2011年12月17日土曜日

「わかる」とはどういうことか

佐藤 郁江(岡崎南病院)

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学
 山鳥重(ちくま新書)

半分寝ながらだったかテレビを見ていたとき「直感」という言葉に引っかかって少し目が覚めました。その時のテレビは爆笑問題のニッポンの教養でした。話の内容としては危機を感じて逃げ出した消防士の内容で視覚情報における情報処理過程として意識できない上丘での視覚の存在の説明でした。私はこの脳科学分野は弱いと思い聞いていた。後で少し詳しく調べてみると視覚情報が直接上丘に入るほかに、聴覚の情報、前庭器官から頭の位置情報、視覚皮質ですでに処理された情報も入るとなっている。ここでテレビの話に戻りますが、逃げ出した消防士も危険を無意識のうちに感じていたのであろうと、それが直感であり、第六感でこの上丘での処理が早く働いたのではと説明していました。そして、これは過去の経験(視覚皮質で処理された情報:ここは後で私が加えた内容です)からもとにして作られているものだと説明していました。また、私は直感と聞いてまず思い出したのが『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重)の「直感的にわかる」でした。その中で「その作り出す筋道が自発的な心理過程に任されていて、意識的にその過程が追いかけられないとき、われわれはほかに表現のしようがないので、直感的にわかった、という表現を使うのです」と書かれており、つながる部分を持つことができました。そしてその直感的にわかるで「答えは外にも中にもないのです。ちゃんと自分で作り出すのです」とあり改めて自分の中で行動における決定し、直感につながる経験をしていかなければと感じました。もちろん患者さんにもどのような経験が必要なのか?それを後で引き出せるような経験をしてもらうためにはどうしたらよいのかを考えている必要があると感じました。

2011年12月1日木曜日

脳活体育

尾﨑正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

「脳活体育」
運動が好きになる! 得意になる! 知性を育む
出版社:スキージャーナル

「脱・運動オンチ!運動スキル獲得の脳メカニズム」という題で柳原大(東京大学大学院准教授)はQ1からQ17の質問形式で述べている。

「運動オンチ」久々に私の脳の中を走った単語であった。この本の中では運動オンチの定義を「脳の中にある運動プログラムやモデルの生成と修正をめぐるメカニズムの不具合」「自分や他人の動作に伴う多様な感覚を正しく認識することができない」と述べられており、運動能力が向上するには、一流のアスリートの動きと自分とを比べたとき、その違いを正しく認識できるか、または自分が動く中で起きている誤りについて認識できているかに関わってくると准教授は述べている。小脳機能、ミラーニューロン、学習メカニズムの形成、情動など分かり易く述べられており、知識の再確認、整理を行うことができた。

次に「脳から見た効率的運動学習法」という題で篠原菊紀(諏訪東京理科大学教授)が述べている。印象的であったのが「心をこめてやりなさい」という言葉であった。心をこめることで、前頭前野を中心に脳内で活性化が起き、心を配った分、最初は動作に手間がかかりますが、結果早く獲得されると述べています。意識・無意識については「意識の占める割合はとても小さい。大海原に浮く一艘の舟が意識で、舟をうまく使うと海流を変えられることはあるという感じです。したがって、意識的には新たな動きをやろうと思っても、うまくいかないのが普通です。意図的に変えようと思っても動きはそう簡単に変えられない。努力はしつつも、なすがままにするしかない場合が多いし、そちらの方が当たり前なのです。ちょっと意識を使って無意識の変化を待てば比較的早くうまくいく。これがコツです」と述べる。使っている筋肉を意識しながら筋トレをした場合と意識せず筋トレをした場合では脳の活性化のレベルが違い、意識しての筋トレの方が活性化しているデーターを図を用いて表している。以前スピードスケート長野オリンピック、金メダリストの清水宏保さんは常にトレーニング中どこの筋肉を使っているのかを意識しながら行い「脳が疲れる」ということが「神の身体」という本の中に書かれていたことを思い出した。意識を向ける、向けないだけで同じ運動を行うのに脳の活性化が違うことが科学的に証明されていた。私たちセラピストはこの知見を利用し治療に取り入れなければいけない。治療を行う際には意識を向けるように指示する必要がある。限られた治療時間の中で、いかに効率的に時間を利用しなおかつ、結果をだすかに臨床家は取り組まなければならない。

「運動が知性を育む!才能を開く!先端トレーニング コオーディネーショントレーニング」荒木秀夫(徳島大学大学院教授)は現在、学校や地域のクラブチームで用いられるようになっているトレーニング方法は「コーディネーション」といわれており1970年代に旧東ドイツでつくられた運動理論をもとにしているが荒木教授は「コオーデション・トレーニング」という人の本来もっている能力に着目するということであり、部分的な能力の特化を目指さない。全人的な能力開発を目指す。このコオーディネーショントレーニングを北京オリンピック4×100mリレーで日本トラック史上男子初となる銅メダルを獲得した朝原宣治氏も取り入れている。荒木教授は今までとは異なる理論で結果を出そうとしている。この本の中では健常者の運動能力向上を中心に述べられており、脳の治療という視点で書かれた本ではないが基礎知識の整理、スポーツの世界でも全体性を考慮した理論が存在し展開されていることを知ることができた。リハビリテーション以外の分野からの視点をもっと学習し、治療に活かせるヒントを探していく必要性を感じた。

2011年11月15日火曜日

書いてみなければわからない

荻野 敏(国府病院)

新潮CD小林秀雄講演【第八巻】
宣長の学問 CD-1 1「書いてみなければわからない」
新潮社

皆さんは小林秀雄という人の名前を聞いたことがあるだろうか。聞いたことがないと思った人は、このホームページをしっかり見ていないということになる。愛知県認知運動療法研究会のホームページ左下に書かれている『美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない』という言葉は小林秀雄の「当麻」という随筆の中の一節だ。さて、今回の臨床のヒントにその小林秀雄のCDブック講演集を取り上げてみたい。ファンとまでは言えないかもしれが、僕は小林秀雄から少なくとも影響を受けていることは間違いない。脳科学や教育者の本を読んでいると、よくこの小林秀雄という人物の名前が出てくる。初めはそんなに興味もなかったが、「モオツァルト・無常という事」(新潮社)を読んで、もっと知りたくなったのだ。1929年に東京に生まれ、独創的な批評活動を行い、日本の現代文学における批評家としての価値を確立した人物である。1983年に没するまで、多くの執筆物を刊行している。もちろん、すでに亡くなっている方なので、講演を聞きに行くことはできない。しかし、新潮社からCDブックが出ていることを知り、数年前に第一巻から第七巻まで全巻揃えて大人買いをしたのだ。1巻にCDが2枚入っている。すべてのCDを自家用車のHDDに入れて、よく聞いている。ベルグソンやユングの話は秀逸だ。最近、第八巻が刊行されたので、聞いているところである。

