2015年12月15日火曜日

仮説を立てるための知識について(4)

若月勇輝(西尾病院)

前回の私の臨床のヒントでは論文検索方法について記述した。知識を収集する際に、絶対と言って良いほど英論文に遭遇する。論文の参考文献には英論文がずらりと並んでいる。レビュー論文に興味深い記述があり、その参考文献が英論文であった場合、英語を読むことができなければ、その知識を収集できない。私もそうであるが、英語を読むことに抵抗がある。訳せないことはないが労力と時間が必要である。しかし、英語が読めないから知識を収集できず、洗練された仮説を立てられなくなるのは、患者さんにとってもセラピストにとっても非常に残念なことである。ではどのように英語を読めば、労力と時間をかけなくて済むのだろうか。今回は訳す際に多く時間を要すると思われる英単語の検索方法を、私の経験を通して紹介する。

医学系の英論文を読むためには、医学系の電子辞書が必要と考えている人もいると思われる。しかし、今はインターネットで調べることができるので、そのような高価な辞書は必要ない。Weblio辞書というサイトを使えば、大抵の医学系の英語を検索することができる。また、lingueeというサイトを使えば、論文で使用した例文の翻訳を検索することができる。
さらに、インターネット上に便利なアプリがある。Weblioの翻訳アプリがあり、それをGoogle Chromeにダウンロードすれば、インターネット上に表示される英単語にアイコンを合わせるだけで検索可能になる。これはPDFでも利用可能である。それにより、医学系の電子辞書を購入せず、検索する時間を短縮し、翻訳が可能となる。

また、パソコンを使用しない方法もある。Iphonには辞書機能がついており、文字範囲を選択するだけで英単語の意味を検索することができる。PDFでダウンロードできる論文はIphonで見ることができるため、この機能を活用することができる。しかし、英論文を読むたびに毎回ダウンロードするのは手間である。ここでDrop boxという無料のデータ保管システムを使用する。USBがネット上にあるようなものである。このアプリをIphonとパソコンにダウンロードしておけば、パソコンに保管したデータをIphonで見ることができる。Iphonにない単語はウェブ検索の表示があるため、すぐに検索することができる。これによって検索スピードは早くなり、結果として論文を読むスピードは早くなる。インターネット上にある翻訳システムは誤訳が、多いため自分で訳した方が良いと思われる。

このようにして、英論文を早く読むことによって、より早く洗練された仮説を立てられるのではないかと思われる。もっと効率の良い方法を知っている方がいたらコメント頂ければ幸いである。

2015年12月1日火曜日

相手に本気で話をきいてもらう唯一のコツ

進藤 隆治(岡崎共立病院)

相手に本気で話をきいてもらう唯一のコツ

「会話は面白くなくてはいけません。
どれほど、内容が濃くて役に立つ話でも、長くて面白くなければ嫌われる。
だからといって、笑いを取ろうと無理すれば失敗します。面白がってくれたとしても、品の悪い人間と思われたりする。
面白いネタには限りがあるので、いつも成功することはむずかしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
眉根を開いて、心から自然に湧き出してくる晴れやかな表情をもって、相手と向き合うこと。
これこそが、相手に本気で話を聞いてもらえる、唯一の秘訣です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(森鴎外生き方の『知恵袋』人生論ノートP.90,91:齋藤孝 編・解説)

上記の文章は読み、先日聴いた講義を思い出した。
11月22日にみえ認知神経リハビリテーション勉強会の特別講義にて鶴埜先生の講義だが、難しい内容を簡潔に、要点をまとめ、面白く話をされていた。
私自身も今年は何回か院内で勉強会を開いたり、学会発表もしたが、大変緊張もしたし、早口になったり、視聴してくださった先生の眠りを誘ってしまったりと上手く話ができなかったことを思い出す。
鶴埜先生はとても晴れやかな表情で話しをされていて、とても聞きやすいと感じた。
そして、本当に認知神経リハビリテーションや研究、勉強会で一緒に盛り上げている仲間のことが好きなんだと思った。
今回の話は、自分が楽しいと思える発表がしたいと強く想った機会となった。

2015年11月15日日曜日

ハリガネサービス

首藤 康聡(岡崎南病院)

うちの家族が最近はまっているバレー漫画がハリガネサービス。以下は簡単なストーリ。

中学時代、怪我でバレー部のレギュラーになれなかった下平鉋。都立豊瀬高校に入学した彼は、縦横無尽に操れるサーブを武器に再びバレー部に入部し見事レギュラーを獲得。そして初めての公式戦。見事インターハイ予選一回戦を勝ち抜いた彼らは、続く第2試合でトリッキーなプレイを展開する竜泉学園ペースを崩され第1セットを落としてしまう。そしてこの竜戦学園を指揮する雨竜監督は豊瀬高校の山縣監督が初めて指導者として全国大会に出場した時の教え子だった。さあ対戦相手に翻弄される豊瀬高校のメンバーは果たしてこの局面を打開するのか!

といった感じの漫画なんですが、この豊瀬高校の山縣監督は全国大会に初めて出場した頃から色んなスポーツをバレーボールに応用できないか常に考えていたそうです。だから怪我で片足でしかジャンプのできない下平にその練習のため、ハンドボール部に入部させたりしています。どうやらバレーボールの片足ジャンプでのアタックとハンドボールのジャンプシュートが似ているということで下平の練習にはうってつけと考えたようです(あくまで漫画の話ですのであしからず)。これってなんだかペルフェッティ先生と似てると思いませんか?何を見ても認知のヒントにならないかって考える事と同じじゃありませんか?以前は良くそんな話を聞いていたんですが、最近ちょっと聞いていなかったなあと感じています。

そしてこの雨竜監督が率いる竜泉学園のメンバーは元々他のスポーツの経験者です。野球部やサッカー部、クラッシクバレーの経験者もいます。だから手でトスを上げる代わりに、ヘディングでトスを上げたりしています。それぞれが自分の得意なスポーツでバレーボールを行うので、非常に変則的で予想外の攻撃が展開されるんですが当然、豊瀬高校のメンバーはそのようなチームと対戦した経験がないからどう戦えばいいのかわからず、苦戦を強いられています。経験がないから予測しにくいわけです。う〜んなるほどと思っている時にふと気づいたことがあります。この雨竜監督がこの様なチームを作ったのは昔から他のスポーツを見てバレーボールに応用できないか考えていた山縣監督の影響があるからだということです。

