2013年3月16日土曜日

禅、「あたま」の整理

佐藤 郁江(岡崎南病院)

禅、「あたま」の整理(知的生きかた文庫)  藤原東演 著

 宝泰寺住職で禅の修行道場を出てから、禅語が頭の整理をすることで大いに役立ったとのことで、いろいろな禅語と共に住職の体験も踏まえて書かれている。
 いろいろ数があるが「無言のつながりに気づく(以心伝心)」の中で師匠と弟子の関係を語っている。その中で弟子は試行錯誤し答えを見つけていくことが後々には自分で使えるものとなるということがあるとなっている。患者さんにとっても自分で使えるものになるためには、自分で気づいてもらうことが大切になってくるように思う。
 また整理のためと書かれているが、まえがきの中に

   悩むことは、自分のあり方を問われている大切な出会いである
   
   悩みをなくそうとする必要はない
   悩んでいる自分がありがたい

と書かれている。私の中で悩みをありがたいと思えるところまでの感情があるのかは、正直に言うとないのかもしれないが、成長のためのものになると思われる。患者さんにとっても、悩みがあるからこそ治療を受けることになるので、次に進めるのかもしれない。もちろん悩みを強調することはできませんが、問いと置き換えることでリハビリテーションとしてもつながってくるところがあると思う。

2013年3月2日土曜日

はたらく理学療法士の動機づけ

尾﨑正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

はたらく理学療法士の動機づけ(PTジャーナル・第46巻第11号 2012年11月)

ジャーナルの特集の中で、動機づけに関して何人かのPTの方が述べている。
そして、若い理学療法士へのメッセージが込められている。

2012年6月の時点でPTの有資格者は100,560名で日本理学療法士協会会員数は77,844名。年齢構成は21~30歳が48.1%を占め、平均年齢は男性33.4歳、女性31.8歳と若い世代が多い。理学療法白書2010によると「理学療法士を一生続けたいと思いますか」の質問に「そう思う」と答えた会員が42%だったそうである。これを患者に、もし提示したとしたら患者はどう思うであろうか?58%のPTは「そう思う」とはっきり言えないという現実である。患者はそのような治療者に治療してほしいのか?自分自身が何らかの理由で治療を受ける側に立った時どう思うのか?と考えさせられた。

以前、ある病院の1年目のPTが担当患者に言ったそうである。「別になりたくてなったわけではない」と。担当患者は泣いて訴えたそうである。「そんな人に治療してほしくない、すぐに担当を変えてくれ」と。当然であろう。それを聞いて私は、同じセラピストとして愕然とした。色々な考えや社会情勢により職業の選択は変化していくが、医療は人を治療していく職業であること、患者のこれからの人生をある意味背負っていることを忘れているのではなかろうかと思わせる発言であった。

この論文の中には様々な言葉が挙がっている。
プロフェッショナルとしての10カ条
1)軸がぶれない
2)挫折や逆境から何かをつかむ
3)自分の仕事に対して誇りを持ち、それを汚さないように日々精進している
4)権威や、名誉に溺れない
5)能動的であり、自分の履歴を刻んでいる
6)他人に厳しく、自分にもっと厳しい
7)尊敬する人をもっている
8)自分のスタイルをもっている
9)自分の考えや意見が間違っていることに気がついた時に修正できる
10)自分を客観的に見つめられる
・エビデンスに基づき、あるいはガイドラインに沿って進めることにより、大きな誤りを犯すことはないだろう。基本的にエビデンスに沿って進めることで、よい結果が出てしかるべきである。しかし、気をつけなければいけないのは、「科学はいつも真実とは限らない」ことである。数多くの臨床家は、近年エビデンスでその治療概念は誤りと証明されたことでも、その治療技術で結果を出せた経験を持っていると思う(本当の答えは患者さんのなかにある:本当の答えを探す態度=臨床結果を重視する態度がむしろ大切である)
・「本に書いてあることは嘘と思え、実践して初めて真実がわかる」

この特集の中には諸先輩方からのアドバイスや臨床に対する考え方などが述べられているので一度読んでみて、今は心に響かないことでも何年か経った時になるほどと思えることがきっとあると思う。