2016年12月15日木曜日

中日春秋(2016年12月10日 朝刊)

荻野 敏(国府病院)

中日春秋(2016年12月10日 朝刊)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2016121002000113.html

Paragrafo UNO
▼『科学とは「不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである」という名言を残したのは、夏目漱石の弟子で物理学者の寺田寅彦だ』

さすが、夏目漱石!!弟子も名言を残してますなぁ

Paragrafo DUE
▼『たとえば、かつては「すべてのものは原子からできている」と教わったのに、科学の進展で、私たちが知る原子で作られている物質は宇宙のわずか4%にすぎず、残りは謎の物質だと分かった』

そ、そうなんだ・・・。僕も原子でできていると習ったと記憶しているので、ちょっとびっくり。というかその割合にびっくり。多分ダークマターのことだと思うけど。

Paragrafo TRE
▼『常識が覆され、新たな不思議が見つかる。そのおかげで私たちはより深く、違った角度から考えられるようになる。それが科学の醍醐味だろうが。どうもわが国の政府は「不思議を生み出す」科学に冷淡なようだ』

日本の政府の姿勢はどうか良くわからないが、物事を多角的に見る、そして疑ってかかるってのは大事なことですよね。訓練を5つの視点で見ることや贋作者的態度っていうのは、まさにそのことを意味していると思います。

Paragrafo QUATTRO
▼『きょう、ノーベル賞の受賞式典に臨む大隅良典さんは「謎が解かれた時、新たな謎が生まれるのが科学」と説き、「科学が役に立つというのが、数年後に企業化できることと、同義語になっている」と憂いている。研究費が削られ、拙速に成果が求められる現状では、科学立国の礎が危ういとの警鐘だ』

確かに、1知ると10の疑問が出て、10知ると100の疑問が出てくるってのは、なんとなく直感的に理解できますよね。そして安直に成果を求める(求められる)というのもなんとなく分かる。例えば、そのままダイレクトに患者に適応できる論文を求めたり、すぐ明日からすべての患者に使えるテクニックを求めたりするのも同様なことなのではないでしょうか。とすると、この国の姿勢というよりは、僕らセラピストの中に住まう「楽して簡単に成果を求める姿勢」もリハビリテーションの礎が危険な状態ということに置き換えられそうですね。

Paragrafo CINQUE
▼『偉大な政治家にして科学者でもあったベンジャミン・フランクリンにはこんな逸話が伝わる。自然科学の新たな成果に接した人が、「これは何の役に立つのだ?」と聞くと、彼は聞き返した。「では、生まれたばかりの赤ん坊は、何の役に立つというのです?」』

この切り替えし、素晴らしいですね。確かに納得です。

Paragrafo SEI
▼『大人には計り知れぬ可能性を秘めた「赤ん坊」に「何の役に立つか」を問う。そういう社会では、未来は望めまい。』

僕らは、人間の基礎をなす哲学や神経科学だけではなく、リハビリテーションの技術的なものや教育学なども勉強しなければなりません。認知神経リハビリテーションに取り組もうとすると、勉強しなければならない学問の幅が広すぎることに戸惑っている人も多いのではないでしょうか。でも安易にテクニックに向かうのではなく、その基礎にある学問をおろそかにしてはいけないと思います、そして何故なんだろうという疑問を持つことも大事ですよね。傍から見たら何の役に立つか分からないような勉強でも、いずれその意味が分かることにより、治療の組み立てに有益をもたらすかもしれない。基礎がわかっていなければ、未来は望めないと思いました。

2016年12月2日金曜日

宇宙飛行士 大西卓哉氏より学ぶ

井内 勲(岡崎共立病院)

10月30日に日本人11人目の宇宙飛行士として国際宇宙ステーションから帰還した大西卓哉氏について、11月26日の中日新聞で「地球人に戻らなきゃ」の見出しと宇宙航空研究開発機構(JAXA)施設でバランスクッションの上で片足立ちにて4キロのボールでキャッチボールをしているトレーニングの写真と一緒に現状が少し紹介されていた。そこでは「飛行前の九十パーセントぐらいの状態に戻ってきた」と一か月足らずでのリハビリでの回復ぶりもあった。

思い返せば帰還された直後の大西氏の映像は約4か月の宇宙滞在からの帰還であり当然ながら立つことも出来ず、持っている小さなタイマーでさえ重いと重力下の地上の感想を述べていた。

筋力低下は無動・不動により骨格筋は、1週間で10~15%筋力が低下、高齢者ではそれが倍になる。また、筋力は最大筋力の20~30%程度の筋収縮をおこなう事で維持され、30%以上の筋収縮で筋力は増加、20%以下で低下してゆくと報告があり、筋力強化(骨格筋の大きさの変化を目的とした増強でなく)の効果として今回の大西氏の回復はかなり著しい成果が想像される。

そしてNHKのNEWS WEB では先の中日新聞のコメントに加えて「地球に帰還した直後は、脳が重力を忘れていて、普通に歩くことすら難しい状況だった。リハビリを行うことで、今は90%ぐらいまで回復しているが、重力に再び慣れる難しさを感じている」とリハビリ後コメントを述べていたようで、脳が重力を思い出す事の重要さが伺えた。

日本人飛行士のリハビリはこれまで米航空宇宙局(NASA)が担当していたが、大西氏からはJAXAが主導するようで日本でも専門の人材がそろってきたとあった。喜ばしく感じられたと同時に、リハビリテーションを担う我々は多くの分野から多くの視点で学びを広げる必要も感じた。

2016年11月16日水曜日

アルツハイマー病の病態失認と手続き学習

若月 勇輝(介護老人保健施設いずみ)

アルツハイマー病の病態失認と手続き学習
(Anosognosia and procedural learning in Alzheimer's disease.)
著者: Starkstein SE, Sabe L, Cuerva AG, Kuzis G, Leiguarda R
雑誌: Neuropsychiatry Neuropsychol Behav Neurol.

