主張が違っていて、結論はまったく違っていました。裁判員裁判なら多数決に持ち込まれるでしょうね。
昔話を法廷にかけるという視点。見方によって主張が違うという視点。同じ番組を見ても意見が違うという視点。こういう視点に気づかせてもらいました。
昔話法廷(Eテレ)
http://www.nhk.or.jp/sougou/houtei/
またまたファンキーな番組をやってくれていました、Eテレ!
今回は昔話で起きた事件を題材に法で裁くというちょー難問。先生向けのページというのもあってそこにはこう書かれています。
「この法廷ドラマの特徴は、最後に判決が出ないことです。判決を下すのは、それを教室で観た子どもたちです。一人一人が「裁判員」として、争点は何か、被告人はなぜ罪を犯したのか、証拠は信用に足るのか、どれぐらいの量刑が妥当なのか、登場人物の言い分をもとに議論を交わしていきます。」
本当の裁判みたいに番組は進行していきます。しかも裁判員裁判ですので、一般のわれわれも判決に加わらなければいけないかもしれない。そういう視点で見ていくと、結構意見が分かれそうです。そして検察や弁護人の陳述によっても、自分の意見がぐらつくのがわかります。
たかだか、15分の番組です。第1話が「三匹のこぶた」、第2話が「カチカチ山」、第3話が「白雪姫」です。それぞれ、こぶたが狼を殺したのは殺人かそれとも正当防衛か? ウサギがたぬきを懲らしめたのは認めているがウサギは刑務所に送られるべきかそれとも執行猶予か? 王妃が白雪姫を殺そうとしたが王妃は全面否定、では有罪か無罪か?
あくまで思考することが目的なので番組の結論は出ないままで、めっちゃフラストレーションが溜まります(笑)。奥さんとそのあとディスカッションしてみたんですが、僕も奥さんも主張が違っていて、結論はまったく違っていました。裁判員裁判なら多数決に持ち込まれるでしょうね。
昔話を法廷にかけるという視点。見方によって主張が違うという視点。同じ番組を見ても意見が違うという視点。こういう視点に気づかせてもらいました。
2015年9月3日木曜日
実行機能の発達から考える
岡崎共立病院 井内勲
第14回の学術集会で「実行機能の初期発達とその脳内機構」というテーマで講演をして頂いた、森口佑介先生(上越教育大学大学院・科学技術振興機構さきがけ)の文書が当院の言語聴覚療法の待合にある本棚にあったので紹介する。
『発達教育』という公益社団法人 発達協会が発行している月刊誌の2015年7月、8月、9月号にて「実行機能が発達する道すじ」として連載されていた。
7月号は「実行機能の初期発達とその重要性」という題で、「ある場面において優位な行動(選択されやすい行動)を抑制したり、行動を切り替えたりすることで、目標遂行を可能にする能力」と実行機能の説明を、例えに欲求をアクセル、実行機能をブレーキやハンドルとういう表現も加えて解説している。また研究から実行機能の発達時期(概ね5歳頃まで)や神経基盤が前頭前野の一部領域(学会の講義では下前頭領域との関連を紹介されていた)の発達と関連しているとし、更に興味深い内容として実行機能の個人差が小学校入学後の国語や算数の成績と関係することや、実行機能を含めた自己制御能力が高い子どもは児童期や青年期の友人関係が良好で、成人後も収入や社会的地位が高く、健康状態が良好という証拠も示されていると初期発達の重要性を述べている。
8月号では「実行機能の発達に影響する遺伝的・環境的要因」として二つの重要な要因を説明している。自分としては後者の環境的要因の研究で、幼児とぬいぐるみとのやりとりに注目した研究がヒントとなった。事前に幼児にルール切り替え課題をおこない、そこで失敗した幼児のみに対して、先の課題のルールをぬいぐるみに対して遊びの中で教えるように指示した。結果は、ぬいぐるみに課題のルールを教えることで、自らの課題の成績を向上させ、更に前頭前野の活動も教えることを通じて高まった。という内容である。
目標遂行にあたり、目標志向的な行動の実現においては他者との関係(ここでは仲間とのやりとり)が前頭葉の活動も高め、実行機能の発達を促進する可能性が示唆されたことは、我々の患者とセラピストといった関係や、上司と部下といった組織教育場面においても置き換えて考える事が出来るのではないかと感じた。単に与えるといった指示だけでは困難な場合があり、違う位置(立場)から自分をみてもらい伝えてもらう事も重要であるように思った。