山縣監督の考え方、その指導があったおかげで雨竜監督はチームを作りあげ今では対戦相手として苦戦させられるまで成長しているわけです。これって指導者として非常に嬉しい事だと思いませんか?きっと嬉しい事ですよね。さてさてペルフェッティ先生は僕たち日本のセラピストをどのように見ているのでしょうか?僕たちの事を嬉しく思ってくれているのでしょうか?もちろんペルフェッティ先生のために治療をしているわけではありません。だけどペルフェッティ先生が嬉しいと思ってもらえるほどの治療が我々にできているのでしょうか?まだまだ満足しては入られませんね。自分の臨床。愛知の臨床。そして日本の臨床。もっと切磋琢磨していかなければと反省させられました。

2015年11月2日月曜日

媒介過程

佐藤 郁江(岡崎南病院)

『認知心理学』仲真紀子編著 ミネルヴァ書房

「ヘッブは、無意識は感覚支配的な過程だが、意識は先行する心理状態に応じた反応が選択的に返せる過程だとした(ヘッブはこれを媒介過程と呼んだ)」

『認知心理学』の本の中にこのように書かれている部分がありました。認知神経リハビリテーションの中でも運動を意識しているのか、無意識に行っているのかといった話があると思います。一つの意識の考え方として存在しています。ヘッブの考え方の前に意識とはいわば「内観」ができる。内観できるか否かは、日常的に言う「気づき」や「意識」の概念と近いとされていました。今まで果たしは内観できるといった考え方の気づきということに注目が向いていたと思います。それに対して危険信号に対しては感覚支配的な過程で、刺激に対して逃げる逃避反射などの存在が無意識であり、中止させることのできるものを意識としても考えることができるのではと考えています。

この説明の中で媒介過程の例はたす(和)やかける(積)で、数字の刺激に対して選択的な反応を行うことのっできる過程であるとしています。

動作の中での意図いう部分がここに重なってくるようにも思っています。

2015年10月16日金曜日

再会

尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)

第16回日本認知神経リハビリテーション学会が神戸市で10月3日から開催されました。

「運動麻痺の回復」をテーマにした学会に、全国各地から多くのセラピストが参加されました。

学会のレセプションで、ある新人セラピストに声をかけられました。以前、当院の新入職員募集の求人で見学に来て頂き、面接まで受けて頂いたのですが、採用には至らなかった方でしたが、病院見学の際に色々な話をさせて頂いた中で、認知神経リハビリテーションの話をさせて頂いたのをきっかけに認知神経リハを学習されているそうです。残念ながら、当院で共に勤務し、学習することはできませんでしたが、神戸という地で再会し、認知神経リハに興味をもたれ、日々真摯に学習されていることを大変うれしく思いました。

また、何が学習のきっかけになるのかわからないということと、人の「縁」というものを感じました。

その方は、交通事故で自身もリハ治療を経験されたそうです。患者の視点で患者の世界を知っており、患者によりそった治療をすることができるセラピストだと思います。

その方は言われました、「こんなに運動機能回復に真剣に取り組む多くの方々がいるなんて・・・」と。認知神経リハの学会に参加されている方々は、患者の真の願いである機能回復を追求しているセラピストです。

同じ職場では学習はできませんでしたが、この再会を機会に、これから様々なディスカッションをし、共に学び、一人でも多くの患者を回復させることができればと思います。

2015年9月29日火曜日

昔話法廷

荻野 敏(国府病院)

昔話法廷(Eテレ)
http://www.nhk.or.jp/sougou/houtei/

またまたファンキーな番組をやってくれていました、Eテレ!

今回は昔話で起きた事件を題材に法で裁くというちょー難問。先生向けのページというのもあってそこにはこう書かれています。

「この法廷ドラマの特徴は、最後に判決が出ないことです。判決を下すのは、それを教室で観た子どもたちです。一人一人が「裁判員」として、争点は何か、被告人はなぜ罪を犯したのか、証拠は信用に足るのか、どれぐらいの量刑が妥当なのか、登場人物の言い分をもとに議論を交わしていきます。」

本当の裁判みたいに番組は進行していきます。しかも裁判員裁判ですので、一般のわれわれも判決に加わらなければいけないかもしれない。そういう視点で見ていくと、結構意見が分かれそうです。そして検察や弁護人の陳述によっても、自分の意見がぐらつくのがわかります。

たかだか、15分の番組です。第1話が「三匹のこぶた」、第2話が「カチカチ山」、第3話が「白雪姫」です。それぞれ、こぶたが狼を殺したのは殺人かそれとも正当防衛か? ウサギがたぬきを懲らしめたのは認めているがウサギは刑務所に送られるべきかそれとも執行猶予か? 王妃が白雪姫を殺そうとしたが王妃は全面否定、では有罪か無罪か?

あくまで思考することが目的なので番組の結論は出ないままで、めっちゃフラストレーションが溜まります(笑)。奥さんとそのあとディスカッションしてみたんですが、僕も奥さんも主張が違っていて、結論はまったく違っていました。裁判員裁判なら多数決に持ち込まれるでしょうね。

昔話を法廷にかけるという視点。見方によって主張が違うという視点。同じ番組を見ても意見が違うという視点。こういう視点に気づかせてもらいました。

2015年9月3日木曜日

実行機能の発達から考える

岡崎共立病院 井内勲

第14回の学術集会で「実行機能の初期発達とその脳内機構」というテーマで講演をして頂いた、森口佑介先生(上越教育大学大学院・科学技術振興機構さきがけ)の文書が当院の言語聴覚療法の待合にある本棚にあったので紹介する。

