2016年4月2日土曜日

メルロ=ポンティの思想から私が思うこと

進藤 隆治(岡崎共立病院)

モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau‐Ponty 1908年3月14日‐1961年5月3日)

著書には、「行動の構造」(1942年)や「知覚の現象学」(1945年)があり、新しい身体論を展開した。この新しい身体論は当時、リハビリテーションとは何の関係もなかった。しかし、1970年代後半になると、リハビリテーション治療に結びつけた人間が世界に一人だけいた。イタリア・ピサ大学附属カランブローネ病院の医師ペルフェッティである。

認知神経リハビリテーションはメルロ=ポンティが「知覚の現象学」で提言した。「知覚する身体」の回復に向けて治療が導入されている。彼の知覚の優位性の哲学にあるように、運動することよりも知覚を最優先する。(リハビリテーション身体論を参考に)

メルロ=ポンティの思想は認知神経リハビリテーション研究会のメンバーなら、すでに馴染みがあるだろう。しかし、この思想を深く理解している人はどのぐらいいるのだろうか。私も勉強会の資料制作に、久しぶりに宮本会長の著書である「リハビリテーション身体論」を手に取り、頭も悩ませながら理解しようと苦労している。わからないなりにもわかることもあるので、身体について書きたいと思う。

メルロ=ポンティは身体の両義性を述べる。つまり、運動・知覚により世界と相互作用しており、そこに自己にとっての意味が生まれてくる。リハビリテーション専門家にとって、その治療対象は何であろうと考えるとき、リハビリテーションの目的は「全人間的復権」であり、対象は「人」や「生活」や「その人らしい生活を送る」と誰もが返答をすると思う。しかしながら、機能について訓練を考える際に、運動で問題を確認し、筋・関節・骨といった要因に原因を求める傾向があるのが、身体障害領域の現状ではないかと思う。ようは、デカルト思想の身体二元論的な考え方が定着しているからであろう。身体と精神を切り離し考えられているからだ。例えば、整形外科の専門家だったら、骨折や外傷した部位を診て回復を図ることを目的とすると思う。しかし、リハビリテーション専門家は整形疾患でも受傷した「人」が対象となる。だから身体部位の回復を図るに留まらず、身体をどのように使うのか、身体を使ってどのように環境に適応するのか、その時に身体を介してどのような情動が生まれるのか、どのように身体は世界に意味を与えるのであろうかを基に身体を変えていく必要があるのではないだろうか。

認知神経リハビリテーションの講習会や勉強会に参加した先生から、「認知は難しい」と感想をよく聴く。私はその理由として、身体の捉え方を簡略化しない特徴を要しているからだと考える。しかし、身体を以下に簡略せずに患者と向き合えるかが、自分のスキルであり、患者を理解できるということになるのではないかと思う。突き詰めて行くことは、苦労の連続であるが、楽しみを見出すこともできる。リハビリテーション専門家にとって挑戦していく価値があることだと思う。

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