さて、話に戻ろう。最近買った第八巻「宣長の学問」というCDの1番目に「書いてみなければわからない」というタイトルがついた講演がある。この講演は昭和40年11月27日、つまり今からざっと46年前に國學院大學大講堂にて、國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所主催「秋季学術講演会」で行われた講演『雑感』を収録したものだ。はじめは淡々と、ユーモアを加えながら語りだしていくが、少し経つと言葉に勢いが組み込まれて聴衆に問いかけるように迫ってくる。その声の迫力に圧倒されそうになる。

「これ書かないと書かないんですね。書かないと書かないってことはつまりね、頭の中でこういう風なものを書こうという観念が出来上がれば書こうなんて思ってたら一生書かないんです。だからとにかく書いてみるんです。とにかく書いてみると、書いた自分の文章から何かが今度は出てくる。という風なことだからとにかく書いてみようと思って書き出したわけです。だからこれはどうなるかわからんです」

講演の一部分を抜粋してみた。あくまでこの講演は文章を書く、執筆をするという事が主題になっているが、見方を変えると僕らへの批評にもとれる。僕はどう聞き取ったかというと、認知運動療法を行う場合に躊躇いがどうしても出てくることがある。「こんなことをして患者に怒られないだろうか」「こんな解釈や仮説でいいのだろか」「もう少しここについて勉強してからやったほうがいいだろうか」と。これは誰に対しての戸惑いだろう。患者?スタッフ?いや自分でしょ。結局、自分が一番かわいいから、どうしても後回しにしてしまう。それでいいのだろうか。セラピストしての最大限の知識を動員して出した病態仮説・治療仮説ならなぜそれを確かめないのか。イタリアでもボルシスタが立てた仮説を、パンテ先生をはじめとするセラピストは「facciamo verificare(検証してみましょう)」と、道具を使って訓練を実践していた。そこで患者が上手く知覚仮説を立てることができて解答できたなら、その病態仮説は間違っていたことになる。上手く解答できなければ、そこに問題がある可能性が高くなる。さらに精度を高めて・・・・。とディスカッションをしながらどんどん訓練を進めて構築していく。その臨床風景は美しかった。研究者には研究者の役割が、教育者には教育者の役割がある。臨床家に求められているものは何か。『とにかく実践してみる。実践してみるとそこから何かが出てくる。だからとにかく実践してみよう』と小林秀雄が言っているような気がしてならない。変にスマートになる必要はないのではないか。「もっといい方法がないだろうか」「どうしてなんだろう」と、泥臭く、ジタバタしながら、悩み、足掻き、資料を調べながらディスカッションをしている、そんな姿の臨床家の方が僕は美しいと思う。

全部入れるとCDが16枚分。単純に計算すると16時間ぐらいの講演を聞くことができる。文字を読んで、著者の心持ちを想像しながら読み込むのももちろん良いが、たまには偉人の肉声をライブ感覚で聞くことも一味違って良い。肉声から響き渡る、感情の起伏、声のトーンや大きさ、間の感覚や息遣いを感じてみてほしい。そして一緒に悩みましょう。

2011年11月3日木曜日

ことばが生まれる基盤とは

井内 勲(岡崎共立病院)

『ことばが生まれる基盤とは』  松井智子:著 科学77(6), 70-78. (2007):岩波書店

人間だけでなく霊長類の多くは、音声やジェスチャーを使ってコミュニケーションをする。しかし、情報伝達の方法としてコミュニケーションに言語を獲得し、使用しているのはその中でヒトだけである。この論文において著者は専門とする語用論(言語表現とそれを用いる使用者や文脈との関係を研究する分野)から、とくにヒトのコミュニケーションのメカニズムとその発達研究に焦点を当てる事により、著者は我々の言語が「伝達意図を理解する能力」を基盤として生まれたのかもしれないと述べている。

自分は小児の言語発達と、自閉症について知りたくこの論文を読み出した。確かにことばの発達、二項関係から三項関係のコミュニケーションでの伝達意図の理解など、全般として、1歳~3,4歳の発達研究として思慮深く読み進めた。しかしそれだけでなく、我々が治療の中で使うことば、患者が使う、もしくは使う事が出来ない、使いたくても使えないことばの奥を知る手がかりになるかもしれないと感じた。

「人間のコミュニケーションにおいて、言葉の理解は重要な役割を果たすが、コミュニケーションの最終的な目的は、話し手が伝えようとしている意図、欲求、思考、態度、感情など、言葉の意味以上の内容を聞き手が理解する事で、言葉はそれを見つけ出す手がかりに過ぎない。」

「コミュニケーションで文脈を理解するには、話し手がかなりの手がかりを提供している、それは言葉であったり、声のトーンであったり、表情であったする。加えて、もうひとつ大きな手がかりは、(略)話し手は聞き手の注意を引く。この行為が、無限にありそうな文脈を絞りこむのに重要な役割を果たすと考えられる。」

自分自身、治療を進める段階においてまだまだ上手く紐解けない部分であるが、挑戦したい。

2011年10月15日土曜日

感情の階層性と脳の進化

林 節也(岡崎共立病院)

「感情の階層性と脳の進化」-社会的感情の進化的位置づけ
筆者:福田 正治 富山大学医学部行動科学
機関名:感情心理学研究 第16巻 第1号 2008

認知運動療法から認知神経リハビリテーションへと名称が変わって早数年。認知運動療法は精神を考慮したリハビリテーションへと進化した。「身体とその運動は精神を切り離さずに研究されるべきであるし、治療されるべきである」(認知神経リハビリテーションホームページより)。ここで出てきた「精神を考慮したリハビリテーション」。それらに関係してくるのが感情と考え、文献を探していたときにこの文献に出会った。