最後の9月号は「実行機能の発達に問題を抱える子ども」について、自閉症スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などの紹介から支援について筆者の見解が述べられている。先にもあったように実行機能が前頭前野の発達と密接にかかわっているという事からも、この領域が様々な脳領域とネットワークを築いており、その発達も他の脳領域に比べ時間がかかるという特徴がある。よって実行機能が様々な障害に関わるのは事実だとしても、実行機能のみに着目し、実行機能のみを標的とした支援をしていても意味がないかもしれない、日常的な行動として実行機能の弱さが見られるとしても、実行機能とそれ以外の能力の弱さを考慮した支援が必要であると筆者が論じている。これらからもあらためて、脳の障害部位を機能局在としてみることではなくシステムとして全体を考え、影響のある要因を考慮した評価・治療も必要であると再認識させられた。
今回、紹介した『発達教育』は表紙にも「発達につまずきのある子どもの子育てと保育・教育を応援します。」とあるように、医療従事者への専門書というよりも対象読者は一般向けの雑誌である。したがって比較的分かりやすい言い回しで書かれているので読みやすく、導入としては十分であった。また、さらには研究の紹介や参考文献もしっかりと載せられており、筆者が考える今後の仮説や課題もあり十分に参考となった。
第14回の学術集会で「実行機能の初期発達とその脳内機構」というテーマで講演をして頂いた、森口佑介先生(上越教育大学大学院・科学技術振興機構さきがけ)の文書が当院の言語聴覚療法の待合にある本棚にあったので紹介する。
『発達教育』という公益社団法人 発達協会が発行している月刊誌の2015年7月、8月、9月号にて「実行機能が発達する道すじ」として連載されていた。
7月号は「実行機能の初期発達とその重要性」という題で、「ある場面において優位な行動(選択されやすい行動)を抑制したり、行動を切り替えたりすることで、目標遂行を可能にする能力」と実行機能の説明を、例えに欲求をアクセル、実行機能をブレーキやハンドルとういう表現も加えて解説している。また研究から実行機能の発達時期(概ね5歳頃まで)や神経基盤が前頭前野の一部領域(学会の講義では下前頭領域との関連を紹介されていた)の発達と関連しているとし、更に興味深い内容として実行機能の個人差が小学校入学後の国語や算数の成績と関係することや、実行機能を含めた自己制御能力が高い子どもは児童期や青年期の友人関係が良好で、成人後も収入や社会的地位が高く、健康状態が良好という証拠も示されていると初期発達の重要性を述べている。
8月号では「実行機能の発達に影響する遺伝的・環境的要因」として二つの重要な要因を説明している。自分としては後者の環境的要因の研究で、幼児とぬいぐるみとのやりとりに注目した研究がヒントとなった。事前に幼児にルール切り替え課題をおこない、そこで失敗した幼児のみに対して、先の課題のルールをぬいぐるみに対して遊びの中で教えるように指示した。結果は、ぬいぐるみに課題のルールを教えることで、自らの課題の成績を向上させ、更に前頭前野の活動も教えることを通じて高まった。という内容である。
目標遂行にあたり、目標志向的な行動の実現においては他者との関係(ここでは仲間とのやりとり)が前頭葉の活動も高め、実行機能の発達を促進する可能性が示唆されたことは、我々の患者とセラピストといった関係や、上司と部下といった組織教育場面においても置き換えて考える事が出来るのではないかと感じた。単に与えるといった指示だけでは困難な場合があり、違う位置(立場)から自分をみてもらい伝えてもらう事も重要であるように思った。