背景:認知的欠陥への気づきは、知的に障害した潜在学習に依存するかもしれない。また、アルツハイマー病の病態失認は潜在学習の欠如から生じた結果である可能性がある。

目的と方法:
アルツハイマー病患者(probable)の55名を、軽度群(n = 13)、重度群(n = 12)、病態失認ではない群(n = 30)に分け、宣言的な学習と手続き的な学習のテストを含んだ神経心理的なバッテリーで評価した。

結果:
宣言的な学習(Buschke Selective Reminding TestとBenton視覚記銘検査)のテストでは、群間に有意な差は無かった.
しかし、重度の病態失認患者は、手続き的な学習(Maze Learning Testの測定)とセットシフティング能力を評価する検査(ウィスコンシンカード分類課題)に関して、病態失認のないAD患者より有意に悪いパフォーマンスを示した。

著者の結論:
アルツハイマー病の手続き学習の欠如と病態失認が、学習システムの機能障害の結果から生じる可能性があることを示唆する。

URL: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/9150509

2016年11月2日水曜日

感覚はどこまで動作制御に関与しているのか

進藤 隆治(岡崎共立病院)

こないだまで、臨床実習のバイザーを行っていた。学生が認知課題をやっているところを観ると、だいたい「感覚訓練ですか?」「感覚をよくする為にこの訓練をしているのか?」といった質問をよく受ける。その際、自分は運動と感覚の「円環性」の話をして、感覚じゃなく運動を観ていることを伝えるが、相手にはなかなか理解が得られていないと痛感することをよく経験する。

今回、下記の論文を読んだので参考にしたいと想い今回のヒントを書こうと思う。

感覚はどこまで動作制御に関与しているのか -その可能性-
中川 賀嗣
神経心理学2016.Vol.32 No.2 P.181-192

動作は、以下の3つの側面において感覚によって支えられると想定されるとある。
①動作の枠組みの形成や制御に関する側面
②様々な運動パターンを獲得(学習)するという側面
③動作実行に際して、その都度生じる対象者と手(対象がない場合には手のみ)の状況を何らかの形で把握し、それに基づいて動作を調整するという側面

特に自分が気になったところは、②の内容である「学習時の感覚情報を運動パターンに織り込んでいる可能」を示唆する知見であった。
ここではパントマイム失行(観念運動失行)が取り上げられており、道具を視覚呈示しても動作の改善がみられなかったが、視覚的にはその道具とは全く形状が異なる、単なるスティック(道具の把持部分に相当)把持することで、実際の道具と同様の成績に回復することを示した。これは道具と同様の体性感覚入力を得ることで可能になったと解釈できる。つまり、体性感覚が喚起や発動された動作のきっかけとなったとのことだ。

臨床で、立ち上がりの際に下肢の支持が全く入らず全介助で移乗をサポートすることがある。こんな時は案外、足底前足部を床を押し付け圧刺激を入れてあげることで、下肢の伸筋の収縮がみられ下肢で体幹を支持することができる。運動をサポートする際に、身体のどこで、どんな感覚に注意を向けるかや、身体の認識を促していくことで運動が誘発されることがある。セラピストはどのような感覚を使って患者になんの情報を収集してほしいかを考えるで運動を組織化していくとができる。

特に片麻痺の運動の改善がみられず焦る経験をすることが多いが、感覚入力は運動を作っていく為には重要な要素であることがよく理解できた。

感覚が運動にどう関連しているのかを、今後説明していくのにかなり参考になる論文だと思い、今回は臨床のヒントで取り上げさせてもらった。

2016年10月17日月曜日

ヒントを探そう

首藤 康聡(岡崎南病院)

今日は娘のバレーボールの練習日。少し早めに迎えに行ったので練習を見学していました。

練習を見ながら動作分析をしたり、宙に浮いたボールとアタックする手の関係性なんかを考えていました。まあ職業柄どうしてもそうやって見てしまうところがあり、娘の頑張る姿を応援する親らしい気持ちをついつい忘れて「いかんな」と心の中でつぶやいたりしていました。

っと思いながらも頭の中をよぎったのは『自分はどこまで運動の事がわかっているのか』という運動に対する疑問でした。運動学や生理学、認知神経科学、発達心理学、社会心理学など運動に関わる学問がどれだけわかっているのかと・・・



全然何も知らない・・・



ふっとそんな自分に気が付きました。気づいた途端なんだか情けない気持ちでいっぱいになってしまいました。

基礎も知らないのに、病気と闘っていけるのか・・・

僕にはそのための武器がまだまだ足りない。他の誰よりも圧倒的に・・・

だからこそ普段から臨床のヒントを探して行きたいと思います。

でも決して一人では探しきれません。

一緒に臨床のヒントを探してみませんか?

これからの臨床のためにも!

そんな臨床のヒントを探す方法がここにあります!

認知神経リハビリテーション学会主催愛知ベーシック!
11月5日(土)・6日(日)の二日間、星城大学リハビリテーション学院で開催されます。
宮本会長を初め、基礎科学、臨床のスペシャリストの方々に講義をして頂きます。
(僭越ながら私も講義をさせて頂きます)
締め切りまであとわずかです!

ぜひ臨床のヒントを探しに来てください!
http://www.ctejapan.com/basic/basic.html#aichi

2016年10月2日日曜日

頭の位置

佐藤 郁江(岡崎南病院)

中学校の頃、学生証の証明写真を撮る時にカメラマンに頭を右にと指摘されている人がいました。自分もできるのかなと順番が来て行ってみると指摘されて直されるものの自分の中心がわからなくなる経験をしていました。自分の中で弓道を経験して身体の正中に対して注意を向けていることもありました。弓道の経験の中では頸部を左回旋している状態なので頭の位置の中間は少し経験不足なのかもしれません。認知神経リハビリテーションを経験する中で身体への注意はさらに興味を持つものとなっています。そんな中カメラマンに写真を撮ってもらう機会があったのですが、また開始時は少し頭を右にと指摘を受けていました。やはり自分の身体においてもまだ正中をとらえることのむずかしさがありました。患者さんにもこのような中間位に持っていくといったことにこだわりすぎてしまうと、訓練に進めなくなってしまうこともあるのではと思えてきました。撮影が進むうちに少しずつ頭の位置に対する指摘がなくなってきていたので少しは感じることができているのかとも思えていました。しかし最後にもっと右に傾けてとカメラマンに言われることになり私の中でここが真ん中なのかと不思議に思っていました。その後、写真のサンプルが出来上がってきて見てみると完全に右に傾いた写真が最後にありまして、言われるとおりに行っていたものの自分の感覚があっていたのだと少しほっとした経験がありました。
動作において次につなげる為に左右均衡になることで筋の負荷が少なくなりどちらかに動くことも行いやすくなるのではとも考えています。しかし、中心だけを探そうとすると自分の中でわからなくなってくるものが存在しました。また、訓練を進めていくときには患者さんが思考をすることで頭を動かしていることもあると思われます。どこまで制御してどこまでを自由にするのかを考えていかなければと思っています。