この文献では、感情の階層性は、脳の進化である原始爬虫類脳、旧哺乳類脳、新哺乳類脳の三相に区分される三位一体モデルをもとに考えられたもので、原始情動、基本情動、高等感情(社会感情と知的感情)に分けられると考えられている。原始爬虫類脳である脳幹や視床下部では、快・不快の発生。旧哺乳類脳である大脳辺縁系では、喜び、受容・愛情・怒り・恐怖・嫌悪の5つの基本情動。新哺乳類脳である大脳皮質では、社会感情と知的感情が備わっており、社会感情では、相手の心を読み取る能力が発生し、知的感情では人間特有な感情で、人間の文化に関連し、宗教・思想・信念・科学に依存ている。

我々ヒトの脳は大脳皮質に覆われており、社会感情と知的感情が備わっている。社会感情・知的感情は生活歴に左右され、個人個人により能力が異なると考えられるため、リハビリテーションにおいても、個人個人に合わせた展開が必要ではないかと改めて考えさせられた文献である。
初めに戻るが、「身体とその運動は精神を切り離さずに研究されるべきであるし、治療されるべきである」。ヒトの運動や行為は身体機能面だけで決まるものではなく精神機能面の考慮する必要があると改めて感じた。

2011年10月1日土曜日

自己主体感における自己行為の予測と結果の関係

首藤 康聡(岡崎南病院)

日本パーソナリティー心理学会 2007 第16巻 第1号
「自己主体感における自己行為の予測と結果の関係」
-行為主判別に対する学習課題を用いた検討-
浅井 智久1)  丹野 義彦1)   
1) 東京大学総合文化研究科

ちょっと自己主体感について気になっていたので調べていたらこの論文を見つけました。この自己主体感は運動の最中は言うまでもなく、運動が出現する以前にも必要となってくると考えられます。この自己主体感に問題が生じている患者に遭遇する事は少なくありません。それは様々な患者さんの記述から気付く事ができるんですが、となるとこの自己主体感の改善をしていかなければ、患者さんの運動の回復は行えません。

自己主体感には「行為主判別」が必要でそれには「予測」と「実際の結果」が必要となってきます。これはフィードフォワードモデル理論によって説明されているのですが、今までの研究では「予測」に焦点を当てているものが多く、「実際の結果」に焦点を当てているものは見受けられませんでした。そういった背景から筆者はこの研究を行おうとしたようです。詳細は実際に論文を読んでみて下さい。

今回の研究結果により「行為主判別」には「結果の予測」と「実際の結果」が必要であることが示されています。また、文中に「・・・異常な自己主体感であっても、学習によって正常な方向へと変えることが出来るかもしれない。」と述べているようにこの研究結果は異常な自己主体感を訴える統合失調症の患者の治療に有効である可能性を示唆しています。しかし、異常な自己主体感を訴える患者は何も統合失調症の患者だけではありません。前述したように我々が対象としている患者にもその症状は出現している場合があります。となると、この論文は我々のリハビリテーションにも応用可能ではないでしょうか?

またこの結果はAnkhinのモデルの正当性を示唆すようにも思えます。認知神経リハビリテーションのコースでもよく用いられるこのモデルですが、関連付けられるような学習過程についてのモデルはいくつもあるんですがしっかりと根拠を述べた説明をあまり聞いた記憶がありません。(ひょっとしたら僕が知らないだけなのかもしれませんが・・・)だけど、このような論文はあくまでモデルであった理論を根拠のあるものに変えて行くものだと思います。このような論文を読んでいくことがリハビリテーションの科学性を高めて行くかもしれませんね。

2011年9月15日木曜日

わかりやすいはわかりにくい?-臨床哲学講座

佐藤 郁江(岡崎南病院)

わかりやすいはわかりにくい?-臨床哲学講座
鷲田清一(著) ちくま新書

以前に山鳥重先生の『「わかる」とはどういうことか』という本を手に取って読んだことがあった。私にとってこれは腑に落ちていました。その後しばらくしてこの本『わかりやすいはわかりにくい?』を見つけて手に取った。私の中でどういったことだろうと読み始めました。章ごとに「問いについて問う」、「こころは見える?」などのついておりその最終章に「わかりやすいはわかりにくい?―知性について」がありました。その中に「わからないものをわからないまま放置して入りことに耐えられないからだ。だから、わかりやすい物語に飛びつく」とある。これは私の中にもあり、自分なりの理由をつけていることは多い。しかし、その少し前に「正解がないものに、わからないまま、正解がないまま、いかに正解に対処するかということなのである。そういう頭の使い方をしなければならないのが私たちのリアルな社会であるのに、多くの人はそれと反はい方向に殺到する」とあります。私の中で簡単に言ってしまえば幅の広い考え方をしなければいけないのだと思いました。それと同時に患者さんにとって納得のいかないことには不安が付きまとうこともあります。わかりやすいように説明してもその時その人の解釈であり、変化が起こってくることを、私が知っていなければいけないのではと感じました。

2011年9月1日木曜日

音楽で脳はここまで再生する

尾﨑正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

音楽で脳はここまで再生する   ―脳の可塑性と認知音楽療法―
  奥村歩(木沢記念病院中部療護センター脳神経外科部長)
  佐々木久夫(構成・編)
  人間と歴史社(2008年5月20日 初版第1刷発行)

 偶然、本屋で目に留った書籍であった。音楽療法は学生時代の特別授業で経験したことがあるが「認知音楽療法」という言語は初めてであり、思わず手に取ったというのがこの本との出会いであった。パラパラっと読んでいるとその中に「カルロ・ペルフェッティ」「認知運動療法」の文字が視覚に入ってきた。全く偶然に出会った本の中に2つの単語が書いてあり、読んでみようと購入した。著者は医師であり、岐阜県美濃加茂市にある「木沢記念病院中部療護センター」に勤務されており脳外傷による「重度脳機能障害」のある患者さんが入院される病院であり、その設立趣旨は、「交通事故による遷延性意識障害を含めた重度脳機能障害の後遺症を認める者に対して専門性の高いリハビリや看護等の医学的療法を施して、社会復帰への可能性を追求することを目的とする」とされているそうです。

著書のなかで「認知音楽療法」とは、「認知機能がうまく働かなくなってしまった高次脳機能障害の患者さんに、音楽の複合的な刺激を用いて、眠っている機能を賦活させ、あるいは新たな脳内ネットワークを発達させて、認知機能の構築を図る療法」と述べられている。認知音楽療法のターゲットとしているのは、あくまでも患者さんの脳の認知機能であり、患者さんの脳の神経機能の再建や再組織などの機能回復のメカニズムに注目しているとのことである。著者の勤務先で実施されている「リハビリ」は脳に対する刺激を意識した治療が基本となりこれを「五感刺激療法」と呼び、通常「五感」とは、嗅覚・視覚・聴覚・味覚・触覚(位置覚や振動覚も含む)を指しますが「五感刺激療法」は、この五感を単独刺激するのではなく、複合的に刺激して、最終的には脳の「認知機能」に働きかけることを目的としているとのことである。