最後の9月号は「実行機能の発達に問題を抱える子ども」について、自閉症スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などの紹介から支援について筆者の見解が述べられている。先にもあったように実行機能が前頭前野の発達と密接にかかわっているという事からも、この領域が様々な脳領域とネットワークを築いており、その発達も他の脳領域に比べ時間がかかるという特徴がある。よって実行機能が様々な障害に関わるのは事実だとしても、実行機能のみに着目し、実行機能のみを標的とした支援をしていても意味がないかもしれない、日常的な行動として実行機能の弱さが見られるとしても、実行機能とそれ以外の能力の弱さを考慮した支援が必要であると筆者が論じている。これらからもあらためて、脳の障害部位を機能局在としてみることではなくシステムとして全体を考え、影響のある要因を考慮した評価・治療も必要であると再認識させられた。
今回、紹介した『発達教育』は表紙にも「発達につまずきのある子どもの子育てと保育・教育を応援します。」とあるように、医療従事者への専門書というよりも対象読者は一般向けの雑誌である。したがって比較的分かりやすい言い回しで書かれているので読みやすく、導入としては十分であった。また、さらには研究の紹介や参考文献もしっかりと載せられており、筆者が考える今後の仮説や課題もあり十分に参考となった。
2015年8月15日土曜日
仮説を立てるための知識について ( 3 )
若月 勇輝(西尾病院)
前回のヒントでは,私が考える理想の知識収集方法について記載した.今回は知識収集のために必要となる論文検索方法について述べる.
論文検索は基本的にはインターネットを使用することが多いと思う.検索エンジンとしてはGoogle scholarやPubmed,Jstage,Cinii,メディカルオンラインがある.日本語論文の場合,Jstage,Cinii,メディカルオンラインを使用し,英論文の場合,Google scholarやPubmedを使用する.有料でダウンロードするのはメディカルオンラインである.無料でダウンロードできるのは,Google scholarやPubmed,Jstage,Ciniiであり,一部有料や複写依頼が必要となる.
検索エンジンに入力するキーワードによってはヒット数がかなり多くなり,どれを読めば良いかわからなくなることがある.ダウンロードした論文を全て読もうと試みたことはあるが,多くの時間を要することや,知りたい情報が何か分からなくなってしまうという問題があった.そのため,より知りたい情報に早くたどり着くためには,より的確なキーワードを入力し,論文を絞り込む必要がある.
この問題を解決するためには,疑問を明確にし,キーワードをより的確にする必要がある.私は「 PICO 」と呼ばれる方法を用いている.これは,疑問を定式化する方法であり,印象 ( インプレッション ) から臨床の疑問 ( クリニカルクエッション ) にすることができる.例えば,「 認知症患者の疼痛をどのように評価すれば良いのか? 」という疑問がある.この場合はキーワードとして「 認知症,疼痛,評価 」とするかもしれない.しかし,この3つのキーワードで検索すると,多くの論文がヒットする.ここで先ほど紹介したPICOを使用する.これは,P : patient ( 患者 ) ,I : intervention ( 介入 ) C : comparison ( 比較 ) ,O : outcome ( 結果 ) に当てはめることで,臨床での印象が,明確な疑問となる.例を参考にすれば,「 認知症患者へ ( P ) ,疼痛の評価をすると ( I ) ,健常高齢者と比較して ( C ) ,妥当なのか ( O ) ? 」といったようなはっきりとした疑問になる.この場合,キーワードとしては,「 認知症,疼痛,評価,健常高齢者,妥当 」と入力することで,「 認知症,疼痛,評価 」よりも検索論文を絞り込むことができ,自分が知りたい論文へ,より早くたどり着くことができる.実際にPubmedで「dementia pain assessment」と検索すると707件ヒットするが,「 dementia pain assessment healthy elderly validity 」と検索すると1件のヒットとなる.( 2015.8.10検索 )
読者が論文を検索するためのヒントになれば幸いである.