2016年9月15日木曜日

患者の学び

尾崎 正典(尾張温泉かにえ病院)


ある上腕骨骨折の患者が、初回の治療時に以前、NHKでやっていた痛みに関する番組について語った。「痛みに意識を向けてはいけないんですよね。でも分かってはいるんですが、どうしても向けちゃうんです。身体はがちがちだし、痛いところにどうしても気持ちがいってしまい、動かすとさらに痛みが出ちゃいそうで、分かっているんですが・・」痛みや、痛みの治療に関して、NHKテレビで学んだ患者である。民間のテレビとは違い、NHKというマスメディアの影響はかなり大きい。「NHKでやっていたから」というだけで、信用度が全く違う。以前も、川平法、ボツリヌス療法など放映された次の日の患者の話は、NHKの番組の話で持ちきりだった。そして、しばらく続く。すぐにセラピストの専門書を買い、持って来られる患者、実際にボツリヌス療法を行う患者、しかし、放映された患者の回復と同じ結果が出て改善されるということはほとんどない。よい結果だけを放映していることは、患者自身がよく知っているが、やはり、「よくなりたい」と思うのは当然であろう。患者は、あらゆる可能性を試してみたいと思う。

痛みの番組をみて、痛みの最前線のことを知っている患者への治療は、番組の内容の確認作業から入っていった、NHK番組というツールを通じて患者の治療を行っていき、患者の痛みは短期間で軽減され、身体のがちがち感は無くなり、洗濯干し時にのみ、若干ツッパリ感を感じる程度になっていった。患者自身の学習が患者自身の治療に役立つことを再確認した。治療にかけられる時間は限られているし、生活していく中で治療以外の時間の方が圧倒的長い。その中で、セラピストとワンツーマンでしかできないことと、患者しかできないことを見極め、アドバイスし、患者の自立した日常生活に結び付けられるような結果を出すことが、私達の仕事であり役割である。

2016年9月1日木曜日

バリバラ 検証!「障害者×感動」の方程式 (Eテレ)

荻野 敏(国府病院)

バリバラ 検証!「障害者×感動」の方程式 (Eテレ)
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239

24時間テレビが嫌いだ。

と言うより、「24時間テレビに違和感を覚える」と言ったほうがしっくりくる。そうは言っても、僕が理学療法士を目指すきっかけになったのは24時間テレビを見た経験だった。たしか中学のときに放送されていた特集で、障害者に対してリハビリテーションを行う職業として理学療法士が紹介されていたと記憶している。一時期は大好きでよく見ていたが、実際に理学療法士になってからはまったく見なくなった。理由はあんまりはっきりしない。とにかく違和感があった。常に感動、感動、感動の押し付け、そして芸能人がマラソンしてゴールするという不可解。このマラソンにはまったく意味が感じられなかった。

2016年8月28日(日)午後7時

まさにこの番組が生番組で放送された。そして裏番組ではその24時間テレビがクライマックスを迎えている!!
かなり挑戦的なタイトル!番組のホームページにはこう書かれている。
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「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。
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ものすごくすっきり!!!もちろん録画!ちなみにバリバラとはバリアフリーバラエティの略だそうだ。

「感動ポルノ」という言葉がある。
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私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません……。2014年12月に亡くなったコメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏は、従来の「気の毒な障害者」という枠を破った率直な発言で人気を集めました。健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する社会の理解を求めました。(TED2014より)
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TEDに出演したStella Youngさんは講演の中で以下のように述べている(一部改変しております)
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私たちは、障害を悪いものとしてとらえてきました。障害はマイナスである。そして、障害と共に生きることは素晴らしいことであると。障害は悪いことではないのです。そして、障害があるからといって、あなたが素晴らしい人間だというわけでもありません。さらに過去数年間、ソーシャルメディアによって、この手の嘘はより広く伝えられてきました。みなさんも、このような画像を見たことがあるのではないでしょうか。
「ネガティブな態度こそが、この世で唯一の障害だ」
「言い訳は通用しない」
「諦める前に、やってみろ!」
これらはほんの一例に過ぎませんが、こういったイメージは世の中にあふれています。みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。(一部改変)
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バリバラの番組内で、障害者の感動を描いたドラマなどが好きかどうかをアンケートで聞いていた。健常者の約半数、障害者の1O%が好きと答えた。健常者は、「がんばっていることに感動する」とか「改めて自分の幸せを感じられる」といった理由を挙げていた。障害者は、「感動でも何でも取り上げてくれたら良い」といった理由だった。僕の24時間テレビへの違和感はこの感動ポルノを基礎としたものだった。障害者ががんばって障害を克服するというストーリーは健常者の上から目線であり、そのことで自分を慰める単なる健常者の防衛機制、いやいや「マスターベーション」だ!

理学療法士や作業療法士がこんなに増え、バリアフリーだ、ノーマライゼーションだなんだかんだ言われているけど、まったく変わっていない。障害者だって普通に生活しているだけでしょおが!

『私は障害者向けのデリヘル嬢』(大橋みゆき著 ブックマン社 2005)という本がある。タイトルどおり、障害者専門のデリヘルを経験した女性のノンフィクションだ。障害者だって性欲はある、当たり前だ、人間なんだから。知らず知らず、障害者は努力をしている聖人のような扱いをされて、性欲なんて・・・・・・といった風潮がありませんか?

