2013年10月1日火曜日

特集 看護のチカラ

荻野 敏(国府病院)

現代思想 2013 vol.41-11 8月号
特集 看護のチカラ

つい最近出た現代思想。特集は「看護のチカラ」。そうそうたる顔ぶれが執筆者に挙がっている。中には木村敏先生や鷲田清一先生の名前もある。この本もたまたま豊橋の精文館書店に行ったときに見つけた。現代思想は時々チェックしているのだが、最新号がこの号だったのだ。目次だけ見て「これは買わねば!」と思い、即買いしまった。現代思想って雑誌を知っている人は分かると思うが、とにかく内容の量と質がハンパなく膨大だ。だから実は僕もまだ完全に読みきれていない。読みきれていないが、少し読んだ中で秀逸なのが、鷲田清一先生の書いている「《臨床》というメタファー」だ。たった3ページのエッセイだが、心に沁みる。鷲田先生は《臨床》というメタファーに託されているものが5つあると言っている。

第一:床(クリネー)に伏している人のところへ出向く医療者のわざ(クリニケー)

第二:多義的なものを「みる」ために専門的知見をいつでも棚上げにできる用意がなければならない

第三:「看る」ために使えるものはなんでも使う

第四:探求のセンスというべきものが不可欠

第五:モノローグであってはいけない、誰かに向けて届けられるものであり、宛先を持つ

一見、何を言っているのか分からないかもしれないが、通して読むと看護だけでなく僕ら医療従事者全体に相当に深く関わる内容がそこかしこに散らばっているエッセイだ。

また、この特集の中ではやたらとメルロ=ポンティという名前が出てくる。もちろん名前だけでなくその思想が深く影響していることが伺える。

「モーリス・メルロ=ポンティの著作は、看護研究を進展させるためのきわめて優れた哲学的基礎を与えてくれる」(サンドラ・P・トーマス著、現代思想2013 vol.41-11 8月号p166)

身体を触れるという僕達の職業は、根底で看護と非常に深く繋がっている。看護学が哲学や質的研究を取り入れて人間を考察して行っているのに、僕らはいったいどこで立ち止まっているのだろう。「運動」の前に「行為」を、「行為」の前に「人間」を知るべきだ。

深く反省されらるとともに、秋の夜長、布団の中でしばし哲学的思考の時間を楽しむ喜びに若干わくわくしている自分がいる。

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