2016年12月15日木曜日

中日春秋(2016年12月10日 朝刊)

荻野 敏(国府病院)

中日春秋(2016年12月10日 朝刊)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2016121002000113.html

Paragrafo UNO
▼『科学とは「不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである」という名言を残したのは、夏目漱石の弟子で物理学者の寺田寅彦だ』

さすが、夏目漱石!!弟子も名言を残してますなぁ

Paragrafo DUE
▼『たとえば、かつては「すべてのものは原子からできている」と教わったのに、科学の進展で、私たちが知る原子で作られている物質は宇宙のわずか4%にすぎず、残りは謎の物質だと分かった』

そ、そうなんだ・・・。僕も原子でできていると習ったと記憶しているので、ちょっとびっくり。というかその割合にびっくり。多分ダークマターのことだと思うけど。

Paragrafo TRE
▼『常識が覆され、新たな不思議が見つかる。そのおかげで私たちはより深く、違った角度から考えられるようになる。それが科学の醍醐味だろうが。どうもわが国の政府は「不思議を生み出す」科学に冷淡なようだ』

日本の政府の姿勢はどうか良くわからないが、物事を多角的に見る、そして疑ってかかるってのは大事なことですよね。訓練を5つの視点で見ることや贋作者的態度っていうのは、まさにそのことを意味していると思います。

Paragrafo QUATTRO
▼『きょう、ノーベル賞の受賞式典に臨む大隅良典さんは「謎が解かれた時、新たな謎が生まれるのが科学」と説き、「科学が役に立つというのが、数年後に企業化できることと、同義語になっている」と憂いている。研究費が削られ、拙速に成果が求められる現状では、科学立国の礎が危ういとの警鐘だ』

確かに、1知ると10の疑問が出て、10知ると100の疑問が出てくるってのは、なんとなく直感的に理解できますよね。そして安直に成果を求める(求められる)というのもなんとなく分かる。例えば、そのままダイレクトに患者に適応できる論文を求めたり、すぐ明日からすべての患者に使えるテクニックを求めたりするのも同様なことなのではないでしょうか。とすると、この国の姿勢というよりは、僕らセラピストの中に住まう「楽して簡単に成果を求める姿勢」もリハビリテーションの礎が危険な状態ということに置き換えられそうですね。

Paragrafo CINQUE
▼『偉大な政治家にして科学者でもあったベンジャミン・フランクリンにはこんな逸話が伝わる。自然科学の新たな成果に接した人が、「これは何の役に立つのだ?」と聞くと、彼は聞き返した。「では、生まれたばかりの赤ん坊は、何の役に立つというのです?」』

この切り替えし、素晴らしいですね。確かに納得です。

Paragrafo SEI
▼『大人には計り知れぬ可能性を秘めた「赤ん坊」に「何の役に立つか」を問う。そういう社会では、未来は望めまい。』

僕らは、人間の基礎をなす哲学や神経科学だけではなく、リハビリテーションの技術的なものや教育学なども勉強しなければなりません。認知神経リハビリテーションに取り組もうとすると、勉強しなければならない学問の幅が広すぎることに戸惑っている人も多いのではないでしょうか。でも安易にテクニックに向かうのではなく、その基礎にある学問をおろそかにしてはいけないと思います、そして何故なんだろうという疑問を持つことも大事ですよね。傍から見たら何の役に立つか分からないような勉強でも、いずれその意味が分かることにより、治療の組み立てに有益をもたらすかもしれない。基礎がわかっていなければ、未来は望めないと思いました。

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