きっと、感動ポルノの根底にはもっと根深いものがあるのだろう。

つーか、もし僕がSNS持っていて、こんなこと書いていたら、荒れるんだろうなぁ・・・・・
( ̄Д ̄;;

2016年8月17日水曜日

手触りと“眼触り”の脳を探る

井内 勲(岡崎共立病院)

手触りと“眼触り”の脳を探る
雑誌: BRAIN and NERVE 67(6):691-700,2015
著者: 山本洋紀

著者は上記の雑誌にて脳と「質感」の特集の中で、自らの行っている眼と手による質感を探る脳機能イメージングの研究を紹介している。

15人のナイーブな健常成人の被験者に2種類の布を視覚刺激と、触覚刺激で提示し、現在呈示されている布が1つ前に呈示されたものより硬いか、柔らかいか、同じか、わからないかを判断し報告させる。それらをランダムな順番とタイミングで4種類(2種類の素材×[眼、手])おこない、その間の脳活動をfMRIで測定、脳活動データーにMVPAを適応して質感について3種類の脳表象(視覚、触覚、その共通表象)を全脳で探すという方法である。

結果的には見ていた布は視覚野だけでなく触覚野の活動からも解読でき、触っていた布は触覚野だけでなく視覚野でも解読できた。さらに、眼でも手でも質感が区別できる領域が連合野と感覚野(視覚野・触覚野)に見つかった。眼で見て手で触れるだけでなく、物を見るだけで、柔らかそうといった触覚的な印象を得たり、なんだか気持ちよさそうで触りたくなる、例えばふかふかのマフラーや赤ちゃんの丸いほっぺなど、眼で触り手で見ているかのような脳の振る舞いは、視覚と触覚の情報が視覚野、聴覚野の間を連合野を介して複雑に行き交う様で、冒頭で筆者はこれらを質感のクロスモーダル性であり、眼で触り手で見えるかのような脳の振る舞いは質感の感性面の顕れかもしれない、とも紹介している。

 以上、本文より本当に簡単に抜粋、要約してみたが、当然ながら論文には詳細な脳活動の部位やさらに従来の知見のまとめからの比較や、考察がしっかりと記されている。また異種感覚統合の場としての運動前野、頭頂連合野の前頭頂間野:AIP、腹側頭頂間野:VIP、側頭頭頂接合部:TPJなどと質感知覚、クロスモダール性との関係も論じてあり、自身にとって研究方法の理解に苦渋したが興味深い内容であった。

2016年8月1日月曜日

アルツハイマー病の微細運動技能の獲得と長期の保持

若月 勇輝(西尾病院)

雑誌: Brain Cogn. 1995 Dec;29(3):294-306.

著者: Dick MB, Nielson KA, Beth RE, Shankle WR, Cotman CW

目的と対象:
本研究は、様々な課題の量によって、中等度~重度のアルツハイマー病患者12名と健常高齢者12名の回転追跡課題の獲得と長期保持能力を調査した。

方法:
等しい人数のアルツハイマー病患者と対照被験者は、回転追跡課題の訓練(40試験/日)として40、80、120の試験を無作為に割り当てられ、練習実施後20分、2日、7日、37日に15試験の保持テストを行った。

結果:
ポジティブもしくはネガティブな効果を与えない追加した練習の間、パフォーマンスは最初の40試験に両群において有意に向上した。さらに、両群の対象者は、4つの保持テストを通して、最小限の忘却があることを示した。

著者の結論:
したがって、この結果は、アルツハイマー病患者は少なくとも1ヵ月間、運動技術を効果的に学習し、保持することができることを証明した。

URL: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/8838387

2016年7月16日土曜日

教えることは難しい

進藤 隆治(岡崎共立病院)

この6月から7月にかけて、職場では新人先生の症例検討発表がある。自分も何か一つは質疑応答できるようにと思いながら参加している。今年は、自分自身も一人の新人の先生に相談役として関わった(当院では、新人に対して、バイザーと相談役がつく)。相談役は新人だけでなくバイザーとも話しを行いながら、新人がセラピストとして仕事が自律して従事できるかを模索する。またバイザーに対しても相談を通し指導を修正していくのも役割である。

今回、新人の先生とのやり取りの中で、次のようなことを言われていた。
「○○さん(自分の症例)のリハビリ目標を教えて下さい」
「訓練で何をすればよいか教えて下さい」
「何をしたらよいのかわかりません」
「わからないけど、何がわからないがわかりません」
「○○さん(症例)のことが書かれている文献ないですか」 etc…

目玉が飛び出るぐらい驚いた。とりあえずこれらの返答として、「その人に何をやったら正解かはわからない。なぜ?と疑問を持ち、その原因を探っていくことをしなければならない。」「その人に興味を持ち、どうすればよいかは探求していくことが必要だよ」と声をかけた。
私はふと想う。伝えた内容を自分がどれだけできているのであろうか?認知神経リハビリテーションも「問題-仮説-検証」を繰り返す作業を行うが、自分自身はどれだけ向き合えているのであろうか?
人に指導して気づかされることは多い。自分自身ももっと臨床推論を実行していかなければと思う機会となった。

それにしても、人を指導することは難しい。体調崩すぐらい思い悩むときもあるが、色々な先生に相談させてもらって、相手も自分も変われる指導ができればと思う。

2016年7月5日火曜日

ヒント探し

首藤 康聡(岡崎南病院)

先日、誕生日を迎え、なぜかふと学生の頃に担任の先生に言われた言葉を思い出しました。「どうして君は急性期の病院に行きたいと思うの?急性期だとリハビリを行った結果なのか自然回復なのかわからないよ。セラピストだったら慢性期で自然回復の可能性がない患者さんを回復させることにやりがいを感じるんじゃないか?」色々なご意見はあるとは思いますが、その時の僕は妙に納得し慢性期のある当院を就職先として選択しました。

慢性期病院で臨床を行って10数年が立ちますが、未だ満足のいく結果を得られたと思うことはありません。それでも寝たきりだった患者さんが一人で座ったり、平行棒内を歩いたり、スプーンを使って食事をしたりと回復はあり得ないと思われていた患者さんであったとしてもなんらかの改善を認める患者さんがいる事を知ることが出来ました。

「脳の可塑性の可能性を見た」この言葉は僕の臨床を見てくれたある先生から頂いた言葉です。決して自慢しているわけではありません。可能性は必ずあるという事。これをお伝えしたかったのです。可能性は回復を諦めたら消えてなくなります。回復を諦めない限り可能性は無限に広がります。

裏切られた期待に応えるために、その回復の可能性につながる『臨床のヒント』を探していきたいと思います。またこの文章が、皆さんが臨床のヒントを探すきっかけになって頂ければ幸いです。

2016年6月17日金曜日

思い出すこと

佐藤 郁江(岡崎南病院)

記憶力の正体(ちくま新書、高橋正延著)の中に思い出す練習の重要性という項目がありました。集中反復に比べ分散反復がより記憶に効果的であると書かれております。「有力な考え方によれば、集中反復ではそのままオウム返しに反復するだけでよいのに対して、分散反復の場合は、時間の経過のために、反復する内容の記憶が薄れているのでそれを思い出したうえで反復しなければなりません。つまり、集中反復は忘却が起こらないので反復内容を思い出す必要がないのに対して、分散反復では忘却が起こり始めているため、それを思い出す操作が必要になってくるわけです」とありました。