 認知運動療法が著書の中で、どのように述べられているかというと『従来のリハビリテーションは、脳や認知機能という中枢を意識する視点が乏しく、「身体のためのリハビリ」といえるものでした。従来の運動機能の回復を担う「運動療法」(運動マヒの回復を図る療法)を例にとっても、その理論はマッサージや関節可動域訓練、電気刺激など、再び身体を動かすための「動機づけ理論」がその拠りどころとなっていて、脳から切り離された「身体のみ」に長いあいだ視線が向いていました。ところが、近年になって、運動療法の世界においても「五感刺激療法」的な、脳機能を意識した視点が取り入れられ始めています。
 1980年代、カルロ・ペルフェッティによって「運動機能の回復には筋力増強などの身体を対象にした治療ではなく、脳の認知過程への学習による運動の認知制御機構を再組織化する治療が大切である」ことが明らかにされるに至って、今日では運動療法も「認知運動療法」へと進化しています。

 ※カルロ・ペルフェッティ・・・・イタリアのリハビリテーション医で、近年のリハビリテーションの世界に新しい可能性をもたらす「認知運動療法」の基礎を確立した。』と書かれています。

 著者のセンターでは脳科学、脳の可塑性、意識、認知機能の活性化、気づき、情動などに注目し音楽療法を展開されています。確かに私が経験した音楽療法は太鼓をたたいたり、ピアノに合わせて踊ったり、ハンドベルで演奏したりと何が何だが分からず皆と踊ったり演奏したり、とにかく楽しく行えばいいといった感じ(実際指導者も当時言われていた。)であった。音楽療法をきちんと学習したわけでもないのでよくわからないというのが当時の感想であった。

 認知音楽療法の有用性については以下のように挙げられている。
1)認知構造を刺激
2)音楽する脳はタフ
3)残存機能を活かす
4)ヘッブの法則
5)記憶・情動に共感
6)快の原則
7)運動機能の随意性
8)気づき
9)認知機能の回復
10)非薬物療法

 著者は、セラピストの力量次第で結果が大きく違ってくると述べており、認知音楽療法の施行にあたってセラピストが心得ておくべきいくつかの条件が挙げられている。
1)音楽的刺激に対してクライアントの反応を鋭い観察力と感受性で受け止める。
2)クライアントの微妙な「表情の変化」を正確に読み取る。
3)反応の状況によって刻々と与える刺激を変化させる。
4)クライアントに外界や自己への「気づき」を取り戻すよう促す。
5)理論背景を持つ・・・神経科学、神経病態学などの知見を理解しておく。
6)「回復のメカニズム」を明確にする。
7)「戦略」を持つ
8)「医学用語」で著述が可能な事象を対象とする。

 認知音楽療法は治療者と患者さんとの間で「音楽」という太古の昔から人類が関わってきた一つの道具を通じて治療に取り組んでいる。脳科学、認知機能等視点を取り入れており音楽を通じて患者を知ろうとしている。患者さんと音楽療法士の関わり、認知音楽療法の脳科学からの視点など書かれているので興味のある方は一度読んでみると、私たちが日々学習している認知神経リハビリテーションをまた新しい別の視点から考えさせてくれると思う。

2011年8月8日月曜日

ONE PIECE STRONG WORDS(下巻)

荻野 敏(国府病院)

ONE PIECE STRONG WORDS(下巻)
尾田栄一郎 解説/内田樹
集英社新書ヴィジュアル版(2011年4月20日第一刷発行)

ワンピースといえば、日本を代表する傑作漫画。しかもまだ連載中で、その勢いはとどまるところを知りません。『かつて海賊王ゴールド・ロジャーが地の果てに置いてきたという「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」。主人公モンキー・D・ルフィはこの大秘宝を手に入れ、海賊王となるために、幾多の出会いと戦いを繰り返しながら、“偉大なる航路”を行く』。1997年に週刊少年ジャンプで始まったこの漫画は発行部数の記録を塗り替えるほど、多くの人の心をつかんでいますよね。この「ONE PIECE STRONG WORDS」という本は、そのワンピースの中で、登場人物が語る言葉のチカラの厳選集です。となると、その登場人物たちの言葉をここでピックアップして・・・・、という予測が立ちそうですよね。でも今回、紹介したいのはこの本の解説を書いている内田樹さんの解説部分なんです。内田樹(うちだたつる)さんは思想家であり武道家でもある現神戸女学院大学の教授で、専門はフランス現代思想です(ユダヤ人問題にも詳しい)。内田さんは上巻と下巻それぞれに解説を書かれていますが、その下巻の解説が秀逸です。実はこのネタ、今度のベーシックコース(愛知会場)で話そうと思っているネタでもあります。まあでも、受講者の全員がこの愛知県認知運動療法研究会のホームページをチェックしているとは思えないので、ネタバレ覚悟で書いてみようかと(笑)。ベーシックの講義の準備はこれから少しずつやっていくので、これだけ言っておいて実際の講義でこのネタを使わなかったらそれはそれでツッコミを入れてください(笑)。さて、下巻の解説にはどのようなことが書かれているのか。実は、登場人物ロロノア・ゾロの「強さ」、その「強さの限界」について少し書かれています。もしかしたらワンピースを知らない人もいるかもしれませんし、そうすると「ゾロ」って誰?ということになるでしょうが、まあそれは割愛しますね。ゾロは剣豪です。そして常に体を鍛えています。ゾロの修行シーンは繰り返し登場しますが、そのシーンはもっぱら筋骨格系の定量的強化プログラム、つまり筋力強化訓練です。このことについて内田さんはこのように解説しています。