『発達教育』という公益社団法人 発達協会が発行している月刊誌の2015年7月、8月、9月号にて「実行機能が発達する道すじ」として連載されていた。

7月号は「実行機能の初期発達とその重要性」という題で、「ある場面において優位な行動(選択されやすい行動)を抑制したり、行動を切り替えたりすることで、目標遂行を可能にする能力」と実行機能の説明を、例えに欲求をアクセル、実行機能をブレーキやハンドルとういう表現も加えて解説している。また研究から実行機能の発達時期(概ね5歳頃まで)や神経基盤が前頭前野の一部領域(学会の講義では下前頭領域との関連を紹介されていた)の発達と関連しているとし、更に興味深い内容として実行機能の個人差が小学校入学後の国語や算数の成績と関係することや、実行機能を含めた自己制御能力が高い子どもは児童期や青年期の友人関係が良好で、成人後も収入や社会的地位が高く、健康状態が良好という証拠も示されていると初期発達の重要性を述べている。

8月号では「実行機能の発達に影響する遺伝的・環境的要因」として二つの重要な要因を説明している。自分としては後者の環境的要因の研究で、幼児とぬいぐるみとのやりとりに注目した研究がヒントとなった。事前に幼児にルール切り替え課題をおこない、そこで失敗した幼児のみに対して、先の課題のルールをぬいぐるみに対して遊びの中で教えるように指示した。結果は、ぬいぐるみに課題のルールを教えることで、自らの課題の成績を向上させ、更に前頭前野の活動も教えることを通じて高まった。という内容である。
 目標遂行にあたり、目標志向的な行動の実現においては他者との関係(ここでは仲間とのやりとり)が前頭葉の活動も高め、実行機能の発達を促進する可能性が示唆されたことは、我々の患者とセラピストといった関係や、上司と部下といった組織教育場面においても置き換えて考える事が出来るのではないかと感じた。単に与えるといった指示だけでは困難な場合があり、違う位置(立場)から自分をみてもらい伝えてもらう事も重要であるように思った。

最後の9月号は「実行機能の発達に問題を抱える子ども」について、自閉症スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などの紹介から支援について筆者の見解が述べられている。先にもあったように実行機能が前頭前野の発達と密接にかかわっているという事からも、この領域が様々な脳領域とネットワークを築いており、その発達も他の脳領域に比べ時間がかかるという特徴がある。よって実行機能が様々な障害に関わるのは事実だとしても、実行機能のみに着目し、実行機能のみを標的とした支援をしていても意味がないかもしれない、日常的な行動として実行機能の弱さが見られるとしても、実行機能とそれ以外の能力の弱さを考慮した支援が必要であると筆者が論じている。これらからもあらためて、脳の障害部位を機能局在としてみることではなくシステムとして全体を考え、影響のある要因を考慮した評価・治療も必要であると再認識させられた。

今回、紹介した『発達教育』は表紙にも「発達につまずきのある子どもの子育てと保育・教育を応援します。」とあるように、医療従事者への専門書というよりも対象読者は一般向けの雑誌である。したがって比較的分かりやすい言い回しで書かれているので読みやすく、導入としては十分であった。また、さらには研究の紹介や参考文献もしっかりと載せられており、筆者が考える今後の仮説や課題もあり十分に参考となった。

2015年8月15日土曜日

仮説を立てるための知識について ( 3 )

若月 勇輝(西尾病院)

前回のヒントでは,私が考える理想の知識収集方法について記載した.今回は知識収集のために必要となる論文検索方法について述べる.

論文検索は基本的にはインターネットを使用することが多いと思う.検索エンジンとしてはGoogle scholarやPubmed,Jstage,Cinii,メディカルオンラインがある.日本語論文の場合,Jstage,Cinii,メディカルオンラインを使用し,英論文の場合,Google scholarやPubmedを使用する.有料でダウンロードするのはメディカルオンラインである.無料でダウンロードできるのは,Google scholarやPubmed,Jstage,Ciniiであり,一部有料や複写依頼が必要となる.

検索エンジンに入力するキーワードによってはヒット数がかなり多くなり,どれを読めば良いかわからなくなることがある.ダウンロードした論文を全て読もうと試みたことはあるが,多くの時間を要することや,知りたい情報が何か分からなくなってしまうという問題があった.そのため,より知りたい情報に早くたどり着くためには,より的確なキーワードを入力し,論文を絞り込む必要がある.

この問題を解決するためには,疑問を明確にし,キーワードをより的確にする必要がある.私は「 PICO 」と呼ばれる方法を用いている.これは,疑問を定式化する方法であり,印象 ( インプレッション ) から臨床の疑問 ( クリニカルクエッション ) にすることができる.例えば,「 認知症患者の疼痛をどのように評価すれば良いのか? 」という疑問がある.この場合はキーワードとして「 認知症,疼痛,評価 」とするかもしれない.しかし,この3つのキーワードで検索すると,多くの論文がヒットする.ここで先ほど紹介したPICOを使用する.これは,P : patient ( 患者 ) ,I : intervention ( 介入 ) C : comparison ( 比較 ) ,O : outcome ( 結果 ) に当てはめることで,臨床での印象が,明確な疑問となる.例を参考にすれば,「 認知症患者へ ( P ) ,疼痛の評価をすると ( I ) ,健常高齢者と比較して ( C ) ,妥当なのか ( O ) ? 」といったようなはっきりとした疑問になる.この場合,キーワードとしては,「 認知症,疼痛,評価,健常高齢者,妥当 」と入力することで,「 認知症,疼痛,評価 」よりも検索論文を絞り込むことができ,自分が知りたい論文へ,より早くたどり着くことができる.実際にPubmedで「dementia pain assessment」と検索すると707件ヒットするが,「 dementia pain assessment healthy elderly validity 」と検索すると1件のヒットとなる.( 2015.8.10検索 )

読者が論文を検索するためのヒントになれば幸いである.