運動に対してではないのですが、動作の過去の記憶を思い出すことはその記憶を強化するために必要であるのではと考えることもできます。

ここでは忘却という視点もありました。忘却をすることで思い出す、思い返すといったことが起こっています。

運動において思い出す、思い返すといたことが、運動の再現の繰り返しなのかと言ったらそうではないと思います。

2016年6月1日水曜日

診療報酬改正後のリハ現場

尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)

2016年度は診療報酬改定があり、回復期リハ病棟入院料にアウトカム評価が導入され、リハビリの効果がFIMの利得、在院日数が大きく関わり、維持期のリハビリに関しても、介護保険を利用したサービスに積極的に移行するようなルールとなりました。診療報酬改定のルールの中でどのように運営をしていこうかと試行錯誤されていると思います。

退棟時のFIM得点(運動項目)から入院時のFIM得点(運動項目)を引いた利得の獲得が回復期リハの重要なポイントとなり、日常生活動作の出来ることの獲得が重要視され、収益に大きく関わってきます。

認知神経リハビリテーションを学習され臨床展開されている方は誰もが感じたり、他のセラピストから「時間がかかる」「効果が目に見えてすぐには出ない」「そんなことより動作の獲得の練習を」「今の身体能力で出来ることを増やすように」「代償動作をだしても、それを使って生活できればよい」などとよく言われます。
 
今回の改正はさらに、厳しい環境になると予測されます。しかし、国の方針は方針として、その中でどのようにして、認知神経リハビリテーションの理論に基づいた治療を展開していくのかを考えて日々治療していかなければ、認知神経リハビリテーションの治療自体が出来ない環境になってしまう危険性があります。患者の真の願いに答える治療を行えなくなると、最終的には患者の不利益になってしまいます。限られた時間で、治療効果をだす必要性がさらに、問われることになっています。
 
認知神経リハビリテーションを学習し臨床展開されている様々な職場環境のセラピストがいます。一人職場で日々患者と向かい合っているセラピスト、分からないことだらけで悩み続けているセラピスト、様々な思いで、悩み続けているセラピストの皆さんが日本全国にいらっしゃると思います。
 
今年は7月2日~3日に福岡で学術集会が開催されます。そこには日本全国から集まり、議論し、学び、反省し、明日の臨床に繋げようとする認知神経リハビリテーションを学ぶセラピストが集まります。現在、臨床で困っていること、壁にぶつかっていることなど福岡の地で皆さんと色々な議題を話すことができます。

ぜひ福岡の地で、皆さんと患者の真の願いに答えられるように、共に学習していければと思います。

2016年5月15日日曜日

認知神経リハビリテーション入門

荻野 敏(国府病院)

カルロ・ペルフェッティ著 小池美納訳 2016年4月28日 初版第1刷発行 協同医書出版社

巻末には以下のような文章が書かれている。

“本書は、認知神経リハビリテーション(認知運動療法)に関わるカルロ・ペルフェッティの下記の著書から、「入門書」としての目的に沿って重要な概念の説明を引用・編集したものである”

下記の著書とは、『認知運動療法』『子どもの発達と認知運動療法』『認知運動療法講義』『脳のリハビリテーション』『認知運動療法と道具』『身体と精神』である。ページは100ページ弱で定価は2500円。エッセンスをピックアップしていて基本的な理論を学ぶことが出来る。本の帯にはこうも書かれている。

“認知神経リハビリテーション(認知運動療法)のもっとも基本的な概念、そして実践の原理を、カルロ・ペルフェッティによるテキスト群からその解説を引用し、編集した最新の入門書。理論のみならず、身体部位や道具別に基本的な訓練の組み立て方もわかりやすく解説した充実の内容”

ふんだんに図や写真を引用して、分かりやすく解説してある。訓練の例も具体的に挙げられていて、入門には最適な気がする。ベーシックのテキストとしても使えるのでは、と思ってしまう。

もし僕が新人のセラピストから「お薦めの認知神経リハビリテーションの本って何ですか?」と聞かれたら、おそらくこの本を薦めるだろう。値段的にもお手ごろだし、何より見やすい。福岡学会の時には書籍コーナーに並んでいると思う。皆さんも学会に参加して、ぜひ書籍コーナーを覘いて手に取って見てください。

2016年5月3日火曜日

新緑へパラダイムの拡張

井内 勲(岡崎共立病院)
 
暖かかい陽が多くなり爽やかな風が吹く5月、草木が芽吹くまさに新緑の候、皆さん様々なG.Wの過ごし方をされている事であろう。自分の職場は祝日が関係のない勤務スタイルなのでこの時期の休日は色々と貴重であり、その中の一つに普段はあまり手をかけない家の庭仕事がある。長い冬がようやく終わり一雨ごとに庭の草木が徐々にうっそうとし、朝カーテンを開けるたびに「そろそろやな…」とあちこちに伸びる草や隣の家に侵入する木の手入れに重い腰を上げるタイミングをはかっている。そもそも庭と言ってもそんな豪邸でもないので、その気になれば一日もあればけりがつく程度のなんだが、感じのいい庭なので手を入れるか入れないかでかなり雰囲気が違ってくる。それを承知で借りている家でもあるのでやはり自分が動かないといけないわけである。前もって天気を気にしながら予定を立て、今日こそはと先日朝から取り掛かった。

どこから手を付けるべきなのかと重い高枝切ばさみを持ち、枝の剪定から始める。お隣に切った枝が落ちないように十分に注意しながらとにかく目の前から進めていくのだが、一部に集中しその場からしか見えない部分にこだわってしまう。そして全体のバランスを見失いほどなく行き詰る。面倒だが一端離れて、角度を変えまた取り掛かる。そんなことを繰り返しながら時には木の下から見上げてみる、二階から眺めてみる。見る場所を変えると当然見え方が変化する。見え方が変わると視点も広がり、課題もみえ作業意欲も多少広がる。次に草取りへと鎌を持つ。カーテン越しに見ていた風景からさらに腰をかがめて庭を見る、さらに目立つ草から少し細かい場所の草を手入れしようと膝をつき、道具を持ち変える。垣根や低い木の根元などへと頭をかがめ視点を変化させる。次第にカーテン越しに見えていた庭が、角度を変え、視点を変えることでジブリの世界観のような様々な自然に出会える。今まで見えていた緑も鮮やかな緑から深いものまで、当然ながら単色ではない草木の種類や繊維の違いによっても異なる色合い、風味が見えてくる。そうなってくると苦痛から入っていった庭仕事も、発見、興味、楽しさへと変化する自分が存在し、そしてさらなる追求(こだわり)へと庭仕事に対する動機も変わっていった。庭作業を単純にうっそうとした草木をある程度、手入れするという視点は、こんなところにこんな新緑があるんだという発見や、もっと見栄えが良くなるには、さらに深みが引き立つには、と作業に対するパラダイムの転換までではないが、パラダイム追加、進化!?となった。まさに快の情動とやる気とのシステムといえよう。