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武道的に言うと、この稽古法では能力開発に限界があります。強弱勝敗にこだわっているうちは、身体能力の強化は線形方程式的にしか進まないからです。筋肉への負担をn倍にすれば、筋肉細胞の断面積がn倍になる・・・・・というような「合理的」な発想でトレーニングしている限り、どこかで限界に突き当たります。
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内田さんはコンピューターに例えて、この方法はハードディスクの容量を増やすことやギガをテラにするといった類であると言っています。武道的な進化とはハードディスクの容量を増やすことではなくOSをヴァージョンアップすることに近いと。しっかり理解できないかもしれないけど、すごく分かる感じがしますよね。筋力をどんだけ上げても、決して使える身体にならないというのは、僕らも臨床上で感じる疑問です。行為は合成特性ではなく、創発特性なのです。「1+1=2」ではなく「1+1=X」になるのです。線形に解釈できない、非線形に変化する、だから難しいし予測できないんですよね。筋力という数字にすることのできるパフォーマンスは、万人にわかりやすい。「これだけ上がりましたよ」「これだけ回復しましたよ」。でも実際の行為は非線形ですから、線形が変化すれば非線形も同様に変化するとはかぎらない。ゾロの修練には限界があるのですね。内田さんは言います。

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今の練習法を量的に強化するだけでは限界を超えることができないと思うアスリートだけが「身体の使い方」を変える。そのときには強い心理的な抵抗が働きます。当然ながら、「身体の使い方」を変えながら試行錯誤している過程では、それまでの「成績」が一時的に下がるからです。手持ちの「ものさし」で計測している限り、「身体の使い方」を変えるとパフォーマンスは必ず下がる。だから怖くてできない。
-中略-
身体の使い方を変えることによってしか、身体能力の限界は超えることができません。でも自分の知らない身体の使い方に習熟するためのプログラムというものは存在しません。「手持ちのものさし」で自分の能力を計測することにこだわる人には、それまでそれを査定する「ものさし」がなかった能力を開発するということができない。
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この解説部分は二つのレベルで重要です。一つは患者の能力の回復をどう捉えるかということ。線形・非線形の考え方ですよね。それともう一つは、我々セラピストの考え方という部分です。一時的にパフォーマンスが下がる、当然、動作訓練をしなければ「本当に大丈夫か」といった患者や家族からの疑問にさらされます。もちろん(認知運動療法を知らない)同僚からも疑問の目で見られるでしょう。そして実際の(パフォーマンスの)パラメーターが低下すると「それみたことか」となってしまいます。なかなか、踏み込めない、進めない、怒られるのが怖い。これが現実でしょうね。でも、身体の使い方を変えなければ、能力も変化してきません。患者は身体が変化しているのです、疾病によって。新たな身体で新たな身体の使い方を習熟する。内田さんの言う「自分の知らない身体の使い方に習熟するためのプログラムというものは存在しない」とは、教師・コーチ・セラピストが示唆を与えて共に成長し変化していかなければ伸びないとも受け取れます。そのために我々セラピストは能力が向上(回復)するための意味と方法を知る必要があります。今のリハビリテーションの世界で、「そこ」に一番近いのはいったいどのような概念なのでしょうか。

ゾロは今までの修行方法では限界を乗り越えることができないでしょう。でも、シャボンディ諸島での一件の後、「麦わらの一味」はバラバラになってしまいましたが、それぞれのチカラを伸ばすための時間と方法と場所を王下七武海のバーソロミュー・クマは与えてくれました。ゾロも世界一の剣豪である王下七武海のジュラキュール・ミホークの下で修業する機会が与えられます。おそらくゾロは「身体の使い方を変えること」によりさらに強くなるでしょう。連載中の漫画にも、まだその成長の核心は描かれていませんが、非線形の強さを見せてくれることを期待しています。

2011年8月4日木曜日

せいりけんニュース

井内 勲(岡崎共立病院)

せいりけんニュースとは、愛知県岡崎市にある 大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 生理学研究所(せいりけん)が広く一般の人、科学に興味にあるの大人から、子ども達に向けて、さまざまな研究によって生み出される成果や、せいりけんの活動報告を紹介している年間6回(1,3,5,7,9,11月)発行される情報誌(パンフレット?)です。同市内の小・中学校、高校、病院などには無償配布されており、いつも色々な発見や情報収集ができるので、楽しみにしています。

2008年の1月から発刊され、現在はVol.22まで発行されています。

先月号の中の「プレスリリース」のコーナーで伊佐正教授らの研究グループによって明らかにされた内容を簡潔に紹介した、『見ていると意識できなくても“覚えている”脳-視覚野障害でも無意識に脳の別の部位(中脳・上丘)が記憶の機能を代償-』の記事にはとても興味深く、以前読んだ『赤を見る:著 ニコラス・ハンフリー』の中で出てきた盲視の内容の研究でもあったので、さらに深く知りたい内容でした。そんな時も、その研究報告の掲載元(多くは英語文献ですが…)が紹介されていますのでさらに深める事も可能です。(僕的にはかなりの労力と時間を要しますが…)

その他にもVol.5で同じく伊佐教授の霊長類の皮質脊髄路からの運動ニューロンへの間接経路の紹介が『脳科学の未来Ⅱ-リハビリテーションと脳-』というタイトルで掲載され、この記事はScienceで発表されてから10ヶ月程で掲載されていました。またVol.19では柿木隆介教授らの生後5~8ヶ月の乳児の顔認知の機能についての紹介なども興味深かった内容でした。

せいりけんニュースは大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 生理学研究所のホームページから定期購読やバックナンバーも取れますので一度チェックしてみて下さい。

2011年7月16日土曜日

対談 脳科学に学ぶ

間島 大心(岡崎共立病院)

社団法人 日本作業療法士協会 広報誌
Opera(オペラ)15 2011年3月号
対談 脳科学に学ぶ
脳がない動物はたくさんいるが、身体のない脳はない
池谷裕二(東京大学大学院薬学系研究科准教授)
中村春基(日本作業療法士協会会長)


 以前、愛知県認知運動療法研究会のホームページに「運営委員の雑感」と言うコーナーがあった。そのコーナーでOTの東海北陸学会で聴講した池谷准教授の講演内容について自分の考えを交え紹介した。今回、その池谷准教授と日本作業療法協会会長との対談がOT協会の広報誌に掲載されていたので、自分の解釈を交え紹介する。