以下のサイトにもPICOについて解説しているので参考にして頂きたい.http://plaza.umin.ac.jp/~literis/ebm/buildingquestion.html

2015年8月2日日曜日

電車の中で

首藤 康聡(岡崎南病院)

先日、ある勉強会に参加している途中でふと思った事を書いていきたいと思います。僕は以前にもその勉強会に参加させて頂き、今回もまた改めて学びたいと思い勉強会へ申し込ませて頂きました。確か今回の勉強会の申し込みを知ったのはFacebookでした。最近は多くの勉強会の情報がSMS上でも知る事が出来る様になり、より多くの情報が僕たちの手元に届く様になってきている事に便利な世の中になったなと思っています。僕が理学療法士免許を取った頃は情報の多くは協会誌や各学会誌などで申し込みも往復はがきを使っていました。今はほとんどの勉強会がネット上で申し込みができたり、新しい情報がすぐにネットで更新されたりするので非常に助かっています。

さて、この勉強会に参加しようと意思決定をしたのは紛れもなく僕自身です。僕自身で勉強会の内容をネットの情報や過去の参加した時の印象などを考えて申し込みをしたわけです。なんでそんな事を考え始めたのか覚えてはいませんが、会場に向かう電車の中でそんな事を考えていました。そこでふと疑問がわきました。それは、その意思決定は果たして自分で行ったと言えるのかという疑問です。

確かにその勉強会に参加を決めたのは僕自身です。なんですが、その決定を下すまでにはその勉強会の情報(例えば開催日時や場所、内容、講師など)や仕事、家族の予定など様々な要件を考えて参加を決めたわけですからそこには僕以外のなにかが関わっているわけです。とするとやはり僕の意思決定は自分自身で決めたとはちょっと言えない様な気がします。別にそんな事気にしなくてもいいんじゃないと言われるかもしれませんが、もしこれが患者さんの立場だったらどうでしょう?

認知神経リハビリテーションでは患者さんに訓練中に能動的探索が求められます。この能動的探索は自分自身の意思決定なわけですが、先ほどの様に考えてみるとこの意思決定に至るまでには多くの何かが関わっていたはずです。そしてその何かには当然セラピストもいるわけです。セラピストは患者さんにとって外部環境です。その外部環境であるセラピストは患者さんの意思決定に影響を与えます。では僕たちセラピストは患者さんにどの様に振る舞えば能動的探索へと導く事が出来るのでしょうか?なかなか答えが出ないまま結局、電車が到着してしまいました。答えは一つではないかもしれません。患者さん一人一人に合わせるしかないんじゃないという意見も聞こえてきそうな気がしますが、何か良い答えはないものでしょうか。もう少し考えてみたいと思います。

2015年7月15日水曜日

在宅における認知神経リハの導入への悩み

進藤 隆治(岡崎共立病院)

6月から訪問リハへ関わるようになりました。訪問では呼吸器疾患や小児も関わり、自分としてはかなり刺激的な(あたふたしている)日々を送っています。病院でのリハと違い、訪問では在宅での生活場面で、利用者さんが問題と捉えていることが浮き彫りになるので、より生活へのアプローチとなりやすいです。しかしながら、ある程度、家での生活が継続できてくると、「もう少し、手が動けるようになれば・・・」「足が上に向くといいな」「腰の痛みをなんとかしたい」といったような、身体機能面の悩みも聞かれるようになります。つまり、在宅では生活していく為に、①環境要因(福祉用具やサービス)にて早急に解決しなくてはならない問題と、②疾患からくる根本的な身体についての問題に直面するということでした。

病院リハでも同じような問題はあるじゃないかと思われるかもしれませんが、在宅とはニュアンスが違うと自分は訪問をやりはじめて考えています。身体機能の回復+環境要因=自宅での生活動作の獲得ではなく、なんとか生活はできていても、環境的要因で身体機能の不足分はカバーできていたとしても、根本的な身体機能の問題は常に残ります。自分はそのへんに、在宅でも認知神経リハを導入していく価値があるのではないかと考えました。現在の導入の仕方は、40~50分の1回の介入において、1パフォーマンスについて課題を1つ2つ設定し、確認としてそのパフォーマンスの動作を行い確認していくといった方法を行っています(これは、病院での導入とそんなに変わりないです)。

リハビリは学習だと捉え在宅で長く生活していくことを考えると、週の介入は少ないが、期間は長く関わっていけることからも、「現在の身体機能で何を学習することで、生活しやすくなるのか」を考慮していくことも必要だと思いました。もちろん社会資源や介護サービスについての検討も大切ですが、自分が利用者と関わる40~50分の限りない時間に何が私にできるのか?にこだわっていきたいし、悩んでいくところだと思います。

皆さんは、自分の領域でどのように認知神経リハを取り入れていますか?

また、取り入れたいけど、どうすればよいかわからない先生もいると思います。一緒に話し合いながら上手く自分の臨床に認知神経リハを導入出来たらと思います。

また訪問リハでやっている先生にも色々とお話しが聞けたらと思います。

今回はヒントを頂きたい的な文面になってしまい申し訳ないです。よろしくお願い致します。

2015年6月15日月曜日

失敗学のすすめ

佐藤 郁江(岡崎南病院)

『失敗学のすすめ』
畑村 洋太郎著 株式会社 講談社

失敗学は、失敗を否定的にとらえるのではなくプラス面に着目してこれを有効利用しようという点により生まれてきたとされています。つまり不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうというのが『失敗学』の趣旨なのです。

これは、現在医療現場にいる私たちの中ではヒヤリハットなどといわれる、インシデントの分析をし、次のインシデント・アクシデントを起こさないようにするといったところからも経験していることであると思われます。

では、患者さんにとっての失敗とは何なのかと考えてみましょう。そうすると、「思ったようにできなかった」といったようなことが出てくると思われます。その思ったようにできなかったといったことが出てくるのであれば、目標としていることが患者さんの中にあり目標との対比ができている可能性が高くなってくると思われます。それを、患者さんの中での必要を考えていくことができるようになってくると考えることができます。

この本の中では、失敗はさらに未知との失敗と発展していくためのものになっています。しかしその前に、『本の中で知識の必要性を体感・実感しながら学んでいる学生ほど、どんな場面にでも応用して使える真の知識が身につくことを知りました』とあり、患者さんにとって必要な知識を自分で選択できるようにしていけることで、生活の中での改善にもつながっていけるのではと、考えています。

