2012年7月15日日曜日

ぼくの脳を返して

尾﨑 正典(尾張温泉リハビリかにえ病院)

ぼくの脳を返して     
―ロボトミー手術に翻弄されたある少年の物語―
ハワード・ダリー+チャールズ・フレミング   WAVE出版  

私がロボトミー手術のことを知ったのは学生時代、精神障害の授業で観た「カッコーの巣の上で」という映画で、暴れていた人たちが手術を終えると急におとなしくなっていく姿が映し出されていたことを思い出しました。ロボトミー手術とは前頂葉切除手術のことでlobotomyと綴られloboは前頂葉や側頭葉などの「葉」を表し、tomyは「切除」を表します。

「ぼくの脳を返して・ロボトミー手術」という言葉が妙に引っ掛かり手に取っていました。

ポルトガルの医師エガス・モニス(1874-1955)がロボトミー手術の治療的価値を発見して1949年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。当時は、統合失調症や躁鬱病のような精神病に有効な治療法がなくロボトミー手術が行われました。ロボトミー手術をアメリカに紹介したウォルター・フリーマン(著者を実際に手術した医師)とジェイムス・ワルツがモニスのロボトミー手術をアメリカに紹介し、全米で年間600件程が実施されるようになり、手術例はノーベル賞受賞までにアメリカだけで1万件に達していたそうです。日本でも1942年の中田瑞穂始め、広瀬貞雄が1947年~1972年の25年間に523件のロボトミー手術をした記録がありますが、総数は分からず3~12万件と言われています。

著者のハワード・ダリーは少年時代、少々いたずら好きなごく普通の少年であり、幼くして母を亡くしたのち、父親の再婚相手に疎まれ、両親から虐待され、そして、統合失調症という間違った病名を与えられ1960年、わずか12歳にしてロボトミー手術を受けさせられました。その後、家族から捨てられ精神病院や拘置所を転々と過ごし、50歳になってようやく心から愛せる女性と巡り合ったことをきっかけとして、すさんだ過去を省みるようになり、そのような人生を送るにいたった原因を突き止めるための「旅」に出ました。そして、その「旅」の途中でロボトミー手術の第一人者として知られるフリーマン博士を題材にしたラジオ番組に出演する機会を得て、ハワード自らの診察・手術記録を手術中の写真まで含めてすべて閲覧することになりました。

エガス・モニスが発見したロボトミー手術が、人類に多大なる貢献をした者に与えられるノーベル賞を受賞した事実、そして、現在ノーベル賞の取り消しの運動さえ起こっている現実があります。当時としては、最高の治療とされていたのでしょうが、次第に真実が明らかになり危険であると判明され、薬物での治療法が開発されることによって、今現在は行われていません。

この本を読んでいてリハビリテーションの世界でも起こりうることではなかろうかとふと思ってしまいました。現在、日本のリハビリテーション臨床現場で当たり前のように行われている訓練は、未来には間違いであったということにならないであろうか?なるかもしれないし、ならないかもしれない。それは未来にしか分からないでしょう。現在行われているリハビリテーション自体が1950年代からほとんど変わっていない事実さえ知らないセラピストが大勢います。これだけ社会は変化しているのに「なぜリハビリテーションは変わっていないのか?」ということを。そして、これではいけないと日々研鑚し、取り組む人々も確かにいます。未来のリハビリテーションがどうなっているのかということは分かりませんが、1950年代にリハビリテーション訓練を構築した方々は当時、約60年も変わらない訓練を予想したのでしょうか?現実的には不可能ですが、もし、今、現代に彼らが来ることが出来たとして、リハビリテーションの臨床現場を見たとしたら、どのように感じるのだろうか?と思ってしまいました。

私達が日々「問題―仮説―検証」を常に繰り返し、「理論と実践、本と訓練室の間を行ったりきたりしながら、常に新しい問題点に戻って循環する。」このことを忘れず臨床展開し続けていくことで、ロボトミー手術の犯した様な事実は防ぐことができるのではないかと私は思います。そして、私達が行わなければいけない「患者の真の期待に答えられる治療」を実践できるのではないかと思います。

「ぼくの脳を返して」の著者により医療者の犯してしまった取り返しのつかない史実と、その現実の中で生きていかなければいけない患者の事実を知ることで、私達が犯してはいけないことに改めて気づかせて頂きました。

2012年7月2日月曜日

もうひとつの世界でもっとも美しい10の科学実験

荻野 敏(国府病院)

もうひとつの世界でもっとも美しい10の科学実験
ジョージ・ジョンソン著 吉田三知世訳
日経BP社 2009

自宅の近くにある小さな図書館にも意外と掘り出し物の本がおいてある。本棚を眺めて気になる本を手に取り、目次をぱらぱらとめくって内容が面白そうだと、小躍りしたくなる。だから、図書館や本屋は大好きだ。最近は科学系の本がお気に入りでよく読んでいる。この本も、近くの小さな図書館の一番奥の棚の一番高い場所に置かれてあった。普段なら絶対に目にはいることのない位置に置かれた本だが、科学系で面白そうな本を探しているときに出会えた。

タイトルからすでに好奇心をくすぐる。目次の前には晩年のアルベルト・アインシュタインの文章が書かれている。子供の頃に方位磁石を父親から見せてもらって、針がずっと北を指してることに対して強烈な印象を受けたそうだ。そしてこう綴っている。「それは、物事の背後には、奥深く隠された何かがあるに違いないという印象である」

「もうひとつの」とタイトルに付けられているので、察しがつくと思うが、「世界でもっとも美しい10の科学実験」という本も存在する。そちらの本は主に物理学の科学実験を紹介している。地球の円周を紀元前に測ろうとした実験やガリレオガリレイの斜塔の実験、アルファ実験と呼ばれる加速度の実験などが美しい実験として紹介されている。こちらも興味深いが、今回紹介する本には物理学だけでなく生物学・化学・物理学の科学全般から選ばれた10の実験が紹介されている。

第9章にはイワン・パブロフの条件反射の実験が詳細に記載されている。この章のサブタイトルは「測定不可能なものを測定する」だ。パブロフは犬を実験で使う際、「短期間で行う暴力的な実験」は極力避けたそうだ。パブロフは長期的なアプローチを好んだ。犬の胃や唾液腺などを手術して、動物が手術から完全に回復してはじめて、数ヶ月から数年間におよぶ観察に取りかかったそうだ。短期的で暴力的な実験は、パブロフから言わせると時計が動く仕組みを理解しようとして木槌で時計を壊してしまうようなものだった。著者はこう述べる。「パブロフが犬を使って行った研究は、その明快な論理とエレガントな体系によって、最も遠い星よりもなお遠いと思われていた世界、脳の内側への道を開いたのであった」と。

1904年、パブロフは消化生理の研究でノーベル賞を受賞する。1935年に「ある犬を記念して」という装飾噴水が、パブロフの在籍していた実験医学研究所の敷地内に作られたそうだ。その側面には研究所内の場景と「有史以前から人間への奉仕者でありかつその友であった犬が、自らを科学の生贄に捧げるのを受け入れよ。しかし、われわれに道徳的品格があるのなら、それは常に不必要な痛みなしに行われねばならない」というパブロフの言葉が刻まれているという。

他にも興味深い実験が紹介されている。かなり子細に。先人たちのアイデアには驚かされるし、実験とは観察なんだということを改めて思わされる。科学とはなんだろうか、我々の仕事はいったいなんだろうかと疑問に思ったときに紐解くと良い本である。一読を勧める。