以下のサイトにもPICOについて解説しているので参考にして頂きたい.http://plaza.umin.ac.jp/~literis/ebm/buildingquestion.html
前回のヒントでは,私が考える理想の知識収集方法について記載した.今回は知識収集のために必要となる論文検索方法について述べる.
論文検索は基本的にはインターネットを使用することが多いと思う.検索エンジンとしてはGoogle scholarやPubmed,Jstage,Cinii,メディカルオンラインがある.日本語論文の場合,Jstage,Cinii,メディカルオンラインを使用し,英論文の場合,Google scholarやPubmedを使用する.有料でダウンロードするのはメディカルオンラインである.無料でダウンロードできるのは,Google scholarやPubmed,Jstage,Ciniiであり,一部有料や複写依頼が必要となる.
検索エンジンに入力するキーワードによってはヒット数がかなり多くなり,どれを読めば良いかわからなくなることがある.ダウンロードした論文を全て読もうと試みたことはあるが,多くの時間を要することや,知りたい情報が何か分からなくなってしまうという問題があった.そのため,より知りたい情報に早くたどり着くためには,より的確なキーワードを入力し,論文を絞り込む必要がある.
この問題を解決するためには,疑問を明確にし,キーワードをより的確にする必要がある.私は「 PICO 」と呼ばれる方法を用いている.これは,疑問を定式化する方法であり,印象 ( インプレッション ) から臨床の疑問 ( クリニカルクエッション ) にすることができる.例えば,「 認知症患者の疼痛をどのように評価すれば良いのか? 」という疑問がある.この場合はキーワードとして「 認知症,疼痛,評価 」とするかもしれない.しかし,この3つのキーワードで検索すると,多くの論文がヒットする.ここで先ほど紹介したPICOを使用する.これは,P : patient ( 患者 ) ,I : intervention ( 介入 ) C : comparison ( 比較 ) ,O : outcome ( 結果 ) に当てはめることで,臨床での印象が,明確な疑問となる.例を参考にすれば,「 認知症患者へ ( P ) ,疼痛の評価をすると ( I ) ,健常高齢者と比較して ( C ) ,妥当なのか ( O ) ? 」といったようなはっきりとした疑問になる.この場合,キーワードとしては,「 認知症,疼痛,評価,健常高齢者,妥当 」と入力することで,「 認知症,疼痛,評価 」よりも検索論文を絞り込むことができ,自分が知りたい論文へ,より早くたどり着くことができる.実際にPubmedで「dementia pain assessment」と検索すると707件ヒットするが,「 dementia pain assessment healthy elderly validity 」と検索すると1件のヒットとなる.( 2015.8.10検索 )
読者が論文を検索するためのヒントになれば幸いである.
以下のサイトにもPICOについて解説しているので参考にして頂きたい.http://plaza.umin.ac.jp/~literis/ebm/buildingquestion.html
2015年8月2日日曜日
電車の中で
首藤 康聡(岡崎南病院)
先日、ある勉強会に参加している途中でふと思った事を書いていきたいと思います。僕は以前にもその勉強会に参加させて頂き、今回もまた改めて学びたいと思い勉強会へ申し込ませて頂きました。確か今回の勉強会の申し込みを知ったのはFacebookでした。最近は多くの勉強会の情報がSMS上でも知る事が出来る様になり、より多くの情報が僕たちの手元に届く様になってきている事に便利な世の中になったなと思っています。僕が理学療法士免許を取った頃は情報の多くは協会誌や各学会誌などで申し込みも往復はがきを使っていました。今はほとんどの勉強会がネット上で申し込みができたり、新しい情報がすぐにネットで更新されたりするので非常に助かっています。
さて、この勉強会に参加しようと意思決定をしたのは紛れもなく僕自身です。僕自身で勉強会の内容をネットの情報や過去の参加した時の印象などを考えて申し込みをしたわけです。なんでそんな事を考え始めたのか覚えてはいませんが、会場に向かう電車の中でそんな事を考えていました。そこでふと疑問がわきました。それは、その意思決定は果たして自分で行ったと言えるのかという疑問です。
確かにその勉強会に参加を決めたのは僕自身です。なんですが、その決定を下すまでにはその勉強会の情報(例えば開催日時や場所、内容、講師など)や仕事、家族の予定など様々な要件を考えて参加を決めたわけですからそこには僕以外のなにかが関わっているわけです。とするとやはり僕の意思決定は自分自身で決めたとはちょっと言えない様な気がします。別にそんな事気にしなくてもいいんじゃないと言われるかもしれませんが、もしこれが患者さんの立場だったらどうでしょう?