 以前の「運営委員の雑感」の時も記載したが、池谷先生は脳の基本的な役割を「身体感覚を身体運動に変換するコンバーター」としている。更にその変換する作業が反射であると説明しており、脳の能力を上げるにはその反射力を鍛える以外に無いと説明している。対象との相互作用の結果得られた身体感覚からの情報を中枢神経系(=脳)を介して身体運動(=筋出力)が出力されるといった機能環と似た捉え方をされていると感じる。ただ、「反射を鍛える」と言われてしまうと多少勘違いされてしまうところがあるように思う。実際に神経の働きは反射であると言うのはそうだと思うが、それらが複雑に繋がり合ってネットワークを形成すると、そこから出力されるものの総体が身体運動であると言う解釈を入れたい。そして我々セラピストはその神経のネットワークのどこに破綻があって、身体を介してそれをどのように再形成していくのかを考えていくのだと思う。それにあたり我々セラピストが破綻した脳の神経ネットワークに対峙していくに際、破綻した神経ネットワークがどこであるかを知る(=評価)為に又はその神経ネットワークの再形成を促すためには必ず身体を介さなければならない事を忘れてはならないと考える。池谷先生も「身体を省略した脳を考えるのは、誤った傾向」だとか、実験で口に棒を加えることで笑顔と同じ顔の状態を作ることで実際に楽しい嬉しい気分になってくるとの現象を挙げ、脳内に起こる現象においても身体が深く関わっている事を「やる気や感情や心は身体に散在している」と表現している。

 またこの対談の中で「パッシブ・ラーニングよりもアクティブ・ラーニングの方が定着率は良い」事や「脳の記憶力は出力に依存している」、「記憶の一番大きい意味は予測」といったことなどがあげられている。我々の臨床の中で特に認知機能の低下をきたしている患者において危険認知機能の問題に対することが多いと感じる。なかなかセラピスト側から「今のは危なかった」、「次は気をつけよう」などと声をかけてもなかなか動作、行為の改善に至らない場合が多い。半ば患者のやる気次第と諦めていた部分も私の中には芽生え始めていた。その結果が「改善に至らない」といった状況を招いてしまったことを反省する。私は危険認知機能をただただ危険認知としてしか捉えておらず、今回の対談を読み、私の止まっていた脳を動かしてもらえたように感じる。まだ私の中にはアクティブ・ラーニングを患者に提供できるような具体的な方法を持ち合わせていないので、臨床と図書室との往復を継続していきたい。

2011年6月18日土曜日

運動の学習における「わかる」と表象

林 節也(岡崎共立病院)

題名:「運動の学習における「わかる」と表象」
文献名:「運動の学習における「わかる」と表象」
筆者:田中雅人
機関名:愛媛大学教育学部保健体育紀要vol.2 1998

 臨床場面の患者さんからの一言。「ここに力を入れなければいけないことはわかるけど動かない。どうしたらいいかわからない。」このように「わかる」けど「できない」ことに遭遇することがある。また、身体のどこに、どれだけの力を入れればいいかがわからず、力いっぱい筋出力してしまい、代償動作が生じてしまうケースも少なくないように思える。

 この文献には「わかる」とは何か。「できる」とは何か。運動表象が「わかる」ことにどのように関連しているのか。と言うことが詳しく記載されてる。

 学習者が「わかる」ためには、運動開始前に提示される情報など言語による教示や示範。運動中に得られる感触や運動感覚。運動終了後に得られる運動記憶の想起。これらが関与し、身体外部からの情報と身体内部からの情報を基に「わかる」ための方略が生まれてくると記載されている。

 さらに、学習者が運動を「わかる」ために求められる能力のひとつに運動観察能力がある。運動観察は、運動中に自己の運動を運動覚と言語によって把握し、運動経過のどこが良くてどこが悪かったのかを思考し、分析する自己観察と他人の運動を見たり、運動後に自分の運動をビデオなどで観察する他者観察とがあり、目標とする運動の表象を示範やビデオを他者観察することによって明確にとらえ、さらに自分の行った運動の経過を自己観察し、両者の違いを比較することによってそのギャップを埋めていくことが運動の学習であると筆者は述べている。
 
 運動学習を様々な理論で説明している文献は多々ある。この文献は運動学習を促すための方略が記載してあるため、是非一読していただきたい文献です。

2011年6月2日木曜日

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則

首藤 康聡(岡崎南病院)

『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則 』
カーマイン・ガロ (著), 外村仁 解説 (その他), 井口耕二 (翻訳)

みんなスティーブ・ジョブズの名前は知ってる?きっと一度は耳にした事があると思うんだけど、知らないっていう人は、iPhoneやiPadならどう?これなら聞いたことあるでしょ!彼はこれを開発したAplle社のCEOなんだ。彼のプレゼンテーションは世界一とも言われてるんだけど、なぜ魅力的で人々を惹きつけるプレゼンができるのかを解説したのがこの本。中にはプレゼンに大切な18の法則が書かれてあるんだ。

これを参考にして愛知県の勉強会で講義をしたんだけど、参加した先生たちはどうだったかな?また、コメントをしてくれれば嬉しいんだけど、かなり今回は自分のプレゼンを意識してみたんだ。立ち位置や、視線、問いかけの仕方などなど・・・すごく疲れたんだけどね。でも、僕なりの手ごたえはあったと思ってる。それはあの午後の眠い時間帯に誰一人として眠らなかったから!!!緊張感を持ちつつ、みんなとの距離も離れすぎず、飽きない空間を作れたかなって思ってるんだけど、自己満足かな?でも、これが出来たのもこの本のおかげなんだ。すごく、インタラクティブな関係も作れたしね(ただこれは他の本も参考にしたんだけどね)。

そもそもなんで僕がプレゼンの本を読んだのか?講義をするって決まってから読んだわけじゃないんだ。講義が決まる前にはもう何冊かプレゼンの本は読んでたんだけど、プレゼンって相手がいる事が絶対条件だよね。プレゼンの方法で観客が受ける商品の印象はだいぶ違うし、そのあとの売上なんかにもかなり影響してくるらしいんだ。つまり、説明次第で相手の印象がかなり違ってくるってこと。結局、聴衆はプレゼンターに影響されるってことなんだ。

じゃあ、これを臨床に置き換えてみてね。プレゼンターと観客の関係は、セラピストと患者の関係に似てるよ。患者さんにとってセラピストは外部環境だよね。外部環境との相互作用で運動が決定されていくのであれば、セラピストの振る舞い方は患者さんにかなり影響を与えてくる事になる。じゃあみんなは自分の振る舞い方って気にしてる?そもそもどんなところを気にすればいいんだろうね。わかんないやって人、今のままじゃいけないかもって感じたらこの本を読んでみて。きっと自分の臨床を助けてくれるから。

2011年5月15日日曜日

疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性

佐藤 郁江(岡崎南病院)

「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」
上村 晃弘  サトウ タツヤ 
日本パーソナリティ研究 2006 第15巻 第1号