2015年6月3日水曜日

ミラーニューロンシステムと記憶と世界剣道選手権大会

尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)

2015年5月30日(土)に日本武道館で行われた第16回世界剣道選手権大会に子供達をつれて日本代表を応援に行ってきました。剣道には稽古の一つの方法に「見取り稽古」というものがあります。実際に相手と行う稽古ではなく、先生方や先輩方がされている稽古を見て学ぶ稽古の事を言います。初めてミラーニューロンシステムを学習し、その意味を知った時「見取り稽古」の重要性を理解出来た時のことは、今でも思い出すことが出来ます。世界一を決定する舞台である世界選手権は見取り稽古の絶好の機会でした。世界56カ国の地域から厳しい国内予選を勝ち抜いてきた選手たちの立ち姿は美しく、強い剣士たちです。子供たちの脳も私の脳も、とてつもなく働いていたことでしょう。伝統文化の中で先任たちの遺していかれたことの中に、現在の科学で実証されるもの、まだ実証されていないもの、私の気がつかないところで多々残っていることだと思います。

この日の帰り路に関東地方に地震があり、丁度、九段下の地下鉄のホームにいました。当然列車は止まり、自宅に帰宅したのは深夜0時をまわっていました。この出来事はエピソード記憶として子供たちの脳に記憶され、何十年たっても「世界選手権を観戦した帰りに、地震があり、列車が遅れて、深夜に帰宅した」ということを忘れないでしょう。子供たちばかりでなく、私もですが。

私の知らない、気づいていない伝統の中に、まだまだ「見取り稽古」のようなことが存在しているのであろうと思う、今日この頃です。

2015年5月17日日曜日

考えるカラス

荻野 敏(国府病院)

NHK 考えるカラス (NHK出版,2014)

NHK Eテレにて火曜日午前10時と木曜日午後11時45分から放送されている番組。軽快な音楽とともにカラスが不思議な行動をとっています。長ぼそいガラス管の中に水が入っていてその上に餌らしきものが浮いています。そのままでは嘴が餌に届きません。カラスは考えます。すると、なんと横にあった小石をガラス管の中に入れて水かさを増しはじめました。そしてついに餌をゲット!!

「もしかして?」からはじまる楽しい科学の考え方がコンセプトのこの番組は、大人が見ても十分楽しめることができます。ナレーションで何度も出てくるこのフレーズが印象的。

 観察(かんさつ)し、仮説(かせつ)を立て、実験(じっけん)をし、考察(こうさつ)する。科学の考え方を学べ。『考えるカラス』。

書籍ももちろん出ています。そのあとがきにはこんなことが書かれています。

//////////
 学校教育では、唯一の正解が用意できる問いが出されます。とくに入試問題では、誤解なく絶対的で唯一の正解が得られる問題が作られます。このため、生徒は、出題者が期待する正解を探す習性を身に付けてしまいます。-中略-。しかし、実際の物理現象(現実の社会生活でも)に対する理解は、ある範囲内に収まる条件下での解釈をとりあえずしているに過ぎないのです。
 考えるカラスが求めているのは、「権威者があらかじめ用意した正解」を当てることではありません。あなた自身が正解に違いないと思えることです。そのためにはどうしたらよいのでしょうか。それには、与えられた条件を自ら認識し、必要な情報を集め(ここが勉強といわれる部分かもしれない)、そこから論理を構築して結果を推定し、人に説明してください。そのうえで、その条件と論理が正しいかどうかをどうやったら検証できるかを設定し、これを実践して検証します。そうすれば、その論理が正しかったかどうかの判断は、自然界が答えてくれます。
/////////

これって僕らの臨床場面を端的に映し出していませんか? 患者を外部と内部から観察して、病態仮説を立てて、どうやったら回復・学習させることができるかという治療仮説を導き出し、訓練(検証)を行う。そしてその論理が正しいかどうかは訓練の結果でみることができる。科学的なアプローチは「権威者」が本にあらかじめ記載した治療を実践することではなく、観察から始まらなければいけない。認知神経リハビリテーションの訓練にマニュアルはないし、訓練は無限に存在します。患者が代われば訓練が変わることはもちろん、同じ患者でもセラピストが代われば訓練が変わります。だからシステムなんですよね。認知神経リハビリテーションには基本的なルールと原則がありますが、決してこれをやればいいっていうようなマニュアルはない。

だから僕らは、「考えるカラス」のように目の前の患者さんを観察して、仮説を立てて、検証して、考察しなきゃいけないんです。

あとがきには朝永振一郎博士の言葉が紹介されています。

 ふしぎだと思うこと
 これが科学の芽です
 よく観察してたしかめ
 そして考えること
 これが科学の茎です
 そうして最後になぞがとける
 これが科学の花です

臨床という現場で、患者の治療に相対し、そして花を咲かせる。そんなセラピストになりたい。

2015年5月1日金曜日

「すべては光る」から

井内 勲(岡崎共立病院)

すべては光る 光る 光る すべては 光る 
光らないものは ひとつとしてない 
みずから 光らないものは 
他から 光を受けて 光る 

これは、子供が通う小学校の石碑に刻まれている銘文である。

坂村真民という詩人の作品で、数多くの癒しの名言を残し多くの人に慕われた方らしい。

恥ずかしながら、自分は不勉強で存じ上げなかった。

名歌は色々な形で読んだ人の心に浸透していくと思う、その時々の立場や環境、心理状態などによって様々な捉え方が各々にあるのではないか。そして、それはまた一度立ち上がったら永続するわけでもなく、時間が経過すると、自らの経験を背景にまた違った形で内省される事も多い。

今の自分は、「みずから 光らないものは 他から 光を受けて光る」の部分がとても印象的であり、色々なことをここから感じ取れる。

皆さんはいかがでしょう。

2015年4月16日木曜日

仮説の立てるための知識について(2)

若月 勇輝(西尾病院)

