2014年12月15日月曜日

仮説の立てるための知識について

若月 勇輝 ( 西尾病院 )

認知運動療法では科学的な考え方を取り入れ、問題仮説検証のループをたどりながら訓練を行っていく。臨床にて、自分が適切な問題点を抽出し、仮説を立てられているのか疑問に思うことがある。つまり、自分の行っている訓練が的外れなことをしているのではないかと疑ってしまうのである。適切な訓練が構築されるためには、様々な要因があると考えられる。その一つの要因に、仮説が適切でない可能性がある。仮説を立てるためには洗練された知識の選択と整理が必要と考えられる。今回は、私が考える仮説を立てるための知識について述べたいと思う。

臨床にて歩行観察から、問題点はこれではないかと仮説を立て、訓練的な評価を行い仮説が合っていたかどうかの検証をする。つまり問題点は仮説として立てられている。よって、問題点の抽出は仮説が適切に立てられなければ明確に提示できないと思われる。では仮説はどのように立てれば良いのだろうか、そもそも私たち臨床家は仮説をどのように立てているのだろうか、という疑問が湧いてくる。

もちろん外部観察や内部観察から仮説を立てるのは周知の事実である。仮説はセラピストが頭を使って考えることで生み出される。頭を使って考えるということは、自分が持っている知識を選択し整理するということになると思う。つまり、知識が適切でなければ、洗練された仮説は立てられないことなる。知識は教科書や論文、もしくは臨床家の経験、人から聞いた話になる。これらの情報は膨大である。ここで、セラピストは知識の選択を迫られる。つまり、この知識の選択を誤れば、誤った仮説が生まれてしまう。では、どのように知識を選択すれば良いのだろうか、そもそも私のような経験の浅いセラピストに適切な選択ができるのか、という疑問が湧いてくる。

現在の私の思考能力では選択できないことに気付く。これは絶望である。それと同時に患者さんにとっても絶望となる。絶望していても意味がないので私なりに至った結論は、とっても偉い人の話を聞くことにした。しかしながら、とっても偉い人は近くにはいないので直接聞くことはできない。よって、Perfetti先生の意見が書いてある書物を読むことにした。痛みであれば、まずMelzack先生の書物を読むことにした。認知症の痛みであれば、Scherder先生の書物を読むことにした。そして彼らが使用した参考文献を読むことにした。偉い人が参考にした論文は、偉い人が選択した論文ということなり、的外れな知識は得ることにはならないだろうと考えた。これにより、頻繁に引用される論文や、著者の名前を知ることになり、その著者の論文を読むようになった。

続いて、よく用いられている学会誌を知るようになった。頻繁に用いられる学会誌は、確からしい可能性があるため、読む学会誌を選択するようになった。

今度はこの学会誌の査読委員を見るようになった。レベルの高い学会誌の査読をしている人の論文であれば、的外れな知識とならないと考えた。

まとめると、
・ある分野の権威の論文を読む
・権威が使用している参考文献を読む
・頻繁に用いられる論文を読む
・レベルの高いであろう学会誌の論文を読む
・レベルの高いであろう学会誌の査読者の論文を読む

これが私の知識の選択の仕方である。いずれは、どのような状態で得られた知識であれ、自らの思考で選択していけるようになりたいと思っている。

疑問は問題として提示され、その問題点は仮説として立てられる。すべては疑問から始まるということを聞いたことがあるが、仮説を立ては知識の選択から始まるのではないかと思われる。選択を誤れば真の問題点にたどり着けない。真の問題点に早くたどり着けるセラピストを目指したい。

2014年12月2日火曜日

将来に望む臨床像

進藤 隆治(岡崎共立病院)

今回の臨床のヒントでは、将来に望む自分の臨床像について話しをしようと思う。

つい先月、鶴埜先生にお願いし千葉へ臨床見学に行く機会があった。

自分の臨床で足りないところや、何か自分に変えられないかといった漠然な想いを抱き、臨床見学へと伺ったしだいである。

色々と教えてもらうことができたが、今回は特に印象に残った3つのことを上げる。

①認知キットは職人の道具である(道具の特性についての理解)
訓練は患者に何かを教えるが為に行われるが、道具の特性を理解しておかなければどのように患者に教えられるかが判断できない。

②適切な姿勢・道具の配置ができなければ、認知課題そのものが意味のないものになってしまう
体幹・上肢・下肢の運動を制御していく際に動きだけ(特異的病理)に捕われるのでなく、固定される部位や相互作用する道具にも着目していなければならない。
認知過程を適切に導くような準備が必要である。

③日本人の場合はわかることから情報を構築していくことで、患者は自己の身体について語りやすくなる
わからないことを説明するのは日本人は苦手な部分があり、わかったことから情報と差異を確認していくことで、患者の思考は深くなる。

その他にも自分が被験者となり、訓練を体験したことで患者の視点から、環境との相互作用について考えを深めることができた。

この経験は自分にとって一つの道標になるであろう。

将来、自分の臨床が患者さんに「何を・なぜ・どのように教えるのか」が洗練されたものになっているように望んでいるし、そのなるように勉強していきたい。

最後に、認知神経リハビリテーション研究会理事の鶴埜先生に貴重な経験をさせて頂いたことに深く感謝したい。