「性格判断」はクレッチマーの気質類型論のように精神医学の中で考えられているものから、血液型占いといったものまで存在している。そんな時本屋で、血液型と脳機能の働きの関係があると考えている本がありました。しかし、その本にはなぜ働きが変化するのかが書かれておらず、よくわからないこととして、少し調べた時に
「疑似性格理論としての血液型性格関連説の多様性」
上村 晃弘  サトウ タツヤ 
日本パーソナリティ研究 2006 第15巻 第1号
を見つけました。しかしこの論文も実際に研究したものではなく、テレビの中で出てきている番組を検証している状態です。この論文の中には様々説が出てきます。
1.伝統的説明
2.進化論的説明
3.脳・糖鎖説
4.脳・部位説
5.気質の3次元説
6.後天性血液型
7.40パタン
8.生年月日との折衷説
9.カラーセラピー説
10.音響説
11.否定的説明
その中で始めに気にかけた説である脳・部位説で、A型は記憶が司る側頭葉や海馬が働きやすく、B型は発想・行動を司る前頭葉が働きやすく、O型は感覚を司る後頭葉・頭頂葉が働きやすく、AB型は海馬・側頭葉優勢になる時と、前頭葉が優勢になる時があるとしている。残念ながらここでどんな課題を行っているのかなどは不明であり、どのような時に働きやすいのかも不明である。これが思考過程の中での変化としては一つの指標として興味深いと思えたのです。しかし、筆者はそれぞれの説に対して否定的意見や矛盾点を述べています。そして、「血液型と性格の関係性について将来何かが見いだされる可能性については否定できないが、心理学者がそうした可能性を無条件に受け入れる必要はない」としています。このような様々な説の中が出てくるのははっきりしていないからであり、分類をすることで人をわかりやすくしたい、といった考えもがあるのでしょう。しかし血液型だけで、決定することはできるものではなくいろいろな因子が関係していることも知っています。そして、筆者の行った本当にどうなのかといったものの考え方が出ているものとして、私としても日々行っていくべきことのように思いました。また、血液型で当てはめるのはよくないのですが、一つの仮説として持っておくと、患者さんの理解につながるところもあると思っています。

2011年5月1日日曜日

木を見る西洋人 森を見る東洋人

尾﨑 正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

木を見る西洋人 森を見る東洋人
リチャード・E・ニスベット  ダイヤモンド社

最近ふと感じることがある。日本で行われている第三の医療と言われるリハビリテーションは「日本の文化」というものを考慮し行われているのかと。欧米では靴というのは上履き、下履きと区別されているわけではなく靴は靴として内、外の境界線は無い。しかし、我が国日本は玄関には「上がり框」が存在し、内と外を分けている文化である。「文化」非常に大きなテーマである。

認知神経リハビリテーション発祥の地イタリアの文化と日本の文化は当然違う。日本には日本の文化があり、イタリアにはイタリアの文化が存在する。そこで本書である。文化の違いを知るためにそして、異なる文化の人々の物の考え方について学ぶことは、日本文化を知ることであり、自分自身のものの考え方をより向上させることができるかもしれないと思い本書を読んでみた。

本書の中で著者は、東洋人のものの見方や考え方は「包括的」であり、西洋人のものの見方や考え方は「分析的」であるという。包括的思考とは、人や物といった対象を認識し理解するに際して、その対象を取り巻く「場」全体に注意を払い、対象とさまざまな場の要素との関係を重視する考え方である。他方、分析的思考とは、何よりも対象そのものの属性に注意を向け、カテゴリーに分類することによって、対象を理解しようとする考え方である。言い換えれば、東洋人は「森全体を見渡す」思考、西洋人は「大木を見つめる」思考様式を持っていると述べている。著者は様々な実験を本書の中で紹介し両者の違いを分かりやすく説明している。その中の1つの実験にアメリカ人と中国人の大学生に3つの単語(パンダ、サル、バナナ)を示して、これらのうちどの2つが仲間であるかを尋ねたところ、アメリカ人はパンダとサルを選んだが、中国人はサルとバナナを選んだ。中国人は、「動物」というカテゴリーよりも「サルはバナナを食べる」という関係を重視したのである。また、現代の東アジア人と西洋人の認知の違いについて予測を立てている。
・注意と知覚のパターン・・・・東洋人は環境に多くの注意を払い、西洋人は対象物に多くの注意を払う。東洋人は西洋人よりも、出来事の間の関係を見出そうとする傾向が強い。
・世界の成り立ちについての基本的な仮定・・・東洋人は実体、西洋人は対象物から成り立っていると考えている。
・環境を思いどおりにできるか否かについての信念・・・・西洋人は東洋人よりも強く、自分の思いどおりに環境を変えられると信じている。
・安定と変化に関する暗黙の仮定・・・西洋人は安定を、東洋人は変化を仮定している。
・世界を体系化する習慣・・・西洋人はカテゴリーを好み、東洋人は関係を強調する。
・形式論理学の使用・・・・・西洋人は東洋人よりも、論理規則を用いて出来事を理解しようとする。
・弁証法的アプローチの適用・・・明らかな矛盾に直面したとき、東洋人は「中庸」を求め、西洋人は一方の信念が他方よりも正しいことにこだわる。

なるほどと思える部分もあるが、すべての西洋人、東洋人が著者の述べるような人たちであるとは思わないし西洋、東洋と言っても様々国がある。しかし、本書によって異文化の中で生きている人たちは、違うものの考え方、見方をして生きていることを教えてもらったのは確かである。

認知神経リハビリテーションの発祥の地であるイタリアは西洋の国の1つである。
認知神経リハビリテーションがどのような文化、世界観の中で生まれたのかを少し垣間見ることができたような気がする。

2011年4月17日日曜日

「話す力」が面白いほどつく本

井内 勲(岡崎共立病院)

『「話す力」が面白いほどつく本』,三笠書房,櫻井弘

この本は普段、何気なく行っているコミュニケーションという行為を見つめ直し、コミュニケーション本来の力を十二分に発揮することを目的とし書かれていました。著者は『「話す・聞く」という行為には、無限の可能性が秘められています。それをどう使うかで、周囲に対する影響は大きく違ってきます。その影響はやがて、自分に返ってくることは言うまでもありません。』と述べ、コミュニケーション能力に関してポイントを7パートに分け説明しています。社会生活の上でコミュニケーンは欠かすことの出来ないことで、その能力によって相手に与える自分自身の印象や、相手からの受け入れ、信頼など大きく影響することから、言うまでもなく、自己研鑽やこの時期の新人教育としての接遇教育などで役立つのですが、さらには我々の治療場面や、展開の上でもこのコミュニケーション能力は患者の内なる世界を見出す方法としても重要な技術であり、その視点で読み進めてみても、とても興味深い内容でした。