前回の私の臨床のヒントの続きを述べたいと思う。前回の内容は仮説を立てるための知識の重要性とその知識収集方法について記載した。
その収集方法は、
・ある分野の権威の論文を読む
・権威が使用している参考文献を読む
・頻繁に用いられる論文を読む
・レベルの高いであろう学会誌の論文を読む
・レベルの高いであろう学会誌の査読者の論文を読む
である。この方法には問題点がある。それは、論文の執筆者、学会誌に依存した方法であるということである。つまり上記以外の方法で収集した情報は知識とならないことを意味している。

しかしながら、知識の収集方法は上記の他にも存在する。それを下記に示す。
・権威以外が書いた論文
・自分がレベルの高いと思う以外の学会誌
・書籍(教科書や文庫など)
・臨床家自身の経験やアイデア
・他のセラピストとのディスカッションから得た知識
である。これらから知識を収集する際には注意しなければならない点がいくつかと思われる。その知識が確からしいかどうか判断する必要があるからである。

論文を読む際には、実験方法が適切かどうか、分析(統計的な分析も含める)が適切かどうか、結果から適切に自分が解釈できるかが重要となる。

教科書や文庫では、どのような経歴の人の意見か、著者はどのような研究をしているのか、現在どのような活動をしているのか(学会の所属や勤務先)、引用している論文が適切かどうか、著者の意見が飛躍しすぎていないか。

臨床家自身のアイデアと他のセラピストとのディスカッションから得た知識は、臨床で適切な方法で適切な分析から検証したのかを判断する能力が必要となる。
結果として、これらの方法に共通する点は、知識を得る者が、適切な方法で適切な分析から検証できる能力が必要になるということである。

この能力を定着させていくためには、自分で研究的な営みをすることが重要と考える。よって、学会への投稿や論文を書くことによって、査読者による批判を受ける必要があると思われる。

私はまだまだ学会レベルであり、論文を書いたこともない。自分の仮説を立てるための知識の収集方法を磨く必要性があり、今後も研究活動を継続していきたいと思っている。それによって、レベルの高い知識を得ることになり、より洗練された仮説を生み出せるようになるのではないかと考えている。

2015年3月31日火曜日

理想の自分を追いかけて

進藤 隆治(岡崎共立病院)

外を歩いていると、最近は少し汗が出てくるようになり暖かくなっているのを実感します。そして、桜の開花とともに清々しい気分になります。

皆さんは今年度、どのような目標を立てていますか?

私はというと、「考えや意見を他人にわかりやすく伝える事」を目標にしたいと思っています。今までは「とりあえず意見を言う」といった、一方向でしかも自分を主に発言していただけでしたが、これからは相手の意見も傾聴し、理解をしながらも自分の意見を含め、共有できる情報を作っていく、そういった関わりを意識していきたいと考えています。
実現に向けてはじめに、自分はOTなので、特にOTの先生との繋がりの中での関わり作っていきたいと思いました。たまたまですが県OT学会の一般演題に応募して発表が決まりました。まずはそこでわかりやすい発表と適確な質疑応答ができるように準備していきます。

また、院内では脳科学や神経生理学の知見を臨床と繋げる内容やヘルスケアサービスについての自分なりに勉強した事を、自分の意図が伝わりやすいように発表できたらなと考えています。

当研究会の勉強会では、自分は今年度のコーディネートはないですが、発表する機会は作れると思うので、良いテーマが挙がった際には積極的にいけたらいいなと考えています。

これらを遂行する為の私の今の武器と言えば、池上彰さんや齋藤孝さんの著書やプレゼンテーションzenがあります。認知神経リハビリテーションの知見とコミュニケーション術を組み合わせて、今までの発表より、よいものを作っていきたいと思います。

と言いつつも、今考えていることが全てできるかはわかりません。(自信なしです)

しかし、理想の自分を追いかけて、新年度が充実した年になるようにしていきたいです。

皆さんはどういった目標を挙げていますか?

この時期は、目標を立ててスタートをするには絶好のタイミングだと思います。より良い年にする為にも目標を持って一年に望みたいです。

2015年3月15日日曜日

心構え

首藤 康聡(岡崎南病院)

先日、家族でスキーに行ってきました。最近は息子も一人で滑るようになり、今回はキッカー(ジャンプ台)やボックス(コース内に設置されたアイテム)に挑戦するようになってきました。まあそうなったら当然の流れで父親の威厳を見せるためにこっちも負けじと挑戦しました。

まあそんな簡単に上手くいくわけがないので動画をとって自分で視覚分析、同業者の妻に動作分析をしてもらったりしていました。もちろん自分の体性感覚へ注意を向けてみたり、運動イメージの想起を行ってみたりと色々と試してみたのですがなかなか上手くジャンプできません。

どうしてなんだろうと悩んでみても答えが出てきません。そこで悩んでる時こそ基礎を思い出そう。そう思って思い出してみたのがAnokhinの行為のスキーマ。で、考えてみると求心性情報の部分では様々な体性感覚情報やその行為を行う際の社会性なども含めて考えて行為の形成を考えていきますが、もちろんここには感情も含まれます。つまり、行為を行う前の感情がその後の行為の結果に影響を及ぼすわけです。

そこで、どんな感情が行為を行う前には必要なのか考えてみようと思い、まずは今自分自身がジャンプをしようと準備をした際の感情がどんなものか確認をしてみたところ、転倒することへの恐怖心を持ちつつ滑ろうとしていました。ひょっとしたら恐怖から変に緊張しているかもな~じゃあジャンプが決まったら気持ちいいんじゃないか、それって楽しそう!そう考えたら上手くいくんじゃないかなんて凄く安易な考えで滑ってみたら成功!まあお世辞にも上手とはいえませんが・・・

さて運動の学習には感情(本来は情動というべきかな?)が大切です。ただそれは成功体験によるものだけではなく、今から課題に向かおうとする感情の持ち方は結果に影響を与えます。やる気が無いことってなかなか学習しませんよね。それと一緒。さて、皆さんの担当されている患者さんは課題にどのように向き合っていこうとしていますか?そこをちょっと聞いてみて、少し声かけを変えてみると案外上手くいくかもしれませんよ。