今回の臨床のヒントは、雑感のような内容となってしまったが、この体験を患者の目線やセラピストの目線に置き換えて考えて頂きたい。もし患者が障害を呈した状態で生活しなければいけない、治療を受けなければいけない時、いかにしてこのネガティブな心身状態からの視点、視野の拡大を図るのか。いかにしてセラピストはそれの一助となり得るのか。そこにはもしかするとセラピスト自身が、今みえる視点、視野を広げる作業をしないといけないのかもしれない。それは自身をメタ認知する視点、いま行っている、行き詰っている視点からのパラダイムシフトも必要なのではないか。次回の5月21日に開催される第79回愛知県認知神経リハビリテーション研究会(ETCA)勉強会においては、新年度の会でもあり主旨としてもこれから認知神経リハビリテーションに取り組む方や、興味のある方にむけてコーディネートとされる予定である。自身としては、これからという方はもとより、現在取り組んでいる方も自身のパラダイムに対して本当にこれでよいのかと再考できる機会となればと思う。是非とも色々な方にご参加いただき、ディスカッションを拡張していきたい。

2016年4月16日土曜日

アルツハイマー病患者と認知症のパーキンソン病患者の潜在的学習と顕在的学習

若月 勇輝 ( 西尾病院 )


Title: Explicit and implicit learning in patients with Alzheimer disease and Parkinson disease with dementia.
邦題:アルツハイマー病患者と認知症のパーキンソン病患者の潜在的学習と顕在的学習

Journal: Neuropsychiatry Neuropsychol Behav Neurol. 1999 Oct;12(4):265-9

Authors: Kuzis G, Sabe L, Tiberti C, Merello M, Leiguarda R, Starkstein SE.

Abstract

目的:
皮質性認知症と皮質下性認知症の潜在的記憶と顕在的記憶システムの異なった障害について調査すること。

背景:
言語の刺激はアルツハイマー病患者で障害されると報告されたのが、パーキンソン病患者は運動技能の学習課題に関して、比較的に障害される可能性がある。

方法:
我々は、アルツハイマー病患者15名、認知症を合併したパーキンソン病患者10名、認知症ではないPD患者でない15名、年齢相応の健常の対照者24名に神経心理学的なバッテリー、顕在記憶(Buschke Selective Reminding Test、Benton視覚記銘検査、数唱)のテストと潜在記憶(Word-Stem Completion 課題と迷路検査)のテストを含んだ神経心理学的バッテリーを検査した。

結果:
アルツハイマー病群と認知症を合併したパーキンソン病患者群は、顕在記憶のすべての評価で類似した欠如を示し、そして認知症を合併しないパーキンソン病患者と健常の対照者群より有意に悪いパフォーマンスを示した。一方で、潜在記憶の評価に有意な群間さはなかった。
結論:
我々の研究は、認知症患者の顕在的な学習を重度に欠如した状態で、潜在学習が保存されることを示したが、いわゆる皮質性認知症で皮質下性認知症の、記憶欠如に異なった側面を示すことはできなかった。

URL:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10527111

【コメント】
認知症患者には潜在的な運動学習行える可能性を示した文献です。認知症患者の運動学習の可能性を示しており、リハビリテーション領域においても有益な報告と思いました。諦めずに認知症患者への臨床に取り組むことができそうです。

2016年4月2日土曜日

メルロ=ポンティの思想から私が思うこと

進藤 隆治(岡崎共立病院)

モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau‐Ponty 1908年3月14日‐1961年5月3日)

著書には、「行動の構造」(1942年)や「知覚の現象学」(1945年)があり、新しい身体論を展開した。この新しい身体論は当時、リハビリテーションとは何の関係もなかった。しかし、1970年代後半になると、リハビリテーション治療に結びつけた人間が世界に一人だけいた。イタリア・ピサ大学附属カランブローネ病院の医師ペルフェッティである。

認知神経リハビリテーションはメルロ=ポンティが「知覚の現象学」で提言した。「知覚する身体」の回復に向けて治療が導入されている。彼の知覚の優位性の哲学にあるように、運動することよりも知覚を最優先する。(リハビリテーション身体論を参考に)

メルロ=ポンティの思想は認知神経リハビリテーション研究会のメンバーなら、すでに馴染みがあるだろう。しかし、この思想を深く理解している人はどのぐらいいるのだろうか。私も勉強会の資料制作に、久しぶりに宮本会長の著書である「リハビリテーション身体論」を手に取り、頭も悩ませながら理解しようと苦労している。わからないなりにもわかることもあるので、身体について書きたいと思う。

メルロ=ポンティは身体の両義性を述べる。つまり、運動・知覚により世界と相互作用しており、そこに自己にとっての意味が生まれてくる。リハビリテーション専門家にとって、その治療対象は何であろうと考えるとき、リハビリテーションの目的は「全人間的復権」であり、対象は「人」や「生活」や「その人らしい生活を送る」と誰もが返答をすると思う。しかしながら、機能について訓練を考える際に、運動で問題を確認し、筋・関節・骨といった要因に原因を求める傾向があるのが、身体障害領域の現状ではないかと思う。ようは、デカルト思想の身体二元論的な考え方が定着しているからであろう。身体と精神を切り離し考えられているからだ。例えば、整形外科の専門家だったら、骨折や外傷した部位を診て回復を図ることを目的とすると思う。しかし、リハビリテーション専門家は整形疾患でも受傷した「人」が対象となる。だから身体部位の回復を図るに留まらず、身体をどのように使うのか、身体を使ってどのように環境に適応するのか、その時に身体を介してどのような情動が生まれるのか、どのように身体は世界に意味を与えるのであろうかを基に身体を変えていく必要があるのではないだろうか。

