2013年10月15日火曜日

ヒトの心はどう進化したのか

尾﨑 正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

鈴木光太郎著 「ヒトの心はどう進化したのか」(ちくま新書)

認知神経リハビリテーションは「心」を考慮した治療です。ヒトが進化していく過程で心がどのように変化していったのかを学びたいと思い、この書籍を手にとってみました。

ヒトはチンパンジーと共通の祖先から分かれて600万年が経過し、進化を遂げたのは身体のみではなく「心」も進化していった。何がヒトをヒトとたらしめているのか、なにが私たちの特徴なのか、この書籍はこれらの問題に「心」の進化の視点から迫っています。

チンパンジーとの違いを大きく分けると6大特徴があり1)大きな脳 2)直立二足歩行 3)言語と言語能力 4)道具の製作と使用 5)火の使用 6)文化であると述べています。もっと細かな特性は書籍の中で一覧表が掲載されています。

ヒトは生物として生きていく最低の能力が揃うのに、生後1年かかると言われており、子どもは1歳以降、能動的に様々な知識や能力を急ピッチで身につけていく。その中で最も重要な一つは「ことば」であり、そして、もう一つ「心の理論」の能力であると著者は述べています。

チンパンジーが実験において「心の理論」をもっていないということが分かったことにより、ヒトがチンパンジーと共通の祖先からヒトへの進化の過程で「心の理論」が出現したものであることを意味します。

私たちは相手の心を「目」を手がかりにしています。「目は口ほどにものを言う」という表現があるように、ヒトは気になるものに目を向けないでいることが、なかなかできません。同様に相手の目の向きを気にしないでいるのも難しく、会話の中でも相手の心のうちを知るために「表情」は重要な手がかりになります。
また、他者の視点に立つことができる能力も重要なポイントであり、他者に何かを教える場合に教える側本位ではなく、教わる側に立つことによって、適切な教え方が可能になります。

セラピストと患者を教師と学生の立場として治療を行う認知神経リハビリテーションでは重要な視点であり、自分が仮説を立て検証する治療を患者の立場で考え、さらに検証していくことで結果の出せる適確な治療に結びついていくことができると考えます。

その他、書籍の中では「模倣」「ミラーニューロン」などが述べられています。

私は、この書籍を読んでいるうちに治療の中で「表情」「目」「他者の視点に立つ」など患者の「心」に自然と触れあっていることに気づきました。「心の理論」は認知神経リハビリテーションを学習していく上で必ず学ぶ理論ですが、地球上で「心の理論」を持ち得ているのは、私たちヒトだけであることを考えると、ヒトを治療しているセラピストは「心の理論」を学習しておく必要があることが理解できました。

2013年10月1日火曜日

特集 看護のチカラ

荻野 敏(国府病院)

現代思想 2013 vol.41-11 8月号
特集 看護のチカラ

つい最近出た現代思想。特集は「看護のチカラ」。そうそうたる顔ぶれが執筆者に挙がっている。中には木村敏先生や鷲田清一先生の名前もある。この本もたまたま豊橋の精文館書店に行ったときに見つけた。現代思想は時々チェックしているのだが、最新号がこの号だったのだ。目次だけ見て「これは買わねば!」と思い、即買いしまった。現代思想って雑誌を知っている人は分かると思うが、とにかく内容の量と質がハンパなく膨大だ。だから実は僕もまだ完全に読みきれていない。読みきれていないが、少し読んだ中で秀逸なのが、鷲田清一先生の書いている「《臨床》というメタファー」だ。たった3ページのエッセイだが、心に沁みる。鷲田先生は《臨床》というメタファーに託されているものが5つあると言っている。

第一:床(クリネー)に伏している人のところへ出向く医療者のわざ(クリニケー)

第二:多義的なものを「みる」ために専門的知見をいつでも棚上げにできる用意がなければならない

第三:「看る」ために使えるものはなんでも使う

第四:探求のセンスというべきものが不可欠

第五:モノローグであってはいけない、誰かに向けて届けられるものであり、宛先を持つ

一見、何を言っているのか分からないかもしれないが、通して読むと看護だけでなく僕ら医療従事者全体に相当に深く関わる内容がそこかしこに散らばっているエッセイだ。

また、この特集の中ではやたらとメルロ=ポンティという名前が出てくる。もちろん名前だけでなくその思想が深く影響していることが伺える。

「モーリス・メルロ=ポンティの著作は、看護研究を進展させるためのきわめて優れた哲学的基礎を与えてくれる」(サンドラ・P・トーマス著、現代思想2013 vol.41-11 8月号p166)

身体を触れるという僕達の職業は、根底で看護と非常に深く繋がっている。看護学が哲学や質的研究を取り入れて人間を考察して行っているのに、僕らはいったいどこで立ち止まっているのだろう。「運動」の前に「行為」を、「行為」の前に「人間」を知るべきだ。

深く反省されらるとともに、秋の夜長、布団の中でしばし哲学的思考の時間を楽しむ喜びに若干わくわくしている自分がいる。