例えば、
PART4 あなたは「話し方」で損をしていないか、の章では、質問力として「相手に理解してもらうにはどうしたらよいか」という内容が述べられています。まずは相手がイメージできるように具体例を使って話をすること、その場合の話の展開の仕方について
① 並列→強調・・・同じような例をいくつも出して、強調する
       「だからこそ・・・」
② 直列→対比・・・良い例と悪い例を出して、違いをわからせる 
        「したがって・・・」
③ 分解→分類・・・ひとつの例を分析、細分化して、構成要素を浮かび上がらせる
        「分けると・・・つまり・・・」
④ ステップ→誘導・・・第1段階は~、第2段階は~と順を追っていく
         「初めに・・・次に・・・最後に・・・」
⑤ 逆説→立証・・・もし~ならば、というように、逆のケースをあげて話を展開する
        「仮に・・・ということは・・・」
それでも相手が「もう一度説明して下さい」とあった場合は、どの部分が特にわかりにくかったのかを質問してみることで、「どこから、どのように」説明すればよいかが、明確になってくる、と著者は述べています。さらに、相手のわかっていないところがわからなければ、質問者はイライラし、結果的に質問力も低下し、相手に不快な言葉グセ(ここでは、「要するに」「ですから」などの自己中心的な言葉)を使用してしまう。と続けています。

その他にも、接続詞の効果的な使用方法で話にメリハリをつけるポイントもあり、当然のような事でもありますが、普段の自分の質問、会話を見直すきっかけとして参考になりました。

2011年4月2日土曜日

Q~わたしの思考探求~

荻野 敏(国府病院)

今年の1月から始まったNHK教育テレビの番組です。第1回がとにかく衝撃的でした。まず、この番組の内容は

人生で誰もがぶつかる永遠の問いを抱えたタレント「謎かけ人」に対して、日本を代表する文化人「賢者」が対話を通じて、思考を重ねてよりよい答えを探ってゆくトーク番組。

とあります。初回の「謎かけ人」はスーパーモデルの冨永愛さん。「賢者」はなんと!鷲田清一先生です。テーマは「自分とは何か」というとてつもなく深いものでした。初回にしてはかなりヘビーな内容だなあと思いつつ、番組を視聴。冨永さんはスーパーモデルであり主婦であり母であり、そんな自分はいったいどういう存在なんだろうということを悩んでいたそうです。鷲田先生との対話の中で少しずつ思考が深まっていき、そして番組の中で思考実験が始まります。思考実験とは現実の実験の一つの極限として思考だけで成立すべき実験で、一つの理論体系内での演繹推理の補助手段として用います。つまり頭の中で考えて、どうなるのかっていうことを推理することです。鷲田先生が出した思考実験はイギリスの精神科医・思想家のR.D.レイン(1927-1989)の例題をアレンジしたものでした。皆さんも考えてみてください。

この例題は母親と子供のやりとりです。息子は学校からかけだしてきます。母親は息子を抱きしめようと腕を開くが、彼は離れて立ったままです。母親は「お前は母さんが好きではないの?」と問います。すると息子は「うん」と答えました。さてこの後、母親が採った態度は以下の3種類です。どれが妥当でしょうか?
①「そう、いいわ。おうちへ帰りましょう」と言って家へ帰る
②母親は息子をどなりつけて言う「生意気言うんじゃないよ!」
③「だけどお前が母さんのこと好きだってわかってるわ」と言って息子を抱きしめる
さてどれでしょう?妥当な答えは?つまり、どの答えが自分にとって一番心に落ち着くかということです。
鷲田先生曰く、この中でもっともとってはいけない態度は③だそうです。一番いいのは②だそうです。意外でしょ?でも理由があるんです。②の答えは、
・自分の言葉が母親に強烈な影響を与えている
・母親に他人として認められている
・自分が言うことで母親をそこまで激怒させた
ということが示されています。ところが、③は子供がそう思って言った言葉を「お前は間違っている」といった具合にまるで消しゴムで消すように消されてしまっています。こういう状況にいる子供は、自分は間違っているとか、この言葉は他人に届かないと思わざるを得ないそうです。つまり③を言われた子供はいつまで経っても自分を認められないと思うそうです。これは、考えてみたら怖いですね。自分の思っている感情を否定されるんですから。①の答えの場合は、一度「いいよ」と距離を置いたままとりあえず帰っているので、子供は母親に一応他者として認められています。一見優しい母親の態度と思われる③は、実は他者否定に繋がります。自分がなんなのか、どういう存在なのかわからなくなったとき、他者と私の関係の中である程度の場所を占めている存在、他者の他者として今ここにいるということを感じられることが大切だと説いてくれました。なるほど、自分とは何かを考えることは、自分にとって他者とは何かを考えることであり、それは他者にとって自分とは何かを意味することでもある。すげえなあ~と興奮しながらテレビを食い入るように見ていました。他にも示唆に富む内容がたくさんありましたが、すぐにこの番組のファンになっちゃったんですね。ところが・・・・・・。3月の第11回で終了してしまいました。残念です。NHKから書籍も出版されているみたいですよ。要チェックです。

全11回すべての「テーマ」「謎かけ人」「賢者」一覧を書きますね。
第1回:「自分とは何か」冨永愛×鷲田清一
第2回:「なぜ戦争はなくならないのか」サヘル・ローズ×伊勢崎賢治
第3回:「言葉とは何か」又吉直樹×町田健
第4回:「働く意義とは」カンニング竹山×橘木俊詔
第5回:「恋愛とは何か」光浦靖子×泉谷閑示
第6回:「哲学的に考えるとは」石川直樹×入不二基義
第7回:「幸せを感じる社会とは」川嶋あい×川本隆史
第8回:「賢い人づきあいとは」鳥居みゆき×菅野仁
第9回:「時間とは何か」マギー×植村恒一郎
第10回:「運と人生の関わりとは」品川祐×植島啓司
第11回:「心豊かな生き方とは」長塚圭史×竹田青嗣

でも、すべての回を録画してあるので、また時間があるときにもう一度観てみたいと思える番組でした。