2017年3月15日水曜日

運動学習について

進藤 隆治(岡崎共立病院)

 
引用論文:運動学習のメカニズムと作業療法
筆者:宮前珠子 他
広島大学保健学ジャーナル Vol.1(1)22〜28,2001

私の仕事は、作業療法を患者・利用者(以下対象者)に提供している。対象者の生活の質の向上、社会参加を目的に、機能訓練や動作訓練、環境設定を行う。また、地域において他職種との連携は必須であり、一人の方に対して何人もの従事者が生活を支えている。しかしながら、対象者に対して1対1で向かい合いサービスを提供する機会が多い理学療法士・作業療法士・言語聴覚士においては、その時間でどのようなことができるのかを考える必要があると私は考える。私が対象者にできること、それは作業療法を通じて運動を教えること。つまり、作業により運動を学習することを導いていくことであるといえよう。

この、「運動学習のメカニズムと作業療法」では、はじめに、学習及び記憶とは何かが書かれており、次に学習の神経機構の変化について、最後に治療への示唆と進む。

今回は、まとめを以下に抜粋する。
1.我々がリハビリテーションで目指す多くの事が運動学習に関わる
2.運動学習成立の背景には、神経回路の構造的変化がある
3.神経回路の構造的変化を起こすためにはかなりの反復回数が必要である
4.運動学習を助けるヒントとして、メンタルプラクティス、結果のフィードバック(KR)の頻度、帯域、遅延を考えること、認知学習が運動優位であること

この論文は運動学習について知る取っ掛かりとなる内容となっており、わかりやすく解説されていると思う。運動学習という観点はリハビリテーションを進めていくにあたり重要な要素であると感じている。職場の同僚や勉強仲間に論文の内容を勧めながら、運動学習について内容を深めていきたいと思う。

2017年3月1日水曜日

ゴール設定

首藤 康聡(岡崎南病院)

皆さんはどのようにして患者さんのゴールを決めていますか?

評価を行い、過去のデータや今までの経験などを参考に「ここまでは回復するけど、これ以上の回復は望めない。だからゴールはここにしましょう」といったように決めて、患者さんと一緒に決められたゴールに向かってリハビリをしていると思います。

特に変なところはないですよね。でもちょっと待ってください。本当にこれでいいのでしょうか?僕は少し違和感を覚えます。それは、このゴール設定の方法がリハビリをあきらめている部分があるからです。

先日、ネットで“脊損者が問う、「なぜ日本に歩くリハビリがないのか」”という記事を読みました。以下のサイトに掲載されているので、興味がある方はご覧になってみて下さい。  
  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170203-00010003-alterna-soci
  
この記事はリハビリ医療情報を発信するRe:Walk Project運営事務局が4月1日に開催する脊髄損傷者向けのイベント主宰者の木戸さんのコメントを掲載したものです。その中で木戸さんは、脊髄損傷者に日本の医療ではなぜ歩くためのリハビリがないのか、その原因と解決策について、講演をするという事です。

以下、記事を一部抜粋してみます。
・・・・・
―Re:Walk Projectでは、「歩くためのリハビリ」を紹介していくとのことですが、日本ではそれが進まない原因は何があると考えますか。

まず前提として、日本の医療において、完全麻痺と不完全麻痺に対するアプローチは決定的に違います。完全麻痺者(受傷後、脚がピクリとも動かせない人)は基本的に「一生車いす」と診断され、歩くリハビリは行いません。不完全麻痺者(一部、神経機能が残存し、脚が動かせる部分が残る人)は再歩行を目指して歩行訓練を行います。

(中略)

治るか分からない患者のリハビリのために、一生、国の医療保険で保障することはできません。だから、日本の医療では原則「再歩行の確立はゼロ%」と宣告します。(「曖昧なことを言って後で問題にならないよう、宣告せねばならないと教えられる」と話を聞いたお医者さんは言っていました)

そして、完全麻痺者はまず「車いすでの社会復帰」を目指すことになります。まずは一人の人として社会復帰をして自立を目指します。これは非常に重要なことだと思います。

(中略)
これは我々の解釈ですが、日本の医療では完全麻痺者の再歩行の確立はゼロ%です。でも、そこにはからくりがあり、日本の医療界では、「脊髄損傷(完全麻痺)=一生歩けない」という宣告をする限り、歩くリハビリをしている人は原則いません(ごく一部の研究対象者などは除いて)。目指した人がゼロなのであれば、一生ゼロ%のままなのです。

・・・・・・・
この後も文章は続きますが、如何ですか?最初から可能性がゼロ%だから歩くリハビリは行なわず、車椅子での社会復帰を目指す事。これ自体は決して問題がある事ではありませんし、重要な考え方だと思います。そこにはこの国の医療制度なども深く絡んできますしね。しかし、一方でもしかしたら回復の可能性はあるかもしれませんよね。だって回復しないなんて誰も証明できないですもん。

さて、主宰者の木戸さんは歩く事を諦めきれず、オーストラリアや米国に渡り日本で行われていない「歩くリハビリ」に活路を見出そうとしました。この記事ではその後、どこまで回復したのかは定かではありません。しかし、諦めず海外のリハビリを受けようとしたという事は少なくともゴールが「歩行」だったからですよね。この日本には挑戦するリハビリが無かったから海外でリハビリを受けようと思ったんだと思います。

では、なぜ挑戦するリハビリがないのでしょうか?そこには様々な理由があると思いますが、それをここでは追及するつもりはありません。それはまたの機会にとっておきます。もちろん全ての病院や研究機関、全てのセラピストがそうであるとは思いません。しかし、僕らが当たり前の様に行っているゴール設定に実はセラピストの『諦め』が含まれている事を知っておくべきだと思います。それを知る事によって次の回復の可能性に挑戦できるからです。

最後は僕の臨床の柱となっている言葉で締めたいと思います。この言葉を胸に日々の臨床を、認知神経リハビリテーションを一緒に学んで行きましょう。

「裏切られた期待に応えるために」