2015年3月1日日曜日

ワーキングメモリ

佐藤 郁江(岡崎南病院)

多感覚統合の話が出てきて、私が気になっていたのがこのワーキングメモリです。多感覚統合は認知神経リハビリテーションの中で話題になっている項目です。その話を聴いたとき、ワーキングメモリを再び見ていたのもあり、共通点を感じています。

Baddelyはワーキングメモリを視空間スケッチパット、エピソードバッファ、音韻ループが存在し中央実行系でそれぞれに情報の割つけを行い注意の容量の限界の範囲内で作業を行えるようにしています。私が理解している多感覚統合は運動するにあたって必要な情報をそれぞれの感覚を統合するために必要と理解しています。私が感じた共通点は関わりが作られているといった共通点があります。そして、ワーキングメモリは視覚的意味、エピソード長期記憶、言語がそれぞれ働きあって、視空間スケッチパット、エピソードバッファ、音韻ループと関わりあっているような図が使われています。この中のエピソード長期記憶とエピソードバッファの関係が過去との比較を常に行っているという風にも解釈ができています。

これは私が自分の知っている知識で勝手に解釈をしている部分で正しいとは限りません。しかし何かを理解するに分けて考えることも必要なのですが、関係つけることで理解ができて整理できるといったこともあるように思います。患者さんに情報のみをあたえ過ぎないようにも注意しなければとも思いました。

2015年2月17日火曜日

リハビリ新聞記事について

尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)  

最近、新聞に掲載されているリハビリに関する記事を読むと、どうも、現場にいるセラピストと患者との思いとは、かけ離れているように感じるのは私だけであろうか?

2014年11月8日の朝日新聞「買い物・畑仕事・・・・実践リハビリ」の中で、一部施設が取り組む先進的なリハビリは、まず暮らしの中でもう一度してみたいことを高齢者自身から聞く。医師や介護職員らと一緒に実現に向けた計画をたてる。「買い物をしたい」という人なら、単に足の筋力向上だけでなく、店でカートを押して歩く。陳列棚の配置を覚える、など実際の動きや手順にあわせた訓練もする。「畑仕事」が希望なら、低い台からの立ち上がり練習や屋外での歩行に加え、除草動作の反復練習をしてもらう。と書かれている。皆さんどう思われますか?患者の真の希望は、そう言った何かの動作がしたいということなのでしょうか?もう一度してみたいことを高齢者自身から聞くと書かれていますが、その方自身から聴くと言うのは重要なことですが、その動作が身体動作的にできるのであれば、もうすでに、やっているのではないでしょうか?その希望の動作が出来ない根本的な理由が一人一人あるはずです。

ある担当患者が、以前言われました、「動作の訓練はしなくていい、動かない身体を動くようにしてくれ、そうすれば、色々な動作ができるから」と。この言葉の捉え方は人それぞれあると思いますが、私はこの言葉こそ、障がいを持たれた方の真の願いなのではないかと思います。

2015年2月14日中日新聞「遠隔治療リハビリ提案」という記事には、「現在は慢性疾患の治療などに限定されている遠隔診療の対象をリハビリにも拡大。病院にいる医師と在宅の患者が映像や音声でやりとりし、医師が脈拍や呼吸などの情報を把握しながら、適切な診察や指導ができるようにする。その際、人型のロボットを使って、リハビリの具体的な動きなどを指導する。」と書かれている。ロボット技術が日進月歩で発展してきているのは、十分理解していますが、私たちが行っているリハビリテーションがはたして、人間ではなく、ロボットにできるのであろうか?少子高齢化で将来、人口が減少し、労働人口が減少していくから何とかしていかなければ、という政治的な考えを含んでの意味なのかもしれないし、そのようにロボットができるように技術を発展させていくという科学技術の発展を想定してのことであるかもしれない。様々な技術が人類のために発展していくことはうれしいことであるが、まだ、脳という身体の一部でさえ、すべて解明されておらず、人間が人間を治療するのも難解であるのに、人間が造るロボットが人間を治療できるのか?

安易な考えではないのか?と思ってしまったのは私だけであろうか?目に見えない心の世界との関わり、人間関係、家族関係、環境、経済、社会制度など、様々な情報をリハビリテーション治療の中でセラピストは考慮しながら治療を行っているのである。しかし、未来は誰にもわからない、そのような時代がすぐに来るのか、何十年、何百年かかるのかは分からない。

私たち、セラピストが行うリハビリテーションが新聞記事のように理解されているという事実があり、行政として動いている現実があることは理解しないといけない。

私たち、リハビリテーション専門家は、患者の真の願いに答えるため、さらなる学習を継続して行かなければならない。

現場にいて患者と直接向き合っているリハビリテーション専門家の立場で言わせて頂くと、人間のリハビリテーションは簡単なものではない。難しい。しかし、決して諦めてはいけない。諦める、諦めないを決めるのは医療者ではなく、最終的には患者自身である。

2015年2月1日日曜日

死生観について

荻野 敏(国府病院)

先日、久しぶりに所属する病院の院内勉強会で講義をする機会を得た。タイトルは「死生観について」。所属する病院では接遇委員会に属しており、様々な点から接遇を考えている。最近は、知・情・意から職業人としての自覚を持ち、研鑽していこうという観点から接遇委員会が院内勉強会の内容などを考えている。そして今年の一発目が「死生観について」だった。

自分が死ぬ。そのことを意識したことがあるだろうか?

そしてどうやって死ぬのが理想だろうか?

死を単に医学から見るのではなく、哲学や社会学などの領域から掘り下げてみた。皆さんはいったいいつの時点が死んだことになると思うだろうか?

