2013年5月2日木曜日

世界を、こんなふうに見てごらん

荻野 敏(国府病院)

世界を、こんなふうに見てごらん(日高敏隆著:集英社文庫)

この本との出会いはセレンディピティだ。僕は中日新聞の日曜版に掲載される本の特集が好きで、楽しみにしている。ある日曜日の朝、いつものように朝食を済ませてコーヒーを飲みながら中日新聞を読んでいると、この本の書評が書かれていた。日高先生の名前はもちろん拝聴したことがあった。なんといってもユクスキュルの『生物から見た世界』の翻訳者であったからだ。書評には日高先生が生物学者であり科学者である視点で書かれたエッセイ集と評せられていた。

「面白そうだな」

なんとなくそんな気持ちになって、いつかはこの本を買ってみようと思い、いつものように携帯電話を取り出した。何をするかというと、携帯電話のカメラでその書評部分を撮影するため。僕にとって携帯電話のカメラはコミュニケーションツールではなくあくまでメモ帳だ。撮り終わってまたコーヒーを飲み始めていると妻がリビングにやってきた。

「ねえ、今日、精文館行かない?」

精文館とは本屋さんの名称。愛知県近隣の方なら精文館という本屋はなじみがあるだろう。妻は家の近くの精文館ではなく豊橋駅の精文館に行きたいという。確かに豊橋駅の精文館はそれなりに本が揃っている。東三河ならおそらく一番だろう。

「いいよ、行こう。俺も見たい本があるし」

そういってお互い出かける準備を始める。娘にいっしょに行くかどうか聞くと、行ってらっしゃいとそっけない返事。じゃあ二人で行こうかと、思いもかけずに妻とデートとなった。車を運転して途中のコンビニエンスストアでまたまたコーヒーを買って豊橋に向かう。久しぶりの精文館はいつもの賑わいを見せている。昔はとなりにCDショップがあったが今はそれがなくなって雑誌の売り場に変わっていた。妻は仕事で使う本を探しに2階へ、僕は哲学書を物色しに向かった。

「あ、日高先生の本あるかな」

今日の新聞に載っていたから、もしかしてもうないかもしれない。でも探すだけなら損はない。せっかく豊橋の精文館に来たんだからと、本を探す機械の前へ。僕の前にすでにいる若い男性は、なにやら声優の女性の本を探しているようだ。たくさんあるリストの本を何度もチェックしている。さすがに時間がかかっているのでちょっといらいらし始めた時に、男性はお目当ての声優の写真集の場所を見つけたらしく印刷された案内プリントをもってその場から立ち去った。僕の番。日高先生の名前を入力して候補を挙げる。あった! プリントして案内の場所へ。しかし本が見当たらない。

「やっぱり今日出てたから売れちゃったのかな・・・」

でも、なんとなく諦めきれないので、もしかして在庫とかあるかもという期待を胸に店員に尋ねてみる。そうするとプリントされた案内とは反対側の棚に日高先生の本があった。これは見つけられないなと苦笑して店員にお礼を言う。日高先生のエッセイを手に今度は哲学書のコーナーへ向かう。本を物色する楽しさに時間を忘れる。

「この本面白そうだな、あ、これも気になるな」

結局4冊ほど抱えてレジに向かう。そんな出会いで見つけた『世界を、こんなふうに見てごらん』という本は、今僕のパソコンの隣で横たわっている。ページ数は200ページ少々で440円。後半は日高先生の講演が掲載されている。非常に平易に書かれたエッセイであり、下手すれば数時間で読めてしまうこの本。時間が短ければ内容が薄いかというと決してそうではない。興味がある人はぜひ購入して読んでほしい。日高先生の生き物に向けるやさしいまなざしを感じ取れる。そしてそのまなざしはそっくりそのまま科学を志す人への厳しいまなざしとなる。最後にエッセイに書かれた一文を紹介して今回の「臨床のヒント」を終わりたいと思う。

『科学を志す人には、なぜということしかない。おおいに「なぜ」に取り組めばいい。自分の「なぜ」を大切にあたため続ければいいと思う。』(p22)

リハビリテーション専門家という臨床家は、この文章の意味をよく吟味する必要があると思う。

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