認知神経リハビリテーションの講習会や勉強会に参加した先生から、「認知は難しい」と感想をよく聴く。私はその理由として、身体の捉え方を簡略化しない特徴を要しているからだと考える。しかし、身体を以下に簡略せずに患者と向き合えるかが、自分のスキルであり、患者を理解できるということになるのではないかと思う。突き詰めて行くことは、苦労の連続であるが、楽しみを見出すこともできる。リハビリテーション専門家にとって挑戦していく価値があることだと思う。

2016年3月15日火曜日

「感覚には感情があるんです」

首藤康聡(岡崎南病院)

「感覚には感情があるんです。」

そう話してくれたのは、ソフトボール日本代表の元監督、宇津木妙子氏。
彼女の講演会の中で語られていた一言です。

良い香りは心が落ち着くし、臭ければ嫌な気分になる。

好きな音楽は心が躍るけど、嫌いな音楽だと暗い気持ちになる。

大好きな人に触れられると安らぐけど、嫌いな人だと・・・

こう彼女が気付いたのは自分がチームの人間関係でうまくいかなかった時だそうです。相手のありのままを受け入れていこうという思いからそう考えるようになったそうです。決してアスリートだからといってソフトボールを行っている身体について考えたわけではありません。

さて我々は感覚に感情があるという事はきっとどこか無意識のうちに感じている事だと思います。
でもそこに彼女のように自ら気づき意識に上げ言語化するなんて事は普通できる事ではないと思います。

例えばそれはニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見する以前から物が下に落ちるなんて事は誰もが知っていた事に似ていると思います。

新たな気づきや発見は普段の何気ない日常の中に転がっているものかもしれません。

そう考えるといつもの臨床の中にはまだまだ多くの発見がきっと潜んでいるような気がします。

僕も彼女のように普段の臨床の中で自ら何かに気づきたい!

宝物を探すようにワクワクしながら臨床をやってみたい!

なんだかそんな気持ちになった彼女の講演会でした。

2016年3月3日木曜日

遂行機能障害

佐藤 郁江(岡崎南病院)

私の中で遂行機能障害と失行の違いが判らなくなっています。起こってくるメカニズムの違いはそれぞれ、前頭葉と頭頂葉の違いがあるのです。しかし、症状として現れるのは順番を間違えたり、行為が起こらなくなってしまったりと、臨床上での違いが私の中ではっきりと区別できていなかったように思います。そんな中で、注意と意欲の神経機構(日本高次機能学会教育・研究委員会編、新興医学出版社)の本の中で「外へ向かう注意の病理がいわゆる遂行機能障害であり、内へ向かう注意が再帰性意識の病理であって、これには、病態失認や、認知症における自己意識の障害を内在している」と書かれています。その外へ向かう注意を「支える神経基盤が、前頭連合野-頭頂連合野を中心とする遂行制御ネットワークである」となっているため失行と遂行機能障害は目に見える障害としては似てくるところもうなずけると思われます。しかし、治療するにあたっては問題が違うととられていかなければいけない点もあると思います。遂行機能障害は外へと向かう意識ができてこないために、開始の障害が特に目立ってくるのではと感じている。自分の中で整理できていない部分で、また皆さんと話しながら考えていきたいと思います。

2016年2月21日日曜日

診療報酬改正の時期に

尾﨑 正典(尾張温泉かにえ病院)

平成28年度診療報酬改正についての答申書が公開されました。リハビリに関しては、維持期のリハビリ・回復期のFIM・廃用・摂食嚥下・運動器リハなどの改正点が挙げられています。維持期リハの外来患者を通所リハ・デイサービスなど介護保険を利用したリハサービスへの移行を、どのようにしていくかを検討されている方も多いと思います。

先日、当院とは業務上関わりはないケアマネージャーと話をする機会がありました。

ケアマネは感じていることを言われただけだと思いますが「病院でのリハを行ったとしても、家に帰れば環境が変わって、出来ていたことも出来なくなり、またゼロからやらないといけないのだから・・・・・」という発言があり、私の中で、とてもひっかかりました。

患者の退院後の生活を良く知るケアマネの発言はまさに、現在のリハの大きな問題点であると思います。環境が変わってしまうと患者は自宅の環境に適応できていないということが、まさに現実となっています。すべての患者がそういうわけではないと思いますが、いくら病院でリハを行いFIMの点数を上げたとしても、患者は退院後、様々な環境に適応しなければならないのに、できていないということを真摯に受け止めていかないといけないと感じました。そのケアマネの意見としては、「訪問リハサービスを使い、実際の生活の中で日常生活の出来ないことを訓練するのが重要ではないのか」と言われました。他職種の視点は、重要なポイントやリハビリの課題がどこなのかを良くご存じだと思いました。

様々な環境に適応できるような身体に回復出来るように、どのように治療していき、在宅復帰後も、ケアマネの発言のような状況にならないようにしていかなければと改めて感じました。

今回の改正では回復期においては、FIMの点数という指標でリハの単位数が制限されます。結果が出ていないところには厳しく、病院の収益にも大きく関わってきます。

新たな問題点も多々発生していく予感がしますが、「どのような環境であっても適応し、生活できるような身体をセラピストは回復させていかなければならない」ということを忘れず、日々治療を行っていかなければと思います。

2016年2月1日月曜日

マツコの知らない世界 武井壮

荻野 敏(国府病院)

「マツコの知らない世界」はTBS系の人気テレビ番組だ。
http://www.tbs.co.jp/matsuko-sekai/

東海地方では火曜日の夜9時から放送されている。単純にマツコ・デラックスの番組は好きだ。有吉とのコンビや関ジャニの村上とのコンビネーションも心地よい、なにより的を得たコメントや多角的な視点からのコメントにはうならされることが多い(笑うことの方が多いけど)。そんななか、「マツコの知らない世界」は見逃さないようにハードディスクビデオに録画して見ている。内容の多くは家電とかおいしい食べ物のネタが多いが、たまに「おっ!」っと思わせる話題も出てくる。一番最近びっくりしたのが2015年11月24日に放送された「マツコの知らない学校では教えてくれないスポーツの世界」だ。ゲストは”百獣の王 武井壮”(笑)。しかし、この内容がすごかった。

