2014年3月16日日曜日

ソモサン⇔セッパ

荻野 敏(国府病院)

ソモサン⇔セッパ(フジテレビ系バラエティ番組、毎週金曜日23時放送)
http://www.fujitv.co.jp/somosan-seppa/index.html

「そもさん!」
「せっぱ!」

子供の頃、テレビアニメの「一休さん」を見ていた世代には懐かしいこの響き。そもそもどういう意味かと言うと「そもさん」とは“什麼生”と書き、宋代の俗語で「さあどうだ」「いかに」)」と問うことです。回答者は「せっぱ(説破)」と返します(Wikipediaより)。

フジテレビ系の深夜番組であるこの「ソモサン⇔セッパ」は知的創造力があふれた面白い番組です。その番組のホームページにはこう書かれています。

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クイズ・ソモサン⇔セッパとは、論理的思考力や創造性が問われる「クリエイティブ・クエスチョン」を出題し、回答者の潜在知力を格付けする、新しい「知の格闘技」です。さあ、アナタの潜在知力は何%?
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こういった番組はたくさんありますね。僕はこういう頭を使うクイズとかは大好きです。もちろんいつも分からなくて「あああ、そういうことかぁ」って悔しがってばかりですけど。大人になるとどうしても思考が堅くなってしまっていけないなあって思います。常に柔軟な論理的思考力や創造性を持ち続けていないと。この番組はCMやキャッチコピーの秀逸な作品とかをクイズ形式で紹介してくれたりして、いつも「なるほどぉ」って感心させてくれます。例えば・・・・・

『バレンタインデーのお返しではホワイトデーにホワイトチョコやマシュマロやクッキーなどを贈るのが一般的ですが、最近ではアップルパイやチョコパイなどのパイを送ることが多くなってきているそうです。それはなぜ?』

と言った問題が出題されます。もちろんその出題の直前に合言葉の「ソモサン!」「セッパ!」と掛け合いますけど。さて、この上記問題のなるほど!って唸るような説破は出てきましたか?分からない人はホワイトデーがいつなのかを考えてみてください。そしてその日を表現する言い方はどういう言い方があるのか。その言い方とパイを意味するものが合致したときに「おおおおおお!」っとえもいわれぬ快感が脳内をめぐります!ほら、分かったでしょ?

ヾ(=^▽^=)ノ

論理的思考や創造力って僕らリハビリテーション専門家にとても大事な能力じゃないでしょうか?ちょっとした出来事を違った視点で見る、ちょっと考え方を変えてみる。そうすることで生まれることも一杯ありますよね。もっともっと頭を柔らかく、そしてもっともっと頭で考えて・・・・・。訓練を構築しないと!

2014年3月2日日曜日

知性・感性そして優れた技術-野依良治教授から学ぶ-

井内 勲(岡崎共立病院)

知性・感性そして優れた技術-野依良治教授から学ぶ-

2014年ももう3月となり、今年度も残すところ後一か月ほどとなった。

この時期は年度を振り返った業務の見直し、診療報酬を見据えながらの次年度の準備、退職者、新入職員への対応など業務の締めくくりや、反省から次年度への目標を明確にしていく時期である。

当然ながら、自分自身の臨床業務や、そのベースである学習面においての振り返りも同様である。今年度はどんな年で、どんな事を目標とし、結果はいか程であったか、またどれだけのチャレンジができたのであろうか?

今年の元旦に実家、兵庫に帰省し、その朝の朝日新聞の記事にノーベル賞受賞者の科学者、野依良治氏の談話があった。大まかなテーマとしては「オンリーワンの仕事を成し遂げた先輩は、どんな子供だったのだろう。…学校で学んだこと、学校では教わらないが大切なことは何か。」ということであった。

恥ずかしながら自分は野依教授について、名古屋大学の教授で科学者ということ以上はよく知らなかった。実はこの記事で生誕から高校までを兵庫にて過ごされていた事を知り、同郷の出身であった事に個人な親しみがわいたのだが、教授の実際の業績については難しくなかなか苦手分野であり関心が向きにくいのが正直なところであった。

しかし、偉人の幼少期やその学を修める時期の環境や出来事、またご自身がそれを振り返られてそこから内省されている内容などは大変に興味深くまた参考となった。
教授は幼少期の自然とまっすぐに向き合う姿勢から好奇心を培うようになり、その経験に基づいて「これは面白い、面白くないと感じるセンス・オブ・ワンダー、不思議だなと思う気持ち」を育むことこそが科学者としての知性・感性である、されている。

「センス・オブ・ワンダー、不思議だと思う好奇心」

これらは我々、治療者として症例の難解な現象に対して「なぜだろう」というと考える点と似ているのではないかと感じた。またそれは適切なタイミングで疑問として抱き、分からないことへ評価、調査、追求していく探求心などは類似しているように思われ、そしてこれにもまさに知性と感性が必要ではないかと考える。

それは野依教授のような科学者と同じ自然から育まれるものなのかどうかはわからないが、次に教授はもう一つ大事な事とに、「優れた技術」を挙げられ、それは「暗黙知」のような知識の集積である、と述べられていた。

「何もないところでは、生きていくために身辺にあるものを使って、自分で技術をもって何かを作り出さなきゃいけない。(ここでは例として、幼少期に弟と手分けして家事を手伝い野菜を作ったり、料理をしたり、のこぎりや金づちを使って勉強机や、イスを作成することを挙げている。またそこで求められた力学、幾何学の生きた知識、自分で工夫しながら学ぶこれを教授は「暗黙知」としている。)それが科学であり、技術である。」と述べさらに、
「いつの時代もそれぞれに困難があり、人間はそれに対峙し、順応しながら生きていく。だからもっと高いレベルのチャレンジをしなきゃいけない。好奇心は経験に基づいた価値観から生まれる。個人の知恵も何かに触発されて出てくる。だから科学者も科学以外の素養を培っておかなきゃいけない。自分一人で勉強できることは限られているので、人と交じわって自分を高めていく。そして社会のために何をしなければいけないか、若い人には考えてほしいね。」
と教授は我々に訴えた。

最後の呼びかけから色々と感じ、考えさせられた。自分の知性・感性はどのように育んできたのか、また今後はどうなのか、また優れた技術は…。幼少期はかなり過ぎてしまっているが、これをもとに今年度の反省と次年度への刺激としたい。

今月15日は今年度、最後の愛知県認知神経リハビリテーション研究会の勉強会が開催される。もっと高いレベルへのチャレンジと、自分一人でなく、多くの人と交わって個人を高めあえる場になることを期待したい。