2015年11月15日日曜日

ハリガネサービス

首藤 康聡(岡崎南病院)

うちの家族が最近はまっているバレー漫画がハリガネサービス。以下は簡単なストーリ。

中学時代、怪我でバレー部のレギュラーになれなかった下平鉋。都立豊瀬高校に入学した彼は、縦横無尽に操れるサーブを武器に再びバレー部に入部し見事レギュラーを獲得。そして初めての公式戦。見事インターハイ予選一回戦を勝ち抜いた彼らは、続く第2試合でトリッキーなプレイを展開する竜泉学園ペースを崩され第1セットを落としてしまう。そしてこの竜戦学園を指揮する雨竜監督は豊瀬高校の山縣監督が初めて指導者として全国大会に出場した時の教え子だった。さあ対戦相手に翻弄される豊瀬高校のメンバーは果たしてこの局面を打開するのか!

といった感じの漫画なんですが、この豊瀬高校の山縣監督は全国大会に初めて出場した頃から色んなスポーツをバレーボールに応用できないか常に考えていたそうです。だから怪我で片足でしかジャンプのできない下平にその練習のため、ハンドボール部に入部させたりしています。どうやらバレーボールの片足ジャンプでのアタックとハンドボールのジャンプシュートが似ているということで下平の練習にはうってつけと考えたようです(あくまで漫画の話ですのであしからず)。これってなんだかペルフェッティ先生と似てると思いませんか?何を見ても認知のヒントにならないかって考える事と同じじゃありませんか?以前は良くそんな話を聞いていたんですが、最近ちょっと聞いていなかったなあと感じています。

そしてこの雨竜監督が率いる竜泉学園のメンバーは元々他のスポーツの経験者です。野球部やサッカー部、クラッシクバレーの経験者もいます。だから手でトスを上げる代わりに、ヘディングでトスを上げたりしています。それぞれが自分の得意なスポーツでバレーボールを行うので、非常に変則的で予想外の攻撃が展開されるんですが当然、豊瀬高校のメンバーはそのようなチームと対戦した経験がないからどう戦えばいいのかわからず、苦戦を強いられています。経験がないから予測しにくいわけです。う〜んなるほどと思っている時にふと気づいたことがあります。この雨竜監督がこの様なチームを作ったのは昔から他のスポーツを見てバレーボールに応用できないか考えていた山縣監督の影響があるからだということです。

山縣監督の考え方、その指導があったおかげで雨竜監督はチームを作りあげ今では対戦相手として苦戦させられるまで成長しているわけです。これって指導者として非常に嬉しい事だと思いませんか?きっと嬉しい事ですよね。さてさてペルフェッティ先生は僕たち日本のセラピストをどのように見ているのでしょうか?僕たちの事を嬉しく思ってくれているのでしょうか?もちろんペルフェッティ先生のために治療をしているわけではありません。だけどペルフェッティ先生が嬉しいと思ってもらえるほどの治療が我々にできているのでしょうか?まだまだ満足しては入られませんね。自分の臨床。愛知の臨床。そして日本の臨床。もっと切磋琢磨していかなければと反省させられました。

0 件のコメント:

コメントを投稿