2012年11月16日金曜日

人は見た目が9割

佐藤 郁江(岡崎南病院)

竹内一郎 新潮新書 2005

言葉だけでは語れないものが存在します。今までいろいろな所で話を聞いています。この本も「話す言葉の内容は7%で残りの93%は顔の表情や声の質である。実際には、みなし波や仕草も大きく影響するだろう」と書かれています。言葉以外の伝達であるノンバーバル・コミュニケーションの重要性を語っています。

この本の中で私が注目したのは、「日本人は無口なおしゃべり」の項目で日本人の特徴を8つ述べています。

・「語らぬ」文化、農民の文化で仕事中に喋っている必要がないことからきているもの。
・「わからせぬ」文化、わからせようとする気持ちが少ないとされている。
・「いたわる」文化、こころや体に傷を負っている場合、その話題には最初から触れないでおこうという、暗黙の了解ができる。
・「ひかえる」文化、基本的には強い自己主張をしない。長所を語る場合も「自慢のように聞こえるかもしれませんが」と予防線を張る。
・「修める」文化、毎日反復すること。武道の修行の考え方。
・「ささやかな」文化、ささやかなものを愛している。短歌や俳句などの極端に短い短詩形文学。
・「流れる」文化、諸行無常。物事は常に変化する。そのために自己主張をする必要性を減衰させる。
・「まかせる」文化、仏教のことばでいえば、「南無」につながる。「おまかせします」

ここに書かれていることだけだと少しさみしく感じる部分もあるのだが、この中にもそれぞれ、察するということが含まれてくるところが多いです。

また患者さんにおいても多くは言葉で語らない中にも何か表現をしていることがあったりします。直接言えないことも多いと思われます。しかし「いたわる」部分で相手のことを考えてもいます。直截な指摘ではなく変化してくることこれは自己の中での変化をしてくることで、察することにつながっている部分もあるかもしれないと感じました。

日本人の特徴として書かれていますが、農耕文化の中で出てきたものであり、少しずつではありますが、変化してきている部分もあるとは考えられます。

2012年11月1日木曜日

天才と発達障害

尾崎正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

天才と発達障害
岡南 著(講談社)

視覚優位のアントニオ・ガウディと聴覚優位のルイス・キャロル。かれらの認知の偏りが偉大なる「サクラダ・ファミリア聖堂」や「不思議な国のアリス」を生み出した。発達障害の新たな可能性を探る衝撃の書。発達障害研究の権威、杉山登志郎氏大絶賛「10年に1冊の画期的な人智科学の登場である」という本の帯に誘われ手に取った書籍です。

著者は視覚からの情報と、聴覚からの情報では同じ一つの事象であっても印象が異なり視覚が優れている人たちは、言語を覚える以前に、視覚で直接ものを見て考えることができ、自身の頭の中の映像を使って思考する人たちは、ものの名前を覚えることなく、脳裏に映像を描いて考えており、その反対に多くの皆さんは、言葉を聴覚で聴き覚え、理解し、知識として積み重ね、思考している。前者を「視覚優位」後者を「聴覚優位」という表現をしています。「視覚優位」の能力は一般に視覚記憶を生かし、土木・建築・デザイン・服飾・映像・生物学・物理学・パイロット・外科医・スポーツなどの世界に必要で思考がみな観察や空間をよりどころとしているもので、頭の中にある自前の映像で、動きやかかわり方を思考できるということは、既存の方法に頼ることができない仕事をする場合には、極めて便利なものです。視覚優位の中でも「映像思考」には大きく分けて二つの機能があり、一つは映像で記憶しそれをもとに考えること。もう一つは、映像でコミュニケーションをすることであり、反対に「聴覚優位」の人は、空間認知が苦手ですが、路襲性を必要とする学習や語学などは、聴覚からの記憶の良さが手伝い、たいへん優れています。聴覚優位な能力は、語学関係、音楽関係、俳優、小説家などの世界に必要なものだと述べています。

第二章ではアントニオ・ガウディ「四次元の世界」、第三章ではルイス・キャロルが生きた「不思議の世界」を述べています。詳細は興味のある方は読んで頂くとして、相貌失認の人の見え方、キャロルの相貌失認について、アスペルガー症候群、キャロルの吃音障害など様々な障害の中で素晴らしい作品が生まれていることがわかります。

ガウディは言っています。「私が出来の悪い学生だったのではなく、悪かったのは私に合った教授がいなかったということだ。その証拠に、型通り学校を出た建築家たちがなしたことと私のなしたこととを比較すれば、私の方に軍配が上がるだろう。」また、芸術については「芸術に師はない。唯一の師は自分自身である。あるのは芸術を学ぶ方法である。それ故、養成機関は、作品を直接見せるか、あるいは、(雑誌などの)図版によって、範例とその知識の便宜を計るのだ。・・・ただし、学校も美術サークルも雑誌にしても、芸術を学ぶための補助にすぎない。」あくまでも、ガウディは自分の目で学ぶことを求めています。

著者は映像思考であり、本を長い時間集中して読み続けることが難しく言語のままの蓄積も苦手だそうです。読んだものを一旦映像に交換し理解をしたところで、今度はノートに手書きをし、自分の手でかかないとその後に言語表現は難しく、例えば読んだ本の内容を、ノートパソコンに打ち込んだ場合、自身の視覚でモニターを見ても、後で文章として使えるような記憶にならないそうです。書く作業は、筋肉の動きが記憶の助けになり、そのように手間をかけて理解をしても、そのうち言語は消え、映像での理解が出来なくなってしまうそうです。映像で長期保存をしている内容を、あらためて言語で表現しようとすると、今度は言語を一から組み立てていくような大変さにみまわれ、どうしても時間がかかるそうです。

この書籍の「刊行に向けて」の中で国立成育医療研究センターの宮尾益知さんは発達障害の子供たちにはどのような未来があるのだろうか、と考えを巡らせ、発達障害として語られている著明なモーツアルト、エジソン、チャーチル、アインシュタイン、グレングールド、チャールズ・ダーウィンなど、才能ある人たちの作品や当時のエピソードから診断できれば、発達障害の子供たちへの希望の星になるのではないかという思いを抱き、認知の面から人の特性をとらえていくことは、発達障害と言われる人々の個人の能力をいかに伸ばし、どう開花させればよいのか、「障害から才能へ」と導く指針となるでしょう。と述べています。

患者の身体と精神を理解し仮説を立て検証していく中で、気づいていないことや理解していないことがあると、病態に対し的確な治療とかけ離れてしまった治療をしてしまう危険性があることをこの書籍を通じ理解することができました。ガウディの「私に合った教授がいなかったというだけだ」という言葉をリハビリテーションの世界に置き換えると機能回復ができなかったのは「私に合ったセラピストがいなかったからだ」と言われているような気もちになり、改めて治療を行う上で患者を理解することの重要性を感じさせて頂きました。