普通は、心臓が止まり瞳孔が散瞳して・・・、というのが死だと考えるだろう。でも社会学的に心理学的に哲学的にそれを死とは言い切れない。

養老孟司さんは「一人称の死体」「二人称の死体」「三人称の死体」という概念を取り上げている。ジャンレケビッチの「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」とよく似ているが、「二人称の死体」とは「死体でない死体」だそうだ。つまり死体には見えないのだと。われわれの肉親や仲のよかった友人知人が亡くなって死体としてそこにいても、それは死体には見えず、「その人」そのものであることに変わりはないと。確かにそうだ。そうすると「あいつは俺たちの心の中に生きている」っといった言葉はまさに社会学的・心理学的・哲学的な死ではない。

死は、誰にでも必ず訪れる。人は致死率100%。そしてその死に様は生き様の集大成として現れる。放蕩ばかりしていた人の生き様とその死に様。家族に愛されて生きてきた人の生き様とその死に様。どちらがよい死に方になるのだろうか。少し考えればわかるだろう。とすると、生きることは死ぬことだし、死ぬことは生きることだ。

そして、事故死や突然死は死の準備をする時間もなく、突然やってくる。反対に癌などの疾患なら死の準備ができる。残された時間を有意義に使うことができると考えることもできる。

死ぬことは生きることであり、生きることは認知することだ。

死生観を考えることによって、生きることを見つめなおすことができ、環境と相対しながらまさに環境の中で生きている患者に向かい合うことができるような気がした。

しかし、今日もまた、悲痛なニュースが世界を駆け巡る。

あまりにも悲しい。

2015年1月16日金曜日

目標管理のヒント

井内 勲(岡崎共立病院)

2015年、新しい年を迎え目標も新たに掲げた方も多くいる事でしょう。誰しも前向きな気持ちで目標をたて、一年間だけでなくずっと生きていく。それはセラピストである我々であれ、不幸にも疾患を患っている患者であれ同じく前向きな気持ちにて臨んでいきたい、いってほしいと思う。

昨年のフィギュアスケートで、2月のソチオリンピックにて金メダルを見事に獲得した羽生結弦選手、一年の終わり12月のグランプリファイナルでもSPでは今シーズンの世界最高スコアをたたきだし、フリーでは自己ベスト。結果は2位以下に大差をつけて優勝し、日本男子で初めて大会2連覇を果たした。その羽生選手の昨シーズンの話題は周知であると思うが、決して一年を通して明るい話題ばかりではなかった。11月の中国杯では試合前の公式練習で他の選手と激突し、頭部とあごから流血をするほどのアクシデントに見舞われ、その影響もあってかNHK杯では4位と振るわず、GPファイナルもギリギリ6位で滑り込んだ。そんな中でのグランプリファイナル完全勝利に、彼の19歳とは思えない並外れた精神力と目標への信念を感じさせられた。

ケガ、衝突の恐怖というアクシデントから短い期間での復活。そんな彼の勝利に対する姿勢、精神力を垣間見た記事が『羽生結弦を支える独特なメンタリティー 尽きない勝利への欲求、FSへの気づき』スポーツナビ(yahoo)の中にあったので紹介する。

記事は彼のNHK杯SP後のメディアに対してのコメントからである。2連覇を目指すグランプリファイナルの出場権がかかった大会でありながら、SPを5位と悔しい演技で終えた後の彼が次なる課題への気づきまでを記者が考察した内容であった。全文はこの記事を検索して頂くと良いので割愛させてもらい、印象的な部分を以下に抜粋したい。


  「メディア対応をしながら生まれた気づき」

  「やってしまったなと。悔しい気持ちのみです。けがはほとんど回復してきていますし、違和感がないと言えばそれは違うのですが、良い感じにはなってきています。4回転だけではなく、3回転+3回転もミスしてしまいましたが、曲をかけているときに、ルッツとトウループが練習からうまく入っていなかったので、そこは自分の実力の問題だと思います。自己採点は30点ですね」

   演技後、羽生は自身に対して厳しい言葉を並べた。しかし、それとは裏腹に取材対応が進んでいくと徐々に表情は和らいでいく。その理由を尋ねられると19歳の五輪王者は微笑みながらこう返した。

  「(メディアの)皆さんとお話ししていたら、自分の課題が分かってきて、それがうれしくなったんです。ただ単に失敗して悔しいというのではなく、こうすれば良かったんだというのが見つかってきたので、すごく良い時間だったなと思っています」

   多くの選手にとって、自身の望まない結果に終わったあとのメディア対応は苦痛以外の何ものでもないはずだ。しかし羽生はそれを嫌がらない。なぜなら「考えていることを言語化することで、頭の中がより整理されていくから」だ。もちろん何度も同じことを聞かれるのはきついときもあるだろうが、思いもよらぬ質問から、新たな視点が生まれることもある。
  ・・・略・・・ 
 
  「悔しい感情はプラスになる」

  ・・・略・・・
  「結局、自分の中で言い訳を作りやすかったんだと思います。練習もできていないからというね。だからこそ最終的にこういう結果(SPで5位)になってしまったんだと反省しています。6分間練習ではアナウンサーの声が聞こえたんです。その時点で集中が切れていましたね。曲がかかったときは集中していたと思うんですけど、そういうところが自分の甘さだと思います」
  ・・・略・・・
  「悔しい感情はFSに向けてプラスになると思っています。練習してきたことを信じてやっていきたいです。FSはFSでまた違う演技ですし、昨季ともまったく違います。1試合1試合違うプログラムだという気持ちでやっていかないといけないと思っています」
  ・・・略・・・
  どんなにふがいない結果に終わったとしても、羽生はその原因をあいまいにはごまかさない。あくまで強気な物言いで、自身を奮い立たせる。メディアの前でもしっかりと自分の考えを口にし、メディアを使って自身の考えを整理することさえある。根底にあるのは勝利への欲求だろう。五輪王者や、世界王者という肩書きは羽生にとって「重要なものではない」。ただ目の前の試合に勝ちたい。その強い気持ちが羽生を突き動かす原動力となっている。 


それぞれの立場や環境、色々な状況もあり、これから目標を見つめ直したり、達成のための手段を再考する事もあると思う、また再考してもらう手助けをする場面もあるかと思う。彼の前向きなメンタリティー、逆境からの気づきを支える前向きな欲求は、自分達に投射してみるとこれからの一年の目標達成のヒントになるのではないだろうか。