2012年2月1日水曜日

養老流 子育て論

進藤 隆治(国府病院)

So Da Tsu com より 新しい生命へ 養老流 子育て論

私事であるが、昨年子どもができました。仕事と育児に日々精進して過ごしているわけですが、そんな中ネットで養老孟司先生の育児論が書かれた文章を見つけました。

養老先生は、子どもは自然の世界であり、自然の世界に属している子どもを人間の世界へひきこんでいくという過程が子育てであると考えています。これは子どもが人間社会に適応していく術を教えることが育児であると解釈できると思います。そして養老先生は「ああすれば、こうなる」という考え方は自然相手に通用しないと言っていました。ここでいう自然とは人間が設計することができないという意味だそうです。自然とは子どものことだけでなく人間全体に言えることであり、もちろん私たちが関わっているリハビリ対象者の方々にも当てはまることです。

ここではリハビリについて話しはしていませんが、リハビリの治療においても「ああすれば、こうなる」は通用しない場面がただあることを私達は経験します。ただ「ああすれば、こうなる」を通用させようとしてしまう風景があるように思います。例えばこの患者にはこのやり方が合っている、色々な考え方を知ってその中からその患者に合う手技を選択すればよいという考え方がそうだと思います。それが悪いわけではないでしょうが、私自身はそのやり方はよいとは思いません。人間を自然と解釈すれば「ああすれば、こうなるのではないか?」といった仮説-検証のスタイルで、手入れのように試行錯誤しながら進めていくことが重要だと思います。セラピストは人間が作り上げた物を設計図を見て直す技術者ではなく、人間という者に環境との関わり方を教える教育者であることを忘れてはならないと思いました。

余談ですが、最後に面白い調査のことが書いてありました。それは夫に対する妻の愛情と、妻に対する夫の愛情をチェックした調査です。新婚のスコアを100として、その後の点数をつけていきます。5年、10年、15年経つと、どのように変化していくかを見たものです。それには次のような結果がでていました。夫の愛情は波こそあれ平均すると横ばいになるが、妻の愛情はきれいに右肩下がりであるというのです。その理由として一番はっきりしていることは「育児の責任」だそうです。育児の責任とは、オムツを替えるとか家事をするとかそういうことではありません。子ども世話を妻に押し付けっぱなしで息抜きできない状態にさせてしまったり、育児に対して無責任だと思わせる発言をしてしまうことだそうです。そういったことで愛情が下がるとおっしゃっていました。

う~ん、何だか複雑な気分になりました・・・

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