武井壮が語るのは「スポーツが上達する武井流理論、ボディーコントロールの世界→自分の体を思い通り動かすこと」だ。武井壮は10歳の時、野球で全打席ホームランを打ってやろうと思ったが全然打たなかったそうだ。あたりまえっちゃああたりまえ。でも武井壮は不思議でしょうがなかったらしい。なぜか!!水を飲もうとペットボトルに手を伸ばして持ち、飲むことはできる。飲みたいって思って失敗したことがない。なのになぜホームランは失敗するのかと、不思議に思ったそうだ。好きな野球選手のフォームを真似してやっていたらしいが、ビデオを撮ってみてみたらフォームが全く違っていたことに愕然としたそうだ。そしてそれを何とかしなきゃいけない、「僕の体を頭で思った通りに動かす練習をしなきゃいかん」と思い、一番初めに「目をつぶった状態で両腕を水平な位置に上げる」ということに取り組んだ。自分では思った通りに動かしているつもりなのに実は数センチのずれがある。「これぐらいいいじゃない!!」とマツコは言うが、武井壮は「もしこれが野球のバッティングでホームランになる球が3センチずれたらファールチップになるでしょ?」と返す。確かに日常生活では大きな問題はないが、スポーツの世界などは認知過程のレベルではかなり高い精度の運動を要求されるだろう。これは現象学でいうところの”測度”の話だ。その身体運動のズレを修正しないでプレーするのと、修正してプレーするのでは成功する可能性がどちらが高いのかと武井壮は語る。それを10歳の時に考えていたんだから、武井壮はもう天才だ!!!!

武井壮は以前にも「笑っていいとも」という番組の中で、逆立ちができない小学生に授業を行っている。ユーチューブでも見れる。
https://www.youtube.com/watch?v=TXbUlN69ZP4

この中で武井壮は小学生に「なぜ逆立ちができないと思う?」と問いかける。もちろん小学生はわからない様子だが、とりあえず「腕の力・・・・・」と答える。そこで武井壮は質問を変える、「じゃあなんで今、立ててるの?」と問いかける。小学生は「・・・・・」。武井壮は「逆立ちが何でできないかっていうと、立っているときに何で立ててるかを考えたことがないからだ」と説明する。手を伸ばして手の先に地面があるということを想定させて「今自分が逆立ちをしているところを覚えちゃってください、こんな感じだな、あんまり力はいってないな、まっすぐ上向いているだけだなって」っとアドバイスする。そして実際にやらせてみて、まずは武井壮が小学生の足を持って「地面があるよ、まっすぐなってるよ」といったことを問いかけて、そして手を放すと・・・・・・・。なんと逆立ちができてる!!!小学生ははにかみながらも笑顔を見せる。いやあ、すごい武井壮!!!

イメージ、測度、身体感覚、身体イメージ、言語による対話の解釈・・・・・

果たして運動のプロフェッショナルと言われているセラピストで、どれだけの人が武井壮のレベルの実践ができるだろうか。

いやあ、”百獣の王 武井壮” 恐るべし!!

2016年1月16日土曜日

今年の自分は

井内 勲(岡崎共立病院)

2016年、去年を振り返りながら今年の目標をしっかりと、「言葉」として掲げて一年をスタートしている人も多いと思う。

今回は、1月2日の深夜にテレビ愛知(テレビ東京系)で放送された番組、「天才アスリート勝利の言葉~みらいのつくりかた新春SP~」から自身が惹かれた「言葉」を紹介したい。

番組の概要は、TV東京「みらいのつくりかた」の公式サイトなどから知る事ができたが、毎週スポーツ界を牽引し続けるアスリート、指導者、技術者たちが登場し挫折や逆境の経験から支えてくれたもの、そこから切り開いた「みらい」を紹介するという趣旨で放送されているようであり、今回はその特番であった。

内容は、昨年に活躍したアスリートの 「言葉」のちから にスポットが当てられラグビー日本代表の五郎丸歩と芥川賞作家の又吉の対談に始まり、テニスの錦織圭、体操の内村航平、白井健三などの言葉やその支えとなった周囲の人たちの言葉がたくさん紹介されていた。

それらの中から惹かれた「言葉」は沢山あったが今回は2人アスリートから紹介する。まずは錦織圭より、彼は「言葉が自分を助けてくれる、自分どう考えたらいいかきっかけになる」と語っていた。彼のコーチである、M.チャンは「言葉は選手にとってとても重要だ、言葉によって導かれ支えられ積極的になる、そしてそれは素晴らしい力になるんだ」とし、錦織に対して、「Believe yourself 絶対に勝てる」と同じ言葉を幾度となく伝え続けたそうだ。そして錦織はそれをきっかけとして一昨年の全仏オープンで準優勝した。しかし、昨年は思うような結果が出ずに、その全仏がまさかの一回戦敗退、悩む錦織の姿を見てM.チャンはこれまでの強気すぎる言葉を消し、「負けてもいいから思いっきりやれ」とかける言葉をかえた。それをきっかけに、吹っ切れた錦織はシーズン後半に持ち直し世界で8人しか出られないATPファイナルズに今年も選出された。M.チャンは「言葉」に対して、「戦いの中で選手と同じ考えや目標を共有する際、言葉はとても大きなインパクトを与える。ただし言葉の使い方はとても注意深くする必要があり、ポジティブすぎてもネガティブすぎてもダメなんだ」と述べていた。

次に体操の「ひねりの神様」こと白井健三の父親は、息子を「コミュニケーションから人の考えを探り、コミュニケーションから方法論を編み出している」と分析していた。そして内村航平との出会いや、コミュニケーションから「初めて自分のひねりを理解してくれる人と巡りあう事ができ、それがとても嬉しかったんだろう」と語った。そして「アスリートはトンネルだらけで、きついな、つらいな、大変やなという時にすごい人と出くわす、そしてその一言、言葉が急激に成長させる」と身振りを加えて語っていた。さらにM.チャンと同様に「最近は言葉を選んで息子と話すようにしている」と重ねていた。

こういった内容の番組は視聴する各々で様々な浸透の仕方があり、その時々の各自の背景と照らし合わせながら同じ言葉を聞いても違った影響力があると思う。また、自分自身の中でもセラピストとして、組織人、社会人として、父親としてなど色々な側面での思いと照合しながら自分の中に突き刺さるものも多い。

そして多くは現状の自分と期待したい自分との差異(葛藤)の中から生じてくる課題や信念のような思いであると考える。

皆さんはいかがでしょうか。(インターネットで視聴ができました。)