認知神経リハビリテーションでは患者さんに訓練中に能動的探索が求められます。この能動的探索は自分自身の意思決定なわけですが、先ほどの様に考えてみるとこの意思決定に至るまでには多くの何かが関わっていたはずです。そしてその何かには当然セラピストもいるわけです。セラピストは患者さんにとって外部環境です。その外部環境であるセラピストは患者さんの意思決定に影響を与えます。では僕たちセラピストは患者さんにどの様に振る舞えば能動的探索へと導く事が出来るのでしょうか?なかなか答えが出ないまま結局、電車が到着してしまいました。答えは一つではないかもしれません。患者さん一人一人に合わせるしかないんじゃないという意見も聞こえてきそうな気がしますが、何か良い答えはないものでしょうか。もう少し考えてみたいと思います。
先日、ある勉強会に参加している途中でふと思った事を書いていきたいと思います。僕は以前にもその勉強会に参加させて頂き、今回もまた改めて学びたいと思い勉強会へ申し込ませて頂きました。確か今回の勉強会の申し込みを知ったのはFacebookでした。最近は多くの勉強会の情報がSMS上でも知る事が出来る様になり、より多くの情報が僕たちの手元に届く様になってきている事に便利な世の中になったなと思っています。僕が理学療法士免許を取った頃は情報の多くは協会誌や各学会誌などで申し込みも往復はがきを使っていました。今はほとんどの勉強会がネット上で申し込みができたり、新しい情報がすぐにネットで更新されたりするので非常に助かっています。
さて、この勉強会に参加しようと意思決定をしたのは紛れもなく僕自身です。僕自身で勉強会の内容をネットの情報や過去の参加した時の印象などを考えて申し込みをしたわけです。なんでそんな事を考え始めたのか覚えてはいませんが、会場に向かう電車の中でそんな事を考えていました。そこでふと疑問がわきました。それは、その意思決定は果たして自分で行ったと言えるのかという疑問です。
確かにその勉強会に参加を決めたのは僕自身です。なんですが、その決定を下すまでにはその勉強会の情報(例えば開催日時や場所、内容、講師など)や仕事、家族の予定など様々な要件を考えて参加を決めたわけですからそこには僕以外のなにかが関わっているわけです。とするとやはり僕の意思決定は自分自身で決めたとはちょっと言えない様な気がします。別にそんな事気にしなくてもいいんじゃないと言われるかもしれませんが、もしこれが患者さんの立場だったらどうでしょう?
認知神経リハビリテーションでは患者さんに訓練中に能動的探索が求められます。この能動的探索は自分自身の意思決定なわけですが、先ほどの様に考えてみるとこの意思決定に至るまでには多くの何かが関わっていたはずです。そしてその何かには当然セラピストもいるわけです。セラピストは患者さんにとって外部環境です。その外部環境であるセラピストは患者さんの意思決定に影響を与えます。では僕たちセラピストは患者さんにどの様に振る舞えば能動的探索へと導く事が出来るのでしょうか?なかなか答えが出ないまま結局、電車が到着してしまいました。答えは一つではないかもしれません。患者さん一人一人に合わせるしかないんじゃないという意見も聞こえてきそうな気がしますが、何か良い答えはないものでしょうか。もう少し考